第3話

「アルド様! 血の獣は!?」

 農具を手に若い男たちを集め駆け寄ってきた臨時村長に、アルドは無言を返した。地面に落ちた自分の剣を拾い上げ、かがり火にぬらりと光る刀身を見つめて唇に歯を突き立てる。シャルルの血をそのままに、半身振り向いたアルドはしかし村の男たちのことは見ずに淡々と口を開いた。

「シャルルが、獣にさらわれた」

 どよめきが起こる。誰かが、こんなことははじめてだとつぶやいた。

「臨時村長。女性と子どもを一番頑丈な建物に一ヶ所に集めて、その周りを男たちで固めるんだ。たいまつをもっと増やせ。火を絶やすな」

 アルドは座り込んだままの男を見据えて低くうなった。

「シャルルは、俺とギルドナが助ける」

「わ、わかりました。直ちに! アルド様、どうかシャルルさんをお願いいたします……!」

 慌ただしく駆けていく村人たちの足音を聞きながら、アルドはギルドナに向かっていった。横向きに持った剣を青い鼻先に突きつける。

「見ろ。シャルルがお前のために流した血だ。彼女は武人でもなんでもない、ただの村娘だ。それでもお前に他力本願と言われて剣を取った。お前のために自分を盾にした。それなのにお前は……!」

 アルドは剣を地面に突き刺し、ギルドナの両腕を持って無理やり立たせた。

「お前も俺もただ見ていただけか!?」

 ギルドナを突き飛ばす。されるがままの彼は半壊した家のがれきにつまずき尻を打った。

 わかっていた。こんなのはただの八つ当たりだ。しかしここまでしてもシャルルの血さえ目に入っていないギルドナの曇ったまなこに気づいて、どうしようもなく腹が立つ。

「なあ。どうしたって言うんだよギルドナ! なんか言え!」

「……あの獣は、俺だ……」

「は?」

「同じ、波長を感じた。魔獣が秘めるプリズマの……」

 アルドは口を開いて、頭の中を飛び交う言葉が定まらなくなり、結局閉口した。ギルドナが感じたものがつまりなにを指すのかわからない。可能性が多過ぎた。

「だからそれは、あいつがこの時代の魔獣ってことか……?」

「と、仮定すれば俺の始祖だ。もしくはこの時代に流れ着き、濃いプリズマに我を忘れた者の成れの果て、か……」

「始祖だったら倒すのはまずいよな」

「別に。討ち取ればいい」

 そう言ってギルドナは突然笑い出した。かがり火をつけて回っていた村の男たちが驚いて足を止める。ひかえめに呼びかけるアルドの声も届かない。

「神などと! その神こそが血の獣だとも知らずに。この村は愚者の集まりだな! 討ち滅ぼせばいいんだ。俺たちはどの時代でも……。そうだ。疫病神だ!」

「笑うな!」

 アルドの一喝いっかつはギルドナの嘲笑を掻き消し、家屋の割れた窓ガラスをビリビリと震わせた。

 大股で詰め寄り馬乗りになって肩へ掴みかかる。怪我人だろうと構わなかった。

「お前とあの獣は違うだろ!? お前は人間と争う道を捨てた! その新しい未来の芽まで摘み取ることは俺が許さない!」

 まだ目に迷いを湛えたギルドナが口を開きかけるのを見て、アルドは肩を突き飛ばし立ち上がった。

「あの獣は魔獣の始祖なんかじゃない。もしそうならもうちょっと話がわかるはずだ」

 ギルドナはしばし黙ってうつむいていた。アルドがもっと魔獣と血の獣の違い――たとえば体毛で覆われているとか、腕が伸びたり目がぎょろっとしていたりして気持ち悪いとか言い募ってやろうと考えている内に、深く長いため息が流れてきてギルドナはゆっくりと立ち上がる。傍らに放り出されていた自分の剣を持ち、腰に収めた。

「つくづく不思議に思う。どう育ったらお前のようなお人好しになるんだ」

「俺に聞かれてもなあ」

 アルドは少し離れたところからこちらをうかがっているヴァルヲに目を留めた。つられてギルドナも視線を下げる。ヴァルヲはしっぽをひと振りして、ケンカ終わったか? とでも言うように短く鳴いた。

「確かにお前の生い立ちじゃ参考にならないな」

「シャルル助けたらちゃんと謝るんだぞ」

「助けたら帳消しになるんじゃないのか」

「そういうとこ直したほうがいいと思う」

 アルドは突き立てた剣を抜き、シャルルを必ず助ける、その誓いを立てながら大きく振って血を払った。「急ぐぞ」先に駆け出したギルドナを追って林に入る。

 そこはもう人の領域ではなかった。どこか遠くで魔物の遠吠えが響いている。


 アルドは林の中を駆けながら茂みを注視した。最初は風の音かと思ったが、気のせいではなく自分たちの足音についてくる気配がいる。

 剣を抜きながらアルドはギルドナを呼んだ。

「わかっている。……来るぞ!」

 頭上の枝が激しく揺れ、葉が雨のように舞い降る。鞘から抜いたギルドナの刀身はすでに赤々と燃え、プリズマを解き放っていた。

 次の瞬間、赤い爪を振りかざし奇声を上げて襲いかかってきた獣に、ギルドナは半円の軌跡を描いて斬りつける。その赤き炎にパッと照らされたせつな、アルドは片手に捕らえられ気を失っているシャルルを見た。

「右手だ! 注意しろ!」

「その腕ごと斬り落とせばいい!」

「足を狙う。飛べ!」

 息つく間もなく再び獣に立ち向かっていくギルドナを見て、アルドは闘気を練り上げる。低い構えから放つ横一閃は、赤と青の衝撃波となって地を駆け抜けその軌道にある草花を両断する。

 しかし獣は高い跳躍で宙に逃げる。いや、この動きは想定済み。逃げた先には一拍早く飛んでいたギルドナが、白刃を月光にひらめかせ待ち構えていた。

「そのおてんば娘は返してもらうぞ!」

 上段から迷いなく振り下ろされた刃は、シャルルを握り締める獣の腕を断ち切った。

「ギエエエエエッ!」

 その瞬間、天を向いた獣ののど奥から耳障りな悲鳴が爆発した。ただの声であるはずなのに、それは突風のように木立を仰け反らせ無防備なアルドの鼓膜を襲う。米神を殴られた時のように目の前が眩んだ。

「まず、い……」

 自分よりも獣の近くにいたギルドナが、転がったシャルルの傍らにひざをつく姿が見えて奥歯を噛む。

 援護に入らなければ。よろめく体をなんとか踏み留まらせたアルドの目に、黒い大蛇が飛び込んできた。それが急伸した獣の腕だと気づいた時には深くみぞおちにめり込み、数メートル吹き飛ばされる。

 アルドの体が幹に激突して止まった時、問答無用になぎ払われた木々がメキメキと倒れ大地を揺るがした。遠ざかる意識にしがみつきながら、アルドは頭の中でドクドクと鳴る警鐘を聞いていた。

 早く。立って戦え。ギルドナとシャルルは無事か? 視界が定まらない。剣を持つ手が震える。ギルドナ、動けるならシャルルを連れて逃げろ。そう叫びたかったが、のどから出てきたのはひどい咳だけだった。

 苦しさににじみ出てきた涙の向こうで、ゆらりと立ち上がるギルドナの背が見えた。我を忘れたかのように暴れ狂っていた獣の赤い目がひたとその姿を捉える。

小癪こしゃくなまねを……」

 吐き捨てて、剣を向けるギルドナに怒りを覚えたか、獣は小さな子どものように体を無茶苦茶に振り回した。

 片腕を失った傷口から噴き出る血が、ギルドナの金髪も青い肌もしとどに濡らす。それでも彼はシャルルを背にかばい一歩も引かなかった。

「魂を失い、痛みまで忘れたか。お前はもはや生者ですらない」

 ふと、ギルドナから息を抜くような笑い声がこぼれた時、枝葉を揺らす風がやんだ。

「血の獣。お前を斬り捨て、俺が歩む道の礎にしてやろう!」

 ギルドナの啖呵たんかに重ねて獣が吠える。いっそう激しく降りしきる血の雨の中、剣を振りかぶるように構えたギルドナに向かって大きくしなった黒い腕がうなりを上げる。

 その時、闇夜をきらめくオレンジ色の光が飛び交った。

「ためらうな! もっと火を投げ込め! 林はまた苗を植えればいい。ギルドナ様たちをお助けするんだ!」

 木々の間から臨時村長の号令が響く。アルドが目を走らせた時、またしても暗闇からたいまつが投げ込まれ獣の足元に転がった。

 先端で赤々と燃える火は近くの草を焼き、飛び散った油の上を走る。絶え間なくひらめく火の玉は繋がり、拡がり、盛り、みるみると獣を囲み込んだ。

 それを見てギルドナは深く息を吸い、剣を下から上へ大きくひとつ振る。すると切っ先から風が生まれ、火はまるでギルドナに応えるかのように天へ舞う。二度、三度と剣を回すごとに高まるギルドナの闘気に引き寄せられ、火は渦となり刀身に宿った。

 獣は今までになく甲高い声を上げて身をわななかせる。逃げられる! アルドが鈍痛を抱え腰を浮かした時、急に地面が隆起し獣の片足を捕らえた。

「逃がしません……!」

 獣に向かって震える手をかざしているのはシャルルだ。魔法が使えたのか。驚く間もなくアルドはギルドナから鋭い眼差しを受け取って走り出す。腹に響く痛みを歯で噛み殺し、炎の闘気を一気に練り上げ刀身にまとわせる。

 ギルドナが高めた集中力を解き放つ呼吸を感じながら、アルドは倒木を蹴って宙に舞いひと思いに剣を振り下ろした。

 天を駆ける竜のように飛翔し獣の体を貫いたアルドの斬撃と、爆発的に飛び散り相手を千々に斬り裂いたギルドナの斬撃は、赤とオレンジと白の閃光となって林を昼のように照らし出す。

 その炎風えんぷうは地面に残っていたたいまつの火まで吹き消した。

 着地の衝撃に堪えきれずひざをついたアルドだったが、顔を上げた時には炭と化した獣の体がぼろぼろと崩れ去っていた。しかしまだ妙な気配を感じる。と、シャルルの悲鳴が響きアルドは目を見張った。

「アイ……アイ……。アイシテ、欲シイ……オレモ。オレモ、アイ……」

 斬り落とした獣の片腕が蛇のように地を這い、シャルルにまとわりついていた。よくよく見ると手の甲に獣の赤い目がひとつぎょろりと生えている。

 獣の執念がもう繋がっていない腕を動かしていた。それはもはや血の獣と呼ばれた存在ではなく、怨念という寄生虫に操られたモノの姿だった。

 ギルドナはシャルルの頬に伸びる赤い爪の手を剣先で地面に押さえた。剣越しに目玉はギルドナをにらみ上げてぶるぶると震える。

「ニクイ。ニクイ。ナンデ、オ前バカリ……!」

「間違えるな。今のお前の姿は、お前自身が選択してきたことの結果だ」

 ギルドナはそう言うと一度目を閉じ、剣の柄に力を込めた。

「魔法が使えたのなら最初から使え」

 剣を収めてそっとシャルルを助け起こす手のやさしさとは裏腹に、ギルドナは素っ気なく視線をどこかへやって憎まれ口をたたく。頭からべっとり血をかぶったその惨状とにおいに、シャルルは差し伸べられた手をありがた迷惑そうに見ていたが本人は気づいていない。

「子どもの頃ノーム様に教わる機会がありましたが、私は覚えが悪かったんです」

 ギルドナ様。呼びかけてシャルルは首をかしげながらつづける。

「どうして助けてくださったのですか」

「村人たちがお前を助けにきた。だが獣は俺に向かってきたから斬り伏せたまでだ」

 そうですか、と笑ったシャルルの腕をギルドナがぐいと引っ張る。そのまま横抱きにされとっさにしがみついてしまったシャルルが、表情をしかめるのを目撃してアルドもつい「うえっ」と声をもらした。

 きついことを言った詫びのつもりで親切にしているギルドナに、自分のありさまを思い出せと言うべきだろうか。そもそも血濡れになっていることを忘れるやつがいるだなんて信じられない。まだシャルルに意地悪をしているのかと疑いたくなる。

 駆け寄りたくても駆け寄れず遠巻きに見ている村人たちの間を通り、そのままギルドナに運ばれていくシャルルと目が合う。目は語っていた。助けてください、と。アルドは迷いに迷ったが、珍しく素直になっているギルドナを尊重してやりたい思いに傾いた。

 アルドはシャルルに向かって手を合わせ、ごめん! と心中で叫んだ。

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