第38話 友情のその先へ(詩編 上)
「お姉ちゃん、入るよ」
こんこんと部屋の扉をノックする音が聞こえ、そこに入ってきたのは梓であった。
「どうしたの?」
詩は読んでいる本を机に置き、梓のほうへと振り向いた。
「ううん、今日どこかに出かけたいなって思ってさ」
「いいけど……着付けは?」
「浴衣着つけた後にさ、お祭りまで時間あるかなって思って。簡単にお茶するだけでいいんだ」
「うん、いいよ」
詩は微笑んだ。
その答えに梓は「ありがとう」と返し、詩の部屋を後にした。
時刻は13時を指しており、15時からの着付けまであと2時間ほどの時間があった。
お昼ご飯を食べた後の空白の時間が、詩の眠気を誘う。
詩はベッドでごろんと横になり、白い天井を見つめた。
彼女が高校へと入学してから、早いものであっという間に4ヶ月が過ぎていった。
詩にとっては、今まで生きてきた中で、最も目まぐるしく駆け抜けた時間であり、人生の転換点ともいえる時間であった。
それもこれも、悟に出会ったことが始まりであった。
高校に入学して1ヵ月も経っていない頃、詩は自分のことを見てくる学校中の生徒の視線に辟易としてしまい、体調を悪くしてしまっていた。
確かに平均的な容姿でないことは彼女も理解している。
祖母がロシア人であるために、髪色も隔世遺伝によって金髪であり、瞳の色も青い詩は、他人からの視線を奪ってしまうには十分すぎるほどに美しいものであった。
元々詩は、人慣れが出来ず、引っ込み思案の性格であったために、敏感に人が発する雰囲気というものを察することが出来た。
それが不幸にも、校舎内で浴びた視線をより意識してしまい、少しだけ精神を病んでいた。
何より、その視線を集めるということはそれだけ、誰かに向くはずであった視線を奪ってしまっているということと同義であり、結局それは、どこかの誰かの嫉妬を生み出す原因ともなって、根も葉もない噂を流されることとなった。
入学してたった1ヶ月だというのに、そんな状況に陥っていた詩は、不安で夜を寝付けない日々を過ごしていた。
そんな状況の中で、クラスで席替えを行った際に隣に来たのが、悟であった。
今まで詩に話しかけてくる人の視線はどこか下心が垣間見えていたが、悟からは不思議とそれを感じることがなかった。
そんなある日、暖かな陽気が差し込む窓際に来たせいもあったのか、夜眠れずにいた睡魔がひょっこりと顔を出し、現代文の授業を寝てしまった。
慌てて起きるも、すでにそれは授業が終わるチャイムが鳴った直後であり、ノートを取ることが出来なかった。
ふと横を見ると、悟が視界に入り、緊張しながらもノートを貸してほしいと詩はお願いをした。
「いいよ」と彼は笑いながら、詩へとノートを貸してくれた。
お礼をきちんと言わなきゃと思っていたが、悟はノートを貸したと同時に走り去ってしまった。
その後ろ姿を見ながら、「嫌われたわけじゃないよね……」と少しだけ彼女の指は震えた。
きっとあの時から詩の運命の歯車が変わったのだろうと、今更になって思い返した。
その運命の歯車を動かしたのは紛れもない悟であった。
だが、ここで、詩に少しの不安がよぎる。
詩はプラネタリウムで星を鑑賞した際、暗がりであることをいいことに、悟にキスをした。
人に恋をするなどといったことは彼女にとって初めての経験で、本来であればきちっとステップを踏んでから行えばよかったものを、いきなり行動に移してしまったものだから、彼女は自分のした行為についての恥じらいの火照りを未だ覚ますことが出来ずにいた。
幸い、学校は夏休みのため、お互い会う機会は少ないが、アルバイトを始めた恵のお店では、シフトが被ると時折、彼と視線が合うことがあった。
「好きだ」と自分から言ったのに、もしかしたら断られるんじゃないかという一抹の不安だけが詩の心の中を漂い、自分の好意とは裏腹に彼を避けてしまっていたのだ。
最後の一歩を踏み出す勇気が湧かない。
そんな時、タイミングよく出た話が夏祭りに行こうという悟の提案であった。
友達と夏祭りに行くということは初めての経験であり、彼女にとってひそかな楽しみとなっていたが、それと同時に、自分の好意に対して一歩踏み出さなければならないという緊張もあった。
たった数時間後の私はどうなっているのだろうか。
詩はそんな期待と不安が入り混じったため息を吐きながら、少しばかりの眠りについた。
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