第39話 友情のその先へ(詩編 下)


 カランカラン。

 鈴の音を鳴らしながらカフェが扉が開き、浴衣姿の詩と梓が入店した。


 白い壁と、木目を基調としたシンプルなデザインで飾られた店内は、女性客で席のほとんどを埋め尽くしていた。

 梓が周囲を見渡すと、いつもの装いとは違う、浴衣を着た女性が多く、皆考えることは一緒のようで、夏祭りが始めるまでの時間をここで潰しており、もれなく、詩と梓もその一員となった。


 混雑している店内でありながらも、運よく、ソファー席に座ることのできた詩と梓は、席に着くなり、疲れた体を背もたれに深く沈みこませる。

 そして一息つきメニュー表を眺めていると、彼女らのもとにさっそく店員がやってきたので、メニュー表からアイスカフェオレを2つとおすすめのパンケーキを2つ頼んだ。


 5分ほど待っていると、アイスカフェオレがさっそく彼女らのもとへと運ばれる。

 暑さのためか、喉の乾いていた詩と梓は運ばれてきたアイスカフェオレにすぐさま口をつけ、そしてため息を吐き出した。


「意外と、着付けって大変なんだね。あんなに時間かかると思わなかった」

 梓が疲れの愚痴を漏らす。


「本当だね。でもこんなに綺麗にしてもらったの私初めてだよ」

 詩は自分の着ている浴衣を見つめ、微笑んだ。

「たしかにね。私もだよ」と梓は詩に笑い返した。


 彼女たちは14時から着付を行い、終わったのが16時ごろであった。

 浴衣の着付自体はさほど時間がかからなかったものの、髪のセットだけで1時間以上を要してしまい、思った以上の時間がかかってしまった。


 彼女たちがこんなにも疲れてしまっているのには理由がある。

 詩と梓は容姿こそ綺麗であったが、お洒落をするということにいたってはずいぶんとずぼらであった。何をせずとも似合ってしまう彼女たちにとって、必要以上のお洒落というものに気が向くはずがなく、当然、美容室で髪の毛をセットしてもらうなどという経験も皆無であった。

 そのため、慣れない浴衣の着付や、ヘアメイクなどは彼女たちにとって、大きな疲労となっていた。


 そんな慣れないお洒落をしようと言い出したのは、意外にも詩であった。

 せっかくの友達と行く夏祭りだからと両親を説得し、梓も一緒にするという形でそれが実現したわけだが、そんな積極的な詩に梓はたいそう驚いた。

 その驚きは、同時に梓に焦りを覚えさせた。とうとう詩も悟を振り向かせるために気合をいれ始めたんだなと、彼女は理解したのだ。


「浴衣着るなんていつぶりだろうね」

 詩は浴衣の袖をひらひらとさせながら、嬉しそうに微笑む。


「おねえちゃんが迷子の時になった時以来じゃない?ほら結構前の」

 梓は笑いながら、幼き日の思い出を掘り返した。


 彼女たちが最後に夏祭りに行った思い出というのは、もはや記憶がところどころ曖昧になるほど昔の、小学校低学年ぐらいの頃である。

 その時はまだ両親とは仲が良かったころで、家族そろって夏祭りへ出かけたことがあった。


 迷子にならないようにと、梓は母の手をつなぎ、詩は梓の手を握って、賑やかな祭りの中を進んでいたが、縁日の人気キャラクターのお面に見とれてしまった梓は、つい母の手を放してしまい、そのまま迷子となってしまった。

 詩は両親をはぐれてしまったことに取り乱したが、梓は一目散にお祭りの本部を探し出し、迷うことなく迷子の放送をしてもらい、両親と再会したという思い出が、彼女たちの中に鮮烈に残っている。


「あれ、梓が勝手にお母さんの手離したからじゃん」

 詩が頬を膨らます。

「そうだっけ?」と梓は笑ってごまかした。


 ほどなくしてテーブルにパンケーキが運ばれる。

 満月のように丸く分厚いパンケーキに、それを優しく覆う雲のようなホイップクリーム、そして星屑のように散りばめられたフルーツ。


 その美しさに、詩と梓は思わずスマホのシャッターを切った。

 その間も胃袋は急激に空腹を覚え始め、彼女たちはスマホをしまいフォークとナイフを手に持つと、無言のままパンケーキを丁寧に切り分け、そしてぱくりと一口、口の中へと頬張った。


「んー!美味しい!」

 梓の顔が綻び、嬉しさを顔全体で表現する。

 そしてまた一口と、その手は休まることなく動き続けた。


 詩は、梓ほど素直に感情を表に出さなかったものの、その美味しさに感動し、梓と同じくパンケーキを無心で食べ始めた。

 それから間もなくして、気が付けばお皿の上は、あとかたもなく綺麗になっており、彼女たちは「ごちそう様でした」とフォークとナイフをお皿の上に置いた。


「たまには、こういうのもいいね。また今度一緒に行こっか」

「うん!」

 梓の誘いに、詩は大きく頷いた。


 ちらほらと浴衣を着た女性客が席を離れていき、まばらに空席が目立つようになりかける。

 時刻は17時20分を指していた。


「そろそろ私たちも行く?」

「うん」


 そういうと、詩と梓は席を立った。

 久礼町駅は、彼女たちのいるカフェから徒歩5分のところにある。

 駅に到着すると、そこには隣町で行われる葉月町の夏祭りに向かう人たちで混雑していた。


「わあ、こんなに人いるんだ」

 梓が駅のホームですし詰めとなった行列に驚く。

 電車がホームに到着し、ぷしゅーという音を立てて扉を開くが、そこには予想通り多くの人が乗っていて、億劫な気持ちになりながらもその電車に乗り込んだ。

 一駅先の葉月町まで、揺れる電車の中のつり革を握りながら、詩と梓は外を眺める。夏の太陽がようやく傾き、その輪郭をようやく地平線を重ねた。


「ねぇ、おねえちゃん」

「どうしたの?」

「おねえちゃんさ、悟のこと好き?」


 唐突な梓の質問に、詩が驚き、硬直する。

 そして顔を赤らめ、流れていく外の景色を眺めながら「うん」と答えた。


「私ね、悟と屋根の下で何日過ごしてみたけど、なんも進展なくてさ。容姿もおねえちゃんと一緒なのにどうしてだろうって思ってたんだ。学校でおねえちゃんと悟がどんな話をしてるかわからないけど、きっと見えない何かでおねえちゃんと悟は繋がってるんだなって思ってさ」


 梓の独白に詩は静かに耳を傾け、彼女の顔を見つめた。


「それでも、やっぱり私も悟が好き。私に本気で向き合ってくれたの、悟だけだったから本当に嬉しかったんだ。だからね、私も諦めないからね」

 梓はまっすぐ詩の瞳を見つめる。その瞳には、何か強い光のような意思があると詩は感じた。


「それに、ライバルは私だけじゃないんだから。気を付けてねおねえちゃん」

「……え?」


 含みのある梓の言葉に詩は驚いたが、その真意を聞こうとした瞬間、電車にブレーキがかかり、葉月駅へと到着した。

 一気に電車内の人の流れが激流と化し、それに揉まれて流されそうになる詩の手を、梓は離れないようにとぎゅっと握り、ホームへと出た。


 そして手をつないだままホームを歩き、改札口へと向かう。

 彼女たちの目線の先には、すでに悟と慎之介と恵の姿があった。


「ねぇ、おねえちゃん」

「ん?」

「私ね、今すごく幸せだよ」


 梓は詩の手を強く握りしめた。

 握られた手のひらの中で、姉妹の温かさじんわりと生まれ、それに呼応するかのように、詩もその手を握り返した。


 きっと生涯、忘れられない夏祭りになる。

 詩はそんな予感を胸に抱きながら、悟たちのもとへと駆け出した。

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