(4)善兵衛と大村
「ぜんぶの説明の前に、ひとつ聞いてもいいですか?」
中串でお腹いっぱいになるとともに、なぜがすっかり落ち着いてしまった美佐が、食後のお茶をすすりながら話を切り出した。
「なんでぇ、いったい」
善兵衛が答える。ちなみに大村は、いまだに中串をつついている。
どうやら、彼は食が遅いらしい。
「お二人のことですよ」
「いや、美佐を謀ってたことは謝る。そこのそれとわしはその実は……」
「えっと、それは、その善兵衛さんと大村様が何やらつながっているのは、後で詳しくはききますけど、そうじゃなくて、そんなことよりなんで善兵衛さんはそんなに偉そうなのかなって」
「なんだと」
なんとなく勘違いした様子でいきり立つ善兵衛に、美佐は慌てて訂正する。
「いや、そうじゃなくて、大村様に対してですよ。だって、大村様はおとなしくはあるけどお役人様、お侍様ですよね」
「ああ、その件か」
善兵衛はそういうと、我関せずとばかりに鰻を頬張る大村を一瞥し、またしても小さくため息をついて、続けた。
「この野郎はな、善人とは程遠い悪党の出なのよ」
「はい?」
だって、北町のお役人でしょ?
美佐は驚きとともに心中で漏らす。
しかし、その驚きももっともな話で、確かに善人かどうかを試験して役人になるわけではないが、一般に江戸の役人のほとんどは世襲。少なくとも、どこの誰かもわからないような人間が同心になれるはずはないのだ。
元悪党が、試験や口利きで「ではよろしく」と成れる仕事ではない。
「ま、そういう顔になるわな」
美佐の表情に善兵衛は小さく微笑むと「これもらうぜ」と大村に断ってから大根の香々をひとつつまんで、ポリポリとかじりながら続ける。
「こいつの親父は大村平四郎、由緒正しき代々同心という家柄ではあるんだが、残念ながら子ができなくてな」
善兵衛の話に、大村は我関せずで、うなぎむさぼる。
「そこで、自分の養子に据えたのがそいつってわけさ」
「いや、そうだとしても、役人の家柄に悪党が養子に入るなんてこと……」
「まあ、ねえよな、だがよ」
当たり前の美佐の問いに善兵衛はそう答えると、恥ずかしそうに頭をかきながら真相を吐き出した。
「銭もあり、顔も立ち、それでいて出来たばかりなもんだからしがらみもねえ、そんな質屋の息子ってんなら、なぁ」
「え、じゃぁ、まさか」
善兵衛の言いたいことを察して、美佐が口に手をあてる。
「ああ、そうだ、そこのそいつは、わしの息子だ。まあ、血の方はつながっちゃいねえがな」
「ほ、本当にそうなんですか」
「ああ、まちげぇねぇよ」
と、そのとき、驚きに呆然とする美佐をよそに、やっとこ鰻を食い終わって優雅に茶をすすりはじめた大村が恨めしそうな目つきで割って入った。
「そこのそれだのそいつだのとひどい言いようですね、親分」
「お。親分?」
「お、まあ、そうだな、そこのそれは俺の……」
そんな二人の様子に、美佐は、一度は驚愕の表情をうかべルモ、その要領を得ない話に少しばかり苛ついた様子で鋭く言い放った。
「あの、悪いですけど、そこのそれについて、最初の最初からすっきり筋道を立ててはなしていただけませんかね」
「いや、おっしゃるとおりですね」
「おめぇ」
「いや、そこのそれ本人が答えるのがわかり良いでしょうから」
そう言って美佐の言葉を受けたのは、大村だ。
そして、大村は一度善兵衛に目配せすると、つらつらと自分の来歴を話し始めた。
「私は、もともとはそこの善兵衛親分のもとで盗賊をやっていた男で、名前は
「え、でもだって……」
美佐の頭の中に様々な思いが浮かんでは消える。
というのも善兵衛が一味を率いていたのは、十六から十九までの間だと聞いていたからだ。そして、そこから善屋を起こして名前が売れ、いまの善兵衛は二十五と聞いている。となれば、わからないのは大村の年齢だ。
実際、目の前の大村はどう見ても二十を過ぎた若侍。
到底、善兵衛の息子で通じるものではない。
「大村様はいったいいくつなんですか?」
「ええっと、十八ですね。もちろん、公には今年で二十五、そこの親分と同じ年、ということになりますが……」
「はぁ?!」
大村の説明に、美佐は呆れる。
そして、ここからは、続きましてとばかりに、そんな呆れ顔を情けなさそうに見つめていた善兵衛が受けた。
「まあ、そう困った顔をするんじゃねぇよ。その、なんだ、そこの七五三吉はわしが最初の盗みに入った家にいた子供でな、わしのもとで盗賊の端くれをしていたのは九から十二までの間。養子に出たのは十六のときで、わしと大村の父君との間で歳を二十三ということにしておいたのよ」
「なんでそんなことに?」
「まあ一つは大村の家に跡継ぎがなく、更にはそいつの父君は長くないことがわかっていた」
つまりは、すぐにでも働ける後継ぎが欲しかったというわけだ。
「そして、わしは、大村の父君のは大きな借りがあってな」
苦虫を噛み潰したような顔で、そういうと善兵衛は続ける。
「世間的には、犯さず殺さずを貫いていたわしら『悪たれ
「なっている……ですか」
「そうだ、実はな、最後のヤマで下っ端のひとりがその家の女中をやっちまってな」
そう、それこそが、善兵衛をして盗賊の道から足を洗わせた原因。
手下の女殺し。
その事を知った善兵衛は激怒し、そして、その手下を問答無用で惨殺し大川に投げ捨てた。ところがその流れた骸を足がかりに、大村の父君であった大村平四郎は善兵衛のしっぽを掴んで手繰り寄せ、なんと見事に眼の前に現れたのだ。
そして、こう、言った。
「足を洗え。そして、一味の中から使えそうな若いのを十年育て、のちにそれがしの養子として差し出せ」
それは異例の申し出。とはいえ、もちろん、善兵衛には断って潔く獄門台にという道だってあった。どちらかと言えば、善兵衛の性格ではその道が似合いだった。
しかし、だ。
「さすれば、すべてを見逃してやろう、その方の連れ合いも、な」
善兵衛の妻。
その女は、やはり盗賊の一味であった。盗人には珍しくもない哀れで無惨な出自の女で、盗賊には珍しく身の清いいい女だった。そして善兵衛は、その女に心底惚れていた。かけがえのない、菩薩のように崇拝していた。
なので、そういわれれば、善兵衛に、断る道などあろうはずはない。
断れる、はずがない。
そして、約束どおりに善兵衛は、手下のうちの年若い奴らの中で飛び抜けて優秀で自らの跡取りと見込んでいた七五三吉を育て上げ、少し予定よりは早くなってしまったが、胸のしこりが原因で先は長くないと悟っていた平四郎に七五三吉を新左衛門として養子に出した。
もちろん、それは悪たれ兵衛こと善兵衛にとっては屈辱であった。
ただ、それが、幸運を引き寄せる潮目となったのも間違いない話。
善屋善兵衛が、なぜだか役人に顔の効くとの評判で、質屋としての信用がよそとは一線を画す名実ともに大店となれた背景に大村平四郎の働きかけがあったのは間違いない事実なのだ。
結果、善兵衛にとって大村平四郎は、とてものこと足を向けて眠れるような人ではなくなった。
色々と引っ掛かりはあっても、心からありがたい御仁となった。
けっして、嫌いな人間ではなかった。
「ま、これが、わしとそこのそれとの全部よ」
そういうと善兵衛は、慈しむように大村新左衛門を見つめて言った。
「ちいと歳のことが気にはなったんだがな、おめぇも知ってのとおり、こいつの頭の冴えは人並みを外れてやがるだろ。だから、それくらいサバを読んだところで問題ねぇだろうって、な」
「それはそれは、お褒めに預かりまして光栄です」
「ぬかせ」
二人でそう穏やかに言い合って、微笑む。
それを見て、美佐は少しばかりわざとらしく頬を膨らませて言った。
「で、親子二人してわたしをハメたってわけですね」
言いながら善兵衛をギロリと睨む、が、今度は善兵衛に慌てた様子がない。
「ま、そういうことだな」
「負けて悔しいだの何だのって芝居まで打って」
「馬鹿野郎、それは本音だ。わしはお前らが、頭の冴えで調子に乗っているバカ息子の鼻っ柱をおってくれると期待していたんだぜ」
「どうだか」
「なぁに、嘘偽りはねえよ」
そんな善兵衛の様子を見て、美佐は「はぁー」っと少しばかり大げさにため息をつき、そして、微笑んだ。もちろん、きっと、心に怒りの火はともっていた。しかしそれよりもなによりも、なんだか楽しかったのだ。
正直、清々しささえ感じていた。
「おかしいと思ってたんですよ、そりゃ大村様は頭の良いお方かもしれませんが、いくらなんでもこの広いお江戸で東海屋一点にしぼって私達を待ち伏せするなんてできっこないですものね」
「やはりばれましたか」
そう言って笑ったのは、大村だ。
「最初は、レイラームスを見事に見破ったことに驚いちゃって、大村様の神算鬼謀はそこまでか、と感心したんですけど。ねぇ」
「ま、さすがに、無理だわな」
「はははは、で、ございますね」
そう、美佐自身も、善兵衛と大村とともに三人で中串を食べるなんて不思議な状況から推し量れば、大方のことには気付いていた。もちろん、息子だなんだというのはわからなかったものの、善兵衛と大村がつながっているのが明白な以上、東海屋の一件は善兵衛の言う通りの理由で自分が嵌められた。
か、もしくは……。
「で、私は合格なんですか?」
何らかの、試験を受けたのだ、と。
「結局失敗しちゃったから、お払い箱になるんでございましょうか」
「ばかいっちゃいけねぇよ」
美佐のいたずらっ子のような微笑みに、善兵衛は同じく微笑んでそう答えると、懐から一枚の紙を出した。
「次の仕事のはなしでもしようや」
「はぁ。ほんっと、
美佐も笑いながら絵図面の前に座って、背筋を伸ばす。
と、その時、大村が場違いな声を上げた。
「あ、私、ちょっと厠へいってきます!」
言うが早いか、バサリと絵図面を踏んづけて足早に出ていく大村の姿に、美佐と善兵衛はそろって大きなため息をついた。
「あれが、本当の姿なんですか」
「ああ、そうだ、ほんとに、困った野郎だぜ」
二人で言い合いながらも、顔を合わせて笑い合う。しかし、美佐の心中には、結構厄介な心配事が横たわっていた。
……このこと、一乃たちにどう説明しようかな。
こんなことを知らせたら、きっと荒れる。いや、大荒れになる。
それだけは、間違いないことのように思われた。
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