(3)揃い踏み

「おいおい、その話はわしと一緒にする約束だったんじゃねぇのか」


 そう言いながら登場したのは。


 なんと善兵衛だ。


 しかも、どことなくご立腹の様子。


 しかし、最も驚いたのは、言うまでもなく美佐だった。


「ぜ、善兵衛さん?」


 ただ、大村はひとりで涼しい顔だ。


「そうでしたか? たしかこの後お宅にお伺いするはずだったのですが」


 大村の言葉に、美佐が反応する。


「お、お宅に伺って?」

「言いませんでしたっけ、善兵衛と話をする必要が……って」

「え、あ、でも、それは……」


 戸惑う美佐、しかし、美佐の言葉を善兵衛は聞こえないかのように無視して大村に食って掛かった。


「ふざけんじゃねぇぞ、小僧。これがまってられるかってんだ、馬鹿野郎。美佐につけてよこしたうちの番頭が血相変えて飛び込んできやがって、わしの想い人がどっかの若侍と中串屋にしけこんだまま出てこねぇなんて話を聞きゃ、駆けつけるに決まってんだろうが」


 善兵衛の言葉に、またしても美佐は口を開け放って驚く。


 番頭がつけていたですって?!


 しかし、やはりそんな美佐の様子は、二人の男の目には入らないらしく。


「はははは、たしかにたしかに」

「で、どこまで話しやがった」

「いえ、まだ触りも話してございませんよ」

「なにぃ、なにちんたらやってやがんだ」

「話すなと言ったり、話せと言ったり分けのわからぬ」

「やかましい」


 なんと、美佐の目の前で、善兵衛と大村がに話しはじめたではないか。


 当然、美佐としては……血管が吹き飛びそうになっていた。


 つい先日、善兵衛とは大村に対する苦々しい想いでわかりあったはずだった。たしかに、こうしてのんきに白焼きをつついている以上、美佐としてもなんとなくその想いを裏切ってしまった感はあるものの、眼の前の光景を見れば話はがらりと変わってくる。


 そう、もしこの二人が旧知の間柄であったなら。

 

 のだ、エルフの全員が。


 許されようはずが、ない。


「何なんですか、一体これは」


 証拠に、発せられた美佐の声は、すでに殺気をはらんでいた。


「ひっ」


 善兵衛は、小さく悲鳴を上げる。


 それもそのはず、美佐のその一言とともに、かぶっていた頭巾は吹き飛び、隠していた金の瞳は輝き、色を変じて飛び出した金の髪が淡い緑の光を帯びて中空をふわふわと中空を生き物のように漂い始めたからだ。


 まさに外面如菩薩内心如夜叉。美しい顔の夜叉が不動明王もかくや在らんとばかりの火焔光をまとって眼の前に立っているかのようだった。


 その異様に、部屋の四隅を仕切る襖までもが細かく震えているように思われた。


「ちょ、ま、美佐、待て」


 善兵衛は震えながらも美佐を制す。しかし、その一言を無視して美佐が抑揚なくつぶやいた。


「せつめいしろ」


 声にまで魔力が乗り、一音一音が叩きつけるような衝撃を持って善兵衛と大村の身体を揺すぶる。


「でなければ、ころすぞ」


 正気を失ったエルフの恫喝。


 当然、善兵衛は青ざめてつばを飲んだ。


 一方、大村はと言えば、ワナワナと口を震わせ、そして……こう言った。


「す、素晴らしい……」


 そう、この期に及んで大村は、むしろ、いっそ羨望の眼差しとでも言いたくなるような、感極まった表情で美佐の姿を見つめていたのだ。


 そして、そのままあえぐように漏らす。


「そ、それが、美佐殿の本当のお姿なのですね……」

「ば、馬鹿野郎そんなことを言ってる場合じゃねぇ」


 善兵衛は慌てふためいて大村を制す。


 しかし、大村は、ゆらゆらと光を放ちながら立ちすくむ美佐の姿を恍惚の表情で見つめ続ける。そして、口の端から溢れるように、感嘆の吐息とともに心に浮かんだ素直な感想をこぼした。


 神か仏でも拝むような、そんな表情で。


「うつくしい」


 あまりに場違いな一言。しかし、なんとこれが、てきめんに。


 効いた。


「ひぇっ」


 その言葉に、美佐は珍妙な声で叫ぶと、一瞬呆然と大村の顔を見つめた。と、とっさに我に返ると慌てて髪と瞳の色を戻し、脱力したようにその場にぺたりと座り込んでしまったのだ。


 そして、そのまま叫ぶ。


「ちょ、な、なにいってるんですか!」


 言いながら、美佐は顔を覆ってうつむく。


 しかし、尖った耳は見えたまま。


 そして、大村はそれを見逃さなかった。


「そ、それが、エルフの耳なんですね」


 そうつぶやいて素早く美佐ににじり寄ると、突然手を伸ばして無遠慮に美佐の耳を撫ではじめたではないか。


「ひゃぁぃ」


 美佐は叫ぶ、しかし、大村の耳には届かない。


「なんて、なんて美しいんだ。なんて、素晴らしいんだ。このように美しいものが、このように素晴らしいものが、この世に、この江戸に存在するのか。これが、これがエルフだというのか」


 言いながら大村は、美佐の耳を優しく、そして、その感触を確かめるようにさわさわといじりだす。


 その表情は、もはや気味が悪いと表現するのが妥当な顔つきで、耳を触りながらも深く観察すべく顔を近づけるものだから、興奮して吐き出される荒い呼吸が美佐のもみあげを揺らして耳に吹き付ける。


 こうなると、さすがの美佐もたまらない。


 そもそも、家族や親族以外の男の顔がこの距離に近づいたこともはじめてなら、耳に息を吹きかけられ、あまつさえこれでもかとばかりにさわさわといじられるなど、恋のイロハのイの字も知らぬ美佐にはまさに拷問。


「あ、あひゃ、い、いひっ」


 もはや、失神寸前にさえ見えた。


「い、いひゃ、お、おおむらヒャま、だ、だめでえ、しょこわ、しょこわ、だめでごじゃ、はぅ」


 美佐は、あえぐような叫びを上げながら、腰砕けで上気した頬をさらす。


「だめ、しょこわ、だめぇ」


 とは言え、いかに初めてのこととは言え、エルフの姫である美佐がここまで無抵抗になるのは不自然。なの、だが。


 実はこれにはわけがある。


 なんのことはない、美佐にとって小さな頃からこの耳というのが最大の弱点で、ここを触られると魔法どころか正気を保つのも難しくなってしまうのだ。一般的にそれは、いわゆる性感帯というやつなのだが、性を持たない森の植物精霊『大森林のドライアド』より奥手と評判の美佐にそんな事がわかるはずもない。


「おひゃぁめくだしゃぁぁぁ」


 しかし、大村は気にせず続ける。


「あ、あ、あ。すばらしい。何という素晴らしい手触り」


 とは言え、いかにエルフの美しさに目の当たりにしたとは言え、北町の俊英たる大村新左衛門がここまで度を失うのは不自然。なの、だが。


 実はこれにもわけがある。


 この大村新左衛門、感動するほどの美しさに出会ったその時、正気を失ってその見た目、感触、そして匂いからなにからを堪能してしまうという弱点があるのだ。それは、美しい花を見れば見惚れて触って嗅いで食ってしまうという徹底ぶりで、毒花を食ったばかりに危うく三途の川を渡りかけたほどの男なのだ。


 が、この場においてはそんな事どうでもいい。


 問題は、呆れ顔の善兵衛の前で繰り広げられる、美佐と大村のなんとも馬鹿馬鹿しい饗宴のほうだ。 


 クニュ、クニュクニュクニュクニュクニュ。

 いひゃ、あ、にゃは、だめ、あ、ああっ。にゃぁ、ぴきょ。

 クーニュクニュクニュ、クニュックニュッ。

 あ、あわ、にゃ、にょへっ、あぴょ。

 クニュクニュクニュクニュクニュクニュ。ニュニュニュニュニュニュ。

 あぴゃあぴゃあぴゃあぴゃあぴゃあぴゃ。


「はぁぁぁ」


 深い、深いため息とともに、たまらず善兵衛が割って入った。


「いいかげんにしやがれ、ここはてめぇらの寝屋じゃねぇんだぞ」


 言われて二人はハッとする。


 大村は夢から冷めたように呆然と善兵衛を見つめて固まり、美佐は美佐で、くるりと大村に背を向けて、自分の敷いていた座布団で顔を覆うと「くぅぅぅ」と小さく呻きながらその場に突っ伏してしまった。


「ったく、わしは構わねぇが、それじゃぁ、店のモンが入ってこれねぇだろうよ」


 善兵衛は心底呆れた風情でそういうと、廊下側の襖をすっと一気に開いた。

 

 そして現れたのは、明らかにバツの悪そうな表情を浮かべた店の者。しかも、お盆を持つ手がプルプルと震えているところを見ると、ずいぶんと長いこと襖の向こうに立ち尽くしていたと見える。


「え、あの、すいません、しつれいいたしやす」


 瞬間、慌てて美佐は座り直す。ただ、真っ赤な顔でうつむいてはいるのだが。


 そんな美佐に一瞥をくれ、店のものは更にバツが悪そうに、美佐と大村の前に盆を恐る恐る置いた。そしてその盆の中央には、塗りの重箱に照り照りとひかりを放つなんともうまそうな湯気を立てる大ぶりの鰻がでんと鎮座ましましている。


 そのふっくらとした身のうまそうなこと。


「ちゅ、中串の方、二人前でございます」 


 途端、部屋の中に漂う香ばしい香り。


 そして、轟く腹の虫。


――きゅるるるるる


 その音に、美佐は慌てて腹を押さえ、更に真っ赤な顔になって「はぅぅ」とうめいた。見れば大村も笑みを浮かべて腹をさすっている。


「たく、てめえらは、腹まで騒々しいとみえる」


 善兵衛は苦笑しつつそういうと、無言で二人の頭を小突いた。


「す、すいません」

「ごめんな、さい」


 二人は素直に謝る。


 大村は申し訳無さそうに。


 そして、美佐はと言えば、一見神妙に謝っているようで、その実、両の目を鰻に釘付けにしたままで湧き出す唾を飲み込んでいた。それこそ、いまさっきまでの痴態など忘れてしまったかのように、いっそ睨みつけていると言ったほうがいいくらいの食いつきぶりで、だ。


 その結果。


 なんと美佐の身体から再び緑の光が淡く立ち上り始めたではないか。


「ひ、ひぇっ」


 それを見て、店の者が小さく悲鳴を上げる。同時に、善兵衛もまた息を呑む。そして、あわてて店の者の襟首をつかむと思いっきりドスを効かせて呻いた。


「ここはもういい、いいからおとなしく出ていきな」


 言いながら、善兵衛は慌てて店の者を引きずるように外に連れ出すと、懐から紙入れを出してその中身をそっくり握らせると「いいか、忘れな」とだけ小さくつぶやいて追い返した。


 そして、部屋に戻るなり「しまった」とばかりの表情をうかべる美佐をもう一度無言でガツンと小突き、ガクリと肩を落として続けた。


「ええい、もう、いいから食え」


 それを見て、大村はまるで人ごとのように「はははは」と高らかに笑い、こちらも善兵衛にガツンとやられた。


「てめぇも早く食いやがれ」


 それを見て美佐も小さく笑い、そして素早く手を合わせた。


「いただきまーす!」

「では拙者も、いただきまする」

「ったく、こちとら空っ手で待ちぼうけだってのによ」


 三者三様の声を上げ、それを合図に、がっつくような饗宴が始まる。  


 どうやら話は。


 その後ということに、なりそうだ。

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