3話:世界一長い十数分


 ドメンコの朝は着替えと同時に河合からの連絡を聞いて始まる。

「おはよう。この前の子が、来週あたり話をしに来るってよ。親子と妹の四人でな」


 河合は言いながらもパソコンで何やら操作をしている。ドメンコの経験では、今日中によからぬ知らせが届くに違いない。

「それと着替えながら聞け」


 すでに届いていた。ベルトを締めるまで待っていただけで、事態はすでに進んでいたのだ。ドメンコは最後の上着を掴んでスクリーンに向かった。


「早速だが出る準備をしろ。ちょうど今、情報が送られてきた」


 スクリーンに地図を移した。車道を移動する点は、杏のバイクを示す色だ。


 行き先は少なくとも海から離れる道で、乗用車を背後から撮った写真が順々に開かれ、不明瞭だった写真は河合が手動で閉じていった。



「犯人は二人、中学生ほどの子供があの後部トランクに押しこめられているそうだ。港から離れているから、とりあえずは安心だな」

「怖いだけで済む、か。狂ってるよな」

「そうだな。もうすぐヘリが来る」


 ドメンコは机に用意されたゼリー飲料を一気に飲み、棒状に固めた小麦粉を口に放り込んだ。


「出られるぞ」

「二番だ」


 棚の二番からリュックを背負い、眼鏡を取り出しながら屋上へ向かった。


 この眼鏡があれば、窓や水面の乱反射で先が見えなくなるところを、変更レンズのおかげで中まで見える。今回は車内の確認と、アスファルトの照り返し軽減が目的だ。


 ヘリの音と同時に梯子が降りてきた。ほとんど減速なしで迫る縄梯子をドメンコは掴み、室外機とフェンスを飛び越える。そのまま目的地への飛行が始まった。


 空路ならば目的の地域まで五分ほどだ。



 空中で通信をうけた。

「こちら河合。聞こえるな。どうぞ」

「こちらドメンコ。どうにか聞こえる。どうぞ」

「このあとの指示を伝える。三件だ。どうぞ」

「了解。指示を三件。どうぞ」

 河合からの連絡をうけた。

ひとつめ。降りる予定地に自転車がある。

ふたつめ。建物の位置が割れている。先回りをする。

みっつめ。杏が追いついた。挟み撃ちにする。



「了解。頼みが一つある。どうぞ」

「頼み了解、聞こう。どうぞ」

「操縦士の指導をしてくれ。危なっかしくてたまらん。どうぞ」

「指導は無理だ。危ないのは元々だからな。以上だな」

「以上だ」


 ドメンコはビルの壁を蹴って看板を横に飛び越えたり、重心移動で次のビルまでに衝突を防ぐ軌道の振り子運動にして、世界一長い五分間を過ごした。



 ようやく降りられた。

 地上の感触がずいぶん懐かしく感じる。自らの意思で動けるのはすばらしい。基本的人権のひとつ、移動の自由だ。

 これからドメンコは、自由を脅かされている人を取り戻しに行くのだ。


 自転車に乗った。

 大通りまで出たところで、道の脇に停まり、さも通勤中のサラリーマンが急な連絡を受けた風にして、端末を確認した。映っているのは目的の建物への地図だ。

 杏のバイクは音が特徴的になる改造をしている。大通りを走っているので、画面を見たままでも近づく音がわかった。

 ドメンコも同じ方向へ走り出し、追い抜かれ様に車を確認した。

 偏光レンズのおかげでリアガラス越しに頭が見えた。聞いていた通り二人のようで、明らかに杏に追われていると気付いている。


 この状況は、ドメンコを見落としやすい。分かれ道で見えなくなったならば尚更だ。

 杏の狙いは、ドメンコが到着するまで車の二人を追い回し、その後でマシントラブルを装って逃げきらせることだ。今のうちと思って駆け込んだところにドメンコが突入する。

 バックミラーにドメンコを確認し、杏は逃げきらせる準備に移った。


 ドメンコはひと足お先に目的の建物に到着した。

 半開きのシャッターを覗くとクリーニング店のようだが、閉店を知らせる張り紙がある。

 骨だけになったハンガーラックの陰で、バケツの中にいかにもな物品を確認した。

 この様子にしたら誰も入りやしないし、外から覗いたのでは気づけない。


 通信機が喋った。

「ドメンコ、向かいの喫茶店に入れ。店主との話はつけてある」





 ドメンコが喫茶店に入ると間も無くして、目の前で件の車が半開きのシャッターに飛び込んだ。


 リモコン式の静かに閉まり、同時に杏が到着した。


 耳を近づけて話し声を聞く。同時に、録音機に聞かせる。

 下衆な会話と、くぐもった声を記録した。


 証拠を確保したら、あとは解決するだけだ。


 ドメンコは折りたたみ式のマスターキーを斜め向きに叩きつけた。

 肘を伸ばした程度の重さと大きさを振りおろし、衝撃のすべてを鈍な刃に集中させる。シャッターが軋む音とは別に、室内からもバタバタと乱暴に片付けるような音が聞こえた。


 二度三度と叩き、シャッターに人が通れるほどの穴を作った。

 破片がタイヤの下に入り込むように場所を調整してある。もし大急ぎで車に乗っても、バックで、しかも勢いを削がれては、ろくに動けやしない。


 トランクが閉じているので、二人の男は大慌てで悪あがきを始めた。

「おいアンタ、いきなりシャッター破りやがって、弁償しろ弁償! 木下、警察を呼べ!」

「は、はい!」

 細身の男に席を外させて、ガタイのいい方が受け持つ。普段ならこれで誤魔化せてもドメンコに対してはそうはいかない。

「ここから、女の子に乱暴をしようとする声が聞こえたんだが」

「見ての通りここにいるのは男二人だがね」

「そこの車。トランクを開けてくれないか」

「何者だろうと、そんな権限ないだろ。そうだ、令状はあるのか」


 会話の途中で、トランクを中から叩く音が聞こえた。非力ながらもここにいるぞと主張している。


「どうやら言い逃れは失敗のようだな」

 ドメンコが言い終える前にガタイのいい男は踏み込んだ。

 右の拳がドメンコに迫る。とはいえ所詮は素人技で、せっかくの筋力が重心に引かれて、方向がぶれて、届く頃にはずいぶんと弱っている。


 前腕を外側から叩き、方向を逸らして背中を向けさせた。

 そのまま手首を捻って杏の元へ差し出し、インシュロックで左右の親指を束ねた。

「お前も、仲間だったか」

「そうね。けど私に任されたのは私人逮捕だから、速やかに警察に引き渡すわね」



 やりとりを背に、ドメンコは運転席に駆け寄る。横の窓をマスターキーで破り、トランクの鍵を開ける。


 中には中学生ほどの少女が畳まれていた。

 この場の残りは杏に任せて、ドメンコは細身の男を追った。


 杏はまず口を押さえているベルトを外し、石を包んだハンカチを吐き出させた。

「苦しかったよね。もう大丈夫よ」

 少女はまだ咳き込んでうまく話せない。

 落ち着くより先に、足を束ねていたベルトを外し、姿勢を楽にさせて、最後に腕を束ねていたベルトを外した。


「トランクから出すよ。足元に一つだけ破片があるから、ゆっくり降りて」

 少女は再び自らの足で立った。つい数十分がひたすらに長く感じていた。もう来ないかもしれないとも思えた感触を再び味わえたのだ。

 杏に抱きつき、声をあげて泣いた。

 互いの背中に腕を回しあって安堵する。


 その光景を恨めしそうに見る男が、ドメンコに連れられて歩いてきた。

 先のガタイのいい方と並べて、インシュロックで親指を束ねる。

 破れたシャッターの前で異質な二人が座っている。

 警察よりも野次馬のほうが早く集まった。


 ドメンコは中を隠すように立ち、警察がいつ来るかと周囲を見渡している。その間の杏は、少女の身を野次馬から隠すべくジャケットを被せて、同時に自らとドメンコが何者かを伝えていた。


 警察がやってきてようやく野次馬が離れていった。ドメンコと杏は事の次第を説明し、犯人たちを引き渡す。

 すでに河合からの話が通っているおかげもあり、必要な連絡はすぐに済んだ。


 一件落着、と息つく前に最後のひと仕事がある。

 アジトに帰るには、自転車と共に、長い坂を越えるのだ。

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特務捜査官ドメンコ・マブイコウォッチ エコエコ河江(かわえ) @key37me

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