第4話

 外から村の宿屋に帰ってくると、アルドはカウンター脇のイスに深く腰を下ろした。すかさずひざに飛び乗ってきたヴァルヲをあやそうとして、あばら骨がツキンと痛む。村人たちに薬草を練り込んだ湿布を貼ってもらったが、戻ったらフィーネにもう一度診てもらったほうがよさそうだ。

 また顔をしかめるだろうな。心配してくれるのはありがたいが、妹の小言は厄介だと思う自分に苦笑う。そのわずかな振動も傷に響いて、アルドは天井を仰ぎため息をついた。

 ギルドナとシャルルはこの上にいる。血の獣の襲撃によってシャルルの家は壊れてしまった。アルドとギルドナが治療で一時的に貸してもらった部屋を、シャルルは新しい家が建つまで住まわせてもらえることになった。

 なんでも、宿屋の女将はシャルルの亡き父親の姉だそうだ。いっそ一緒に暮らしてもいいんだよ、とひどく心身を案じてくれていた。

 強烈な血臭をまきちらしながら登場したギルドナに眉を跳ね上げた女将を見た時はどうなるかと思ったが、てきぱきと清潔な布や温かい湯を用意してくれた心遣いには感謝しかない。

「おや、アルド様お戻りで。温かいお茶でもお持ちしましょうか」

 のれんを掻き分け、奥から現れた女将にアルドは「ありがとう」と返す。その時頭上から家鳴りが降ってきてやはり思い直し、「俺はいいよ。シャルルに持っていってあげて」とつづけた。

 ヴァルヲに声をかけ、ゆっくりと立ち上がる。のんきな歩調で階段に向かえばちょうどよくギルドナが下りてきた。

「そっちの首尾は」

 短く問うギルドナにアルドは首を竦めてみせる。

「見つからなかった。だけどヴァルヲがしきりに気にするところはあったよ」

「他にあてもない。そこへ行ってみるとするか」

「そっちはどうなんだ」

 ギルドナはすぐに答えずカウンターに目をやった。茶をいれに下がったかそこに女将の姿はない。しかしギルドナはアルドをうながし玄関扉へ歩き出した。階段を見上げて「いいのか」と問いかけたが、ギルドナはなにも返さなかった。

 アルドが村の北部へ足を向けると、前に出たヴァルヲに導かれるようにして進む。あたりはまだ夜の幕に覆われ、点々と道を照らすたいまつの火が時折パチンとぜた。

「あいつには話した。俺もお前も神などという存在ではないと。それどころか俺は未来で人間と戦争を起こした、忌むべき魔獣だと」

「ギルドナ」

「今の俺がしたことではないとしても、事実は事実。過去からも、今向けられている憎しみからも俺は目を逸らさない。……そうすることしか思いつかない」

「シャルルは、なんて」

「泣いていた。おそらく。顔は隠していて見えなかったが」

「ちゃんと謝れたのか?」

 そう尋ねたとたん、めんどうだと言わんばかりにしわを刻むギルドナの名前を強く呼ぶ。すると項垂れるようにうなずいたが、アルドはあえてしつこく食い下がった。

「本当に?」

「言った。謝った。聞こえてたかは知らんがな」

 去り際に、前振りもなく、ぼそりと謝るギルドナの姿が目に浮かぶ。そんな言い方では聞こえていない可能性のほうが高いが、アルドはギルドナを見つめるシャルルの桃色の瞳を振り返って微笑んだ。

「届いてるよ、きっと。シャルルなら」

「ふん。お人好し者同士の勘か」

 偏屈の照れ隠しをアルドはからからと笑い飛ばす。また盛大にへそを曲げるかと思ったが、ギルドナは唇に指をかけてなにやら思案していた。

「あの桃色の目、ずっと気にかかっているんだが……」

「あ。俺も思ってた。未来で子孫に会ってるのかな」

「何代先だと思ってるんだ。さすがに面影も残ってないだろ」

「そうか? 先祖返りってこともあるぞ」

「いや違う。俺は確かにどこかで――」

 ギルドナの声はそこで途切れた。不思議と思って見ると金の瞳がハッと見開かれ、かすかに揺れていた。しかしすぐに頭を横に振り散らす。アルドは目をぱちくりと瞬かせ、なんだと問いかけたがギルドナは「なんでもない」と片づけた。

 先を行く黒猫がひらりと飛び乗ったのは、アルドとギルドナが時の大河に乗って流れ着いた石舞台の上だった。ヴァルヲは楽しげに細長いしっぽをくねらせて虚空を熱心に見つめる。

 ここに時空の穴が開いていた。ということは再び開くかもしれない。その可能性に賭けて、アルドとギルドナはひやりと冷たい石舞台にそろってあぐらをかいた。

 その向こうはなかなかに勾配のきつい斜面がある。もっと先はどうなっているのか暗くてよく見えない。だが吹き上がってくる風に髪がもてあそばれ、この石舞台は高台にあるのだろうと想像する。

 長い時間の経過を、白みはじめた東の空とじんじん痛む尻が知らせてくる。時空の穴はまだ開かない。いつも感じる焦げ臭いにおいとほんのり甘い香りも漂ってこない。

 そろそろ別の手段を考えるべきか。アルドがそう思った時、背後で砂利を踏む音がした。

「ギルドナ様。アルド様」

 その声にアルドはシャルルだと確信を持って振り返った。しかし青白い薄闇と同化するような褐色の肌が目に飛び込んできて困惑する。緑の髪を肩に垂らす彼女はどう見ても別人だ。

 なぜシャルルだと思ったのか。自分が信じられない。

 しかし長い前髪の間からひたと注がれる桃色の眼差しを見た瞬間、脳が揺さぶられた。あの瞳を知っている。ギルドナを神と信じるひたむきなまなこだ。

 いいや、それよりも前に、あの瞳は今にもこぼれ落ちそうな涙を湛えて切なく歪んでいた。

 ――わたしのこと、覚えてませんか……?

 そして、それも仕方がないことだと諦め、笑っていた。

 ふいに手を握られてアルドはびくりと我に返った。見ると褐色の肌を持つ女性がアルドとギルドナの前にひざをつき、ふたりの手をひとつずつひかえめに握っている。その手は人とは思えないほど、そう、ちょうどこの石舞台のように硬く冷たかった。

「わかりませんよね。シャルルです。ノーム様にお願いをして、ゴーレムに変えて頂きました」

 にこりと微笑んでいた瞳がギルドナを捉えて真摯の光を帯びる。アルドと同じように放心していた彼は小さく息を呑んだ。

「私、決めました。あなた様のことを後世に語り継いでゆきます。よい心を持つ魔獣もいることを世界中に広めて回ります。そうしたら、あなた様の未来を今より少しだけよくすることができるでしょうか」

 そう言うとシャルルは表情を暗くして、パッと離した手を自身の胸に引き寄せた。それはまるで、アルドとギルドナの体温を奪ってしまうことを恐れたかのような仕草だった。

「私にできるご恩返しはこれくらいしか思いつきませんでした。もちろんこの程度ですべてお返しできるとは思っ――」

「バカだ。お前は大バカ者だ!」

 怯える手を力任せに引き寄せてギルドナは怒鳴りつける。か細く震えた肩にアルドも身を乗り出し触れた。触れることを恐れないで、けして嫌がりはしないと思いを込める。

「自分がなにをしたかわかっているのか!? お前は人のことわりから外れた。長い時の流れに取り残され、お前は……!」

 ギルドナは盛大に舌打ちして、その先につづくはずだった言葉を噛み殺した。

 つまずいた拍子に折れた足首。割れる片腕。断面からぼろぼろと崩れ去っていく少女に、駆け寄る者は誰もいない。高台の強い風に吹かれちぎれる枯れ草の髪を、愛でてやることもできなかった。

 次々とあふれてくる映像たちにアルドは目頭が熱くなる。そんな自分を罵った。覚悟を決めた桃色の眼差しを前に、涙など侮辱だ。

「ギルドナ様の痛みを知らぬ者にどうして語ることができましょうか。人ではなくなり初めて、あなた様に近づけた気がします。寂しくはありません。ギルドナ様に頂いたやさしさがどんな夜もきっと、私のここを温めてくれます」

 そう言いながらシャルルは胸に手をあてにっこりと微笑む。ギルドナに掴まれた手をやんわりと外すと、彼女は半身下がって美しく指をそろえ頭を下げた。

「ひとつわがままを聞き届けてくださいませんか。未来へお帰りになる前にほんのひと時で構いません。このシャルルとともに夜明けをご覧になってください。最後の思い出に、どうか」

 ひゅるひゅると物寂しい鳴き声を上げる風が、どこからか焦げたにおいとほんのり甘い香りを運んでくる。ふと、パチンッと奇妙な音が弾けてシャルルはそろそろと顔を上げた。

 そこにアルドとギルドナの姿はなかった。空に雷雲のような黒いもやが見えたと思ったが、瞬く間に消えてしまう。

 シャルルは石舞台の周りに目を走らせ、まさかと肝を冷やし急斜面を覗き込んだ。その頬を金色の朝日が照らし出す。朝霧が薄まり、眼下に広がる草原が現れても探し人の姿はどこにもなかった。

「アルド様……? ギルドナ様……?」

 忽然と目の前に降り立ったふたりは、またしても突然にこの場所から旅立ったのだと理解して、シャルルはひとりうつむいた。




 時空の狭間を流される間も、ギルドナは過去のシャルルへ伸ばした手で闇雲に空を掻いていた。待ちぼうけている時は開かないくせに、肝心なところで邪魔をする。時の気まぐれに募るやるせない怒りは、音にもならずギルドナの中で渦巻く。

 ふと、その手のひらが硬いものにぶつかった。草の感触。土のにおい。地面に着いたと認識するや否やギルドナは走り出す。走り出してからここが現代のアヌル平原だと気づいた。

 しかし旅立った場所ではない。そう遠くはないがどこか茂みの中だ。行く手を阻むかのような枝葉たちをへし折りながらギルドナは吠える。

 光の強いほうへ。もうすぐそこだ。あと少し。だが、低木にマントが引っかかり急ぐギルドナを足止めした。

「ふざけるな! こんなことで、あいつをひとり逝かせるわけにはいかない!」

 むしり取る勢いでマントを脱ぎ捨てた時、後方からサッと駆け抜けた一陣の風が視界を塞ぐ木々を斬り開いた。

「行け!」

 響いたアルドの声にギルドナは振り返らなかった。戦友が示してくれた光差す道を一心に駆ける。

 草原のまぶしさに目が眩み、高台に叩きつける強風に煽られる。逸る気持ちで走らせた視線の先に、同じく風に吹かれる彼女を見つけた。

 折れた手足は風に散り、枯れ草の髪が頼りなく揺れ、今こうしている間にも風化した体はサラサラと砂となり小さくなっていく。浅く早くなる呼吸のままにギルドナは地を蹴り、ゴーレムの少女に向かって手を伸ばす。

 夜明けをともに見る。その約束は守れなかったが、せめてお前の問いかけに答えてやりたい。

「シャルルーッ!」

 振り向いたシャルルは朝焼けの空のように美しい瞳を細めて微笑み、伸ばした手が届く前に砂と消えた。

「シャルルのしてきたことは無駄ではない。そうだろ、アルド」

 確かに見えた朝焼け色をまぶたの裏に閉じ込めて、ギルドナは追いついてきた気配に問う。

「ああ。シャルルの思いはバルオキー村のみんなに受け継がれてる」

 他ならぬ村出身のアルドの言葉は、強い風に吹かれるギルドナの胸をなぐさめた。

「……ありがとう」

 ひゅるひゅると高まるばかりの風に乗せてギルドナがぽつりとささやいた時、ひと握り残った砂の中から小さな種が転がり落ちた。

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救世主と疫病神と血に飢えた獣 紺野 真夜中 @mayonaka_k

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