(2)責任の在り処

「知ってのとおりじゃが、転移の大魔法<パデス>は、普通の魔法ではない」


 巳太郎は、ゆっくりと語り始める。


 美佐も、一乃も、そして網助も、その心になにを抱えていたとしても、今はそのはなしを黙って聞くよりほかはない。


「長年にわたって魔をその深淵の縁ほどまでに修めし者が、その全能を持って発動をの鍵を示し、しかもそこに、エルフがその長大な時を費やして魔を凝縮させ封じ込めた宝玉を使わねば発動すらかなわない。規格外の力を秘めた魔法じゃ」


 巳太郎の言うとおり。


 パデスは、おいそれとできる魔法ではない。


 だからこそ、美佐は、今この江戸にいるエルフにしかエーワイスをばらまくなんてことは出来ない、と確信しているのだ。事実、連綿と歴史を紡ぐエルフの全員が、その長い歴史の中で<パデス>を使用したという記録さえほとんどないことを知っている。


 エルフにとって<パデス>とは、それほどの魔法なのだ。


「魔の力が空間を、そして次元をも穿ち、その境界に穴を開け、そのまま別次元へと貫き通すことの凄まじさはわかるじゃろ。そして、それほどまでに膨大な力じゃ、その規格外の魔の力が、この世に後遺症を残すことがあってな。」

「後遺症?」

「そうじゃ、魔の力が穿った次元の穴は、そこに一定の大きな通り道をこさえてしまってな。しかも、同質の魔の力を吸い寄せ、引き込んでしまうことがあるのよ。ちょうど、船の渦に木の葉が吸い込まれるようにな」


 魔の力と魔の力が干渉し合い、そして引き込まれる。


 美佐には、巳太郎の言いたいことが少しだけわかってきたような気がした。


「じゃぁ、わたし達がパデスで開けた穴に別の魔法が影響を受けったってこと」

「そうじゃな、似たような魔法が、じゃ」

「似たような?」

「ああ、そうじゃな、たとえば<メロードス>とかかの」


 <メロードス>


 次元に穴を開け、遠くの場所とつなぐという意味ではパデスと同じようなものではあるので、それなりに大きな魔力が必要な魔法。ただ、その規模は<パデス>とは比べようもなく、基本的に荷物を遠くに転送するときに使う魔法だ。


 そして、それは、それほど珍しくもない、いわゆる生活魔法の類。


 エルフなら二人もいれば隣町に荷物を運ぶことが可能だし、人間であっても、熟練の魔道士が5~6人、それに魔法の励起を簡単にする人間特有の魔刻という装置があれば苦もなく使うことのできる魔法だ。


 つまり、トリステアーのではよく見かける魔法。


 エルフの専売というわけでも、ない。


「パデスとメロードスはいわば、同じ魔法の大小が違うだけのもの。簡単に言えばじゃけどな。その結果、パデスで広げた魔の大穴にメロードスが干渉し、引き寄せ、隣町に送るはずだった荷物を……というわけじゃ」


 巳太郎はそういうと、エーワイスをつまみ上げ「これもそういうもんじゃろうと、思われるの」とつぶやいた。


 つまり。


「トリステアーノでメロードスを使って運ばれようとしていたエーワイスが、わたし達のパデスのせいで江戸に紛れ込んだってこと?」


 美佐の言葉に、巳太郎は黙ってうなずく。


 そして、網助が面倒くさそうにつぶやいた。


「そいつぁ、ちぃとばかし厄介ですね」


 網助の言う通り、もし、巳太郎が思っているようなことが起こっているとすれば、それは少しどころか相当厄介な話。


「そうですねぇ、もし、巳太郎の言うとおりのことが起こっているのだとすれば、この江戸のどこかに、トリステアーノでしか手に入らないものが今も流れ込んできているってことになりますものね」


 一乃はそういうと、ううむと唸って腕を組んだ。


 巳太郎もまた「そうじゃの、マズイのぉ」とつぶやいたまま、苦虫を噛み潰したような顔をしている。


 しかし、美佐は違った。


 そうか! わたし達の中に犯人がいたわけじゃないんだ!


 そう、美佐の心に広がったのは、その喜びだけ。


 一団の長として、そして王族の一員として、まず身内を疑うことに終止していた美佐ではあったが、とはいえそれは何より辛いことでもあったのだ。そして、いま、その疑いに大きなほころびが生まれた。


 しかも、ひとつ大きな見当もついている。


「ねえ、巳太郎。次また何か送り込まれるとしたら同じところになるかしら?」


 美佐の問いに、巳太郎は一瞬首を傾げると「そうじゃのぉ」とのんびり一言つぶやいて続けた。


「おなじところ、であろうな。一度開いた通路は、消えるのに時間がかかるでな」

「そう、じゃぁ」


 美佐はそういうと、懐から絵図面を出した。


「わたし達の次の仕事の話をしましょう」


 これには、一乃が声を荒げる。


「なに言ってんるんですか、こんな大事なときに、またあの善兵衛の仕事をしようなんて!」


 叫びながら立ち上がろうとする一乃、しかしそれを網助が冷静に押し留めた。


「熱くなるんじゃぇねよ、みっともねぇ。この話、どこに尻を据えてもお頭が一番居心地が悪いことくらいわからねぇのか」

「でも!」

「でもじゃねぇよ。少し考えればわかるだろうよ、ここで仕事の話をするんだ、エーワイスの一件と仕事の話に関わりがあるってこったろうよ、ねぇ、お頭」


 網助はそう言うと、ニヤリと微笑んで美佐に視線を飛ばすと、そのまま続けた。


「つまりだ、きっと、次の仕事場ってのが……」


 フフ、さすが網助。鋭いなぁ。


 善兵衛と大村、二人と話した時、美佐は町方がいくつかの場所に当たりをつけたという話を聞いた。


 善兵衛の前に広げられた絵図面、それは江戸の地図。


 そのうちのいくつかがエーワイスの出どころとして疑わしい場所である、と。


 というのも、美佐にはよくわからない話ではあったが、大村曰く東海屋がエーワイスのでどころであるとは到底思えない、ということだったのだ。だからこそ美佐は、その出処となる場所こそが自分たちの仲間の潜伏先だと考えた。


 だからこそ、脳にその絵を焼き付けておいた。


 頭に焼き付けた疑わしい場所に、仲間が出入りしていないか探るために。


 ……というのが、それが美佐の思惑だったのだ。


 しかし、いまは違う。


「そう、次の仕事場、そこがきっと次元に空いた穴の出口」


 巳太郎の言葉に、その確信が生まれた。


 そして同時に、なにがなんでもこの件だけはエルフで決着をつけなければいけないことだということもわかった。


「巳太郎、穴、塞げるんでしょ?」

「そうよな、大きさにも寄るがな、そんな大きな穴が空いているとは思えんので、まあ塞げるじゃろうとは思う」

「思うじゃ困るんだけど」

「くっくっく、年寄りに無茶を言うわい」


 巳太郎爺さんはそう言って笑うと「ま、任せておけばよい」と自信あり気に請け負って美佐にほほえみを投げた。エルフでも屈指の魔の使い手の言葉は、それだけで美佐に大きな安心感を与えてくれる。 


「で、場所はどこなんですかい?」


 そんな中、一乃が急かすように問いかける。


「それは、まだ不明、一個づつ潰していってもいいけど、としても善兵衛さんと相談しなきゃ」


 この言葉に、今日何度目になるかわからない一乃の怒声が飛ぶ。


「善兵衛なんぞと話を付ける必要はないでしょうに!」


 はぁ、っと、美佐が深くため息を付いてたしなめようとした時、網助が出し抜けに一乃の頭をポカリとぶった。


「な、なにをするんだい!!」

「なにするんだいじゃぁねえや、馬鹿野郎」


 そういうと網助は、急にエルフ語でしゃべり始める。


「イーノ、これはアーデルト近衛隊長として問う。我は王陛下の軍幹部、王族側近騎士たる貴殿より格は下となるが、有事においては上官ともなる、覚えているな」


 確かに、アーデルト国軍兵であり純粋な序列で言えば王族付きの騎士であるイーノより下。しかし、アーデルトが幹部としてある国軍は王の軍。一方イーノのその主は姫であるミサリリア。


 つまり、二人の関係は、序列で言えばアーデルトが下だが、その主の位は、言うまでもなく王の足下にあるアーデルトの方が高くなるという複雑さ。


 結果、アーデルトの言う通り、有事や緊急時には王の代弁者としてイーノが上官となることもあるのだ。


 ただそれは、王命ある場合、に限られるのだが。


「し、しかし、いまは……」


 いまここに王命はない。そうである以上、イーノは受け入れがたい。しかし、美佐がそこに口を出した。


「イーノ、アーデルトの言に従いなさい」

「ひ、姫……?」

「王不在時の全件代理者は王族、つまり、これは王命です」

「グッ……」


 イーノは押し黙る。


 それを見て、アーデルトがゆっくりと口を開いた。


「イーノ、お前の気持ちがわからないわけではないし、同じ思いを抱いても居る。しかしだ、貴様がさっきから、怒鳴りつけているお方、それは誰だ」


 軍の一隊を預かる長として、アーデルトが積み重ねてきたその経験の重さが、普段の網助とは全く違う重みを持ってイーノの心に迫る。それだけに、たった一言で、イーノの顔にピリリとした緊張が走るのが見えた。


 さすが、父様が、近衛の長に任命しただけのことはある。


 その姿に、美佐も、頼もしさとともに畏怖を感じざるをえない。


「貴様は、王族の足下にあるもの。いくら姫が親しく接せられても、友誼や親愛の情ですらも、相互に尊重されるべきではなく、仕える姫たるミサリリア様の許諾のもとにある。であれば、いくら姉妹の如き間柄であろうと、その御前にて暴言を吐くは不敬であり、その意に背くは反逆であると知れ!」


 アーデルトの反論を認めない迫力に、イーノがゴクリとつばを飲む。


「不敬とあらば即座に懲罰に値し、もしや反逆とあらば、この私、近衛兵長アーデルトと一戦交えることになると、そう心に刻みつけておけ、良いな!」

「か、かしこまりました」


 イーノが折れる。


 いや、さすがにここは、折れざるを、得ない。


 それを見て、アーデルトはフッと息を吐いてニヤリと口の端を上げ、網助の口調になって馴れ馴れしく美佐に報告した。


「と、ま、そういうことでござんすよ、お嬢」


 そういうと網助はぺろりと舌を出して、美佐にペコリと頭を下げた。


 そして、それを受けて美佐は、感心したようにほほえみ返しつつ言った。


「時々ちゃんとするのね、網助は」

「いつもちゃんとしてたら、疲れるじゃありませんか」


 そう軽口を叩く網助を見て、美佐は、それがたとえ王族の性だとは言え、仲間を疑わざるを得ない自分を疎ましく思った。そして同時に、自分の後ろにあるエルフの仲間たちを何より頼もしく感じた。


 だからこそ。


 強く言い切る。


「この件、きっちりかたをつけるまで、わたし達に休みはないと思って」

「へぇ、承知」


 網助はそう答えて、その場に頭を垂れる。


「も、もちろんあたいも構いませんが、あたいは、その、あの善兵衛って男がもうなんだかとても嫌いなんで……」


 一乃が、口惜しそうにつぶやく。


「なぁに、そりゃあっしも同じでやんすよ」


 往生際の悪い一乃に、網助が口裏を合わせる。


「あっしらはお頭のいうことなら何でも聞きやす。しかしね、善兵衛とかいうわけのわからねぇ人間風情にこき使われるいわれはない、そう心得ておいてくだせえ」


 網助はそういうと、困惑する美佐にいっそ挑みかかるような真剣な眼差しを飛ばして釘を差してきた。その一言に、美佐は困惑の表情を浮かべる。


「ま、話だけは聞きに行きやすがね」


 網助はそう言って笑う。


 しかし、その笑みを浮かべる瞳の奥に、得体のしれない危うい光を感じて、美佐は嫌な予感を禁じ得ないでいた。


 これはまた、ひと騒動あるんだろうなぁ。


 その脳裏に浮かんだ不安に、美佐は軽い頭痛を覚えて、やはり大きなため息をつくよりほかなかった。  

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大江戸エルフ奇譚 怪盗義賊ナガミミ小僧 綿涙粉緒 @MENCONER

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