第4段 嫌な予感

(1)怒りのエルフとエーワイスの衝撃

「わたくしは納得いきません、姫!」


 一乃が怒鳴る。


 いや、一乃と言うよりも、イーノと言ったほうがいいくらいに、美佐としても懐かしい言葉で怒鳴る。それだけに、美佐の顔はくもりっぱなしだ。


 姫って、さぁ。もう。


「一乃、私は美佐。あと、納得できないならどうするっていうの」


 美佐の言葉に、一乃は「ふんっ」と小さく吐き捨てて続けた。


「わかりきってござんしょう、善屋と大村、2つ並べて切り刻みまさぁ」


 無理やり大げさな江戸風にあらためた一乃の当てこすりのような言葉に、美佐は盛大にはーっとため息をつく。


 ただ、驚いたことに、血相変えて怒りをあらわにしたのは一乃だけ。美佐としても、巳太郎はまあ予想がついたとはいえ、網助もまた一乃ほどの怒りを見せず、ただニヤニヤと怒り狂う一乃を見つめているだけなのが意外ではあった。


 ただ、そのせいで余計一乃はご立腹なのであるが。


「だいたいあんたらもあんたらだよ、我らがひ、お頭をここまでコケにされておきながら、なんでそんなに落ち着いてやがんだい!」


 そこいら中につばを飛ばして、今度は背後に並ぶ巳太郎と網助に怒鳴る。


 ちなみに、ここは美佐の部屋。集められたのは、いま名前の上がった三人のみ。この人選は巳太郎の提案だが、たしかに全員の前で一乃がこんな演説をぶったら収拾がつかなくなったことだろう。


 美佐は、心中で巳太郎に感謝をしながら、口を開く。


「いい加減にしてよ、一乃」

「いいえ、黙りませんよ、あたいは」

「そう、じゃぁ」 


 そこまで口に出して、美佐は小さく首を横に振るうと、エルフ語で続けた。


「黙りなさい、イーノ」

「な……、はっ、姫様」


 こう言われては、一乃、いやイーノは黙るしかない。それは王族、特にミサリリア姫付きの護衛隊長として培ってきた長年のさが。イーノがエルフ国の国軍の兵ではなく。ミサリリアの私兵であることの、証。


「このたびの件は、私の落ち度です」


 美佐、いや、ミサリリアは威厳を伴う涼やかな声で続ける。


「しかし、相手には悪意がなく、そして、善屋はわたし達にとって命の恩人。たしかに大村に関しては心に引っかかることはありますが、私はエルフのその王族の姫。自らの落ち度を棚に上げて、相手を殺すなど出来ません」

「し、しかし!」

「イーノ、あなたの忠義、私は嬉しく思います。でもね、たとえいっときの仮の住まいかもしれないけど、私はこの街が好き。善兵衛さんはあんなだけどいい人だし、おカネさんは優しいし、ね。そんな人達の暮らすこの街を、混乱させるようなことを、私はしたくはありません」


 本心だった。


 突然飛ばされてきた江戸という異世界、そこは、どこかおとぎ話のようで、現実のものとは思われないような場所で、ここに飛ばされてきた直後のミサリリアならばきっとも痛くも痒くもなかったはずだ。


 なぜなら、そこにいるのは、物語の脇役たち。


 命も、温かみも感じない虚構のキャラクター。


 夢の中にでてくる、顔のない虚像。


 しかし、ミサリリアではなく、美佐となった彼女には、もうそんな事はできない。


 それに。


 美佐がこの件を善兵衛から請け負ってきた理由はそれだけではなかった。いや、エルフとしてここにいる全員と当たらなければいけない一件だと感じた理由は、だ。


「これ、どう思う」


 そう言いながら、彼女は小さな紙の包みを懐から出して床に投げた。


「は?なんでございますか?」

「開けてみなさい」

「はっ」


 イーノは恐る恐るその紙包みを受け取ると、そっと開いた、そして。


「こ、これは、まさか!」


 息を呑んだ。


 その様子に、巳太郎も網助も首を伸ばして覗き込む。そして同様に顔をしかめた。


「こりゃぁ、エーワイスですかい、お嬢」


 網助が吐き捨てるようにその、包の中のものをあててみせる。


「ええ、間違いないと思うの、そしてこれが……善兵衛さんや大村新左衛門がよ」


 そう、先日、うなぎ屋の二階で善兵衛に見せられたもの、それがこのエーワイスだったのだ。


 善兵衛と大村が言うには、東海屋を検めた結果、アヘンと思われるものは一つたりともでてくることはなく、代わりに出てきたのがこのエーワイス、善兵衛や大村いわく「よもぎに似ているものの見たことのない草」であったのだそうだ。


「こっちにも、あったんでございますね」


 網助につられたのかイーノも言葉が一乃に戻っている。


 うん、もう平気かな。


「善兵衛さんや大村様は見たことがないって言ってた、それにね」


 美佐が、言葉を戻して続けようとしたその時、巳太郎がボソリとつぶやいた。


「一乃は気づかんかの?」


 巳太郎の言葉に、一乃がなんのことやらという風情で首を振る。


「網助は?」


 網助も同様に首を振った。


「そうかい、剣術バカの騎士である一乃はまだしも兵卒である網助も気づかんとは、エルフも腕が落ちたということなんじゃろがな。まあ、ええわ」

 

 そういうと巳太郎爺さんは、目の前のエーワイスをつまみ上げ、その細い目でじっと見つめた。


「こいつには、魔法の跡がある。エーワイスの効果を魔法で誘導したあとがの」


 巳太郎の言葉に、美佐はゆっくりとうなずく。


「ま、まさか、そんな」


 一乃は、そうつぶやいて口を閉ざす。そして網助もまた、肺腑の奥から塊でも吐き出すような「ふぅー」っと重たくも苦々しい息を吐きつつ絞り出した。


「そりゃ、こっちの世界のもんじゃないってことですかい?」


 そう、なのである。


 善兵衛にエーワイスを渡されたその時、美佐もまた、そこに、この世界にはありえない魔法の痕跡を感じて戦慄が走ったのだ。


「そうよ、善兵衛さんや大村様がエーワイスを知らないのも当然よね」

「エルフではないからのぉ」

「……そう、ね」


 そう、エルフは草花に詳しい。


 当然、毒とも薬ともなるエーワイスはエルフにとって小さな頃からしっかりと教え込まれるたぐいの植物だ。それと同時に、その使い方や効果、そういったものもしっかりと教え込まれて育つ、それがエルフだ。


 そしてエルフは、エーワイスの効果や効能を魔法で制御しつつ使うのが常。魔法の作用により、毒にも薬にも自在に使うからこそ、エーワイスはエルフ草とも言われているのだ。


 そう、だからこそ、それは、つまり。


「あたいらいがいに、エルフがいるってこと……ですよね?」


 一乃は絞り出すように、そう吐き出した。


 しかし、美佐は、そんな一乃の善人ぶりに少しだけ鼻白んでため息をつく。


「わたし達の中に、いるかも知れないじゃない」

「そ、そんなことはありません!」


 一乃は叫ぶ。


 彼にとって、ここにいるエルフは、美佐を、ミサリリア姫を守るために身命をなげうってはたらく仲間。そして同時に、そのほとんどは、トリステアーノでも指折りに数えられるほど高貴なエルフの一族の出。美佐の目を盗んで、こっそりと持ち込んだエーワイスで悪事を働くような、そんな卑しいエルフではない。


 だからこそ、語気も荒くなる。


 しかし、美佐は違う。


「ないって、なんで言い切れるの?」


 美佐とて、仲間は信頼している。


 しかし同時に、彼女は王族。


 そして王族とは、理不尽に命を奪われるその時、その殆どが敵国ではなく、足元の人間によって命を奪われる宿命を背負った生き物なのだ。だからこそ、信頼はしていても信用はしていない。王家に生まれたその瞬間から、それがどこの誰であろうと、心の底から信じ切って疑わないなど、出来ない身体なのである。


 そして、それは、一乃にも、痛いほどわかっていることでもある。


 王家のもとに、いや、ミサリリアの足下に護衛騎士としてはべっていた彼女にとって、それは、常識であったはずなのだ。


「も、申し訳ございません」

「ううん、謝ることないよ、一乃。あなたはそうでないとだめだから」


 そして美佐もまた、騎士として、仲間を信じる一乃にその責はないと知っている。そうでないと、彼もまた職責を全うできないのだから。


「お取り込み中悪いんですがね」


 と、その時、網助が口を挟んだ。


「なに、網助」

「へい、いや、そりゃ確かにエーワイスに詳しいのはエルフですがね、でも、エーワイスに魔法をかけるなんざ、魔法の初歩中の初歩でござんしょ。別に、エーワイスに魔法が残ってたからと言って、やったのがエルフだとは言えませんやね」


 確かに、網助の言う通りだ。しかし、美佐は即答で否定する。


「ううん、無理」


 そうはねつけた美佐の表情は揺るぎない。というのも、エーワイスに細工することは出来ても、異世界に来るなんてことが他の種族にできるはずがないのだ。


 この世界に美佐たちを導いた<パデス>という転移魔法。それは、魔法において最上位種族のエルフでもごく一部のものでしか唱えることの出来ない大魔法。今ここにいいる美佐たちの仲間でも、できるのは巳太郎だけ。


 しかも、そこにはアメンテの宝玉というエルフの宝が必要不可欠。


 つまり、アメンテの宝玉がない、自分たち以外のエルフであっても、この世界に来るなんてことはできない。


 どう考えても無理。敵は、仲間の中にいる。


 善兵衛にエーワイスを見せられてから、胸に渦巻く疑念。それは、もはや、美佐の中で確信に変わっているのだ。


 しかし、ここで、巳太郎が口を開いた。


「ふむ、じゃとすればエル・ヘリオかもしれんの」

「え?」

「エル・ヘリオ、またの名を『魔法力の位相世界に対する共鳴と連鎖がもたらす干渉と誘引の第四法則』じゃ」

「まほ……?」


 首をかしげる美佐に、巳太郎は小さく微笑むと、続けた。


「まあつまりは、わしらでなくともあり得るということ」

「ほんとに!」


 魔法の大家によって語られる嫌な疑念を晴らすかもしれない一言に、美佐は歓喜の表情で詰め寄る。そして巳太郎は、そんな美佐に釘を差すように続けた。 

 

「そして同時に、わしらのせいでもある。ということじゃな」


 巳太郎はそう言うと、ホリホリと額をかいて、説明をはじめた。

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