2話:守れた日常
「これで最後だ」
河合はクラッチバッグを渡した。ドメンコは付箋の住所を見て、すぐに再び外へ向かう。
「ついでに買い出しもするが、何か特筆するものはあるか」
「メールで、そうだな。二〇分以内に送る」
「了解」
ドメンコと河合が知り合ってから三年ほどになる。
初めは分担を話し合うだけで昼食どきになっていたのが、今では同じ時間で雑務を片付けられる。
ドメンコは現地に出向いての活動全般を受け持ち、河合は通信機器による交渉や情報の処理を担当する。
両者の得意分野を引き合わせた女性・
まずは余裕があると返信を送り、ついでドメンコに買い出しの内容を送った。
「いつものケーキ屋さんで、ザッハトルテと、山盛りイチゴショート。ドメンコも食べるなら自分で選べ」
それだけ送ると湯を沸かし、ティーカップに注いだ。
カップに湯を注ぎ直したころ、ドメンコが帰ってきた。
空になったクラッチバッグを定位置に戻し、報告を口頭で短く伝えた。
「すっかり元通りの暮らしをしてるそうだ。ただし、道の選び方と帰る時間帯が変わってる」
「懸命だな。当分は安全だろう。お疲れ様」
キーボードで入力する河合の手元、書類の下に銀色のトレイが見えた。
ドメンコは姿勢を下げて、隙間から中身を覗く。
あったのは注射器だ。
「河合。その注射器は何だ。まさかとは思うが、違法じゃあないだろうな」
河合の顔色は、見せたくなかったものを見られたように澱んだ。しかし、焦りの色はない。
「安心しなよ。合法だし、有害でもない。何の薬かは言いたくないが、これを見なよ」
河合は袖を捲り上げて、肘の裏と肩を見せた。
左肩の、二の腕側に小さな絆創膏がある。他の目立つ痕が見当たらないことから、注射針が入った場所はここで間違いない。
「筋肉注射か。信用する」
「話が早くて助かるよ。ちょうど彼女も来た」
大型バイクの音が建物の裏手から聞こえてきた。
エンジン音が僅かに違って、ドメンコたちだけに位置がわかる改造が施されている。
ヘルメットをライダースーツの腰に留め、リュックを下ろして扉へ向かう。
手荷物とバイクが赤で他は黒の、長い肢体と豊かな御身に、髪を長く靡かせる。
その目立つ姿を見て、偶然にも通りかかった者らはいつも足を止める。そこに男女の隔てはない。
「お邪魔するよ。お久しぶり」
「ようこそ。元気そうで何よりだ」
杏は土産を取り出した。北海道のニジマスだそうだ。
杏は胸の隙間に指を入れて、爪ほどの半導体を取り出した。
「何故そこに?」
ドメンコは疑問を呟いた。
「ここならまず見つからないから。もし無理矢理に盗ろうとしたら、それだけで周囲の目が性犯罪に向く」
河合の様子から、過去にもそうしていたのだろう。いつもは話の途中でドメンコが戻っていた。
「盗ろうとする奴がいる、ってことか」
「おそらくね」
周囲を味方につけるため、セクシーな服装で注目を集める。杏の強かな考えは二人ともが信用している。
読み取り機に半導体を差し込んだ。
中のデータは文書と暗号で、杏の婚約者の妹を狙った何者かの計画を察知したらしい。
「とりあえず位置情報を把握できるようにしてる。もちろん同意の上でね」
河合は短く唸り、パソコンに新たな書類を作った。
「当分は僕だけの役目だな。ドメンコは休め」
「いつまでだ」
「一週間、もしくは普段の行動範囲を外れたらブザーがなる」
河合はテストとして不愉快な低音を慣らした。
「この音がね」
ドメンコは確認した。
「何度聞いても気持ちが悪いな」
「そりゃよかった。気持ちよかったらそのまま寝てるだろうし」
話しながらも河合は手早くプログラムを選んでいった。
杏が口を開いた。
「ところで、河合くん。あるでしょう」
「あるよ。ちょうど同じくらいでこっちの準備も済む」
「しとくわね」
杏は勝手に引き出しを開けて、中から銀色の、箱型のゲーム機を取り出した。
普段は観測した情報を映す大画面に接続し、電源を入れる。
「茶菓子は置いとくぞ」
ドメンコはケーキの箱と食器を置き、仮眠室へ向かう。
河合の準備が済んだ。コントローラーは青を河合が取り、黒を杏が取る。
聴き慣れた音楽と歓声を受けながら、それぞれ緑の配管工と二枚目の鳥を選び、一本目の勝負が始まった。
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