(2)エルフと侍と、うなぎ。

「東海屋は店主と番頭が死罪、家族は江戸所払い。当然店はお取り潰しです」

「お店の人たちは?」

「それは、散り散りですね」


 仕方が、ないよね。


 美佐は少し伏し目がちになって、現実を噛みしめる。


「申し訳ない、お上もそこまでは手を出せませんので」


 それを察してか、大村も悲しげな声で答えた。


 と、なんでだか、ものの半刻ほどで何故かすっかり打ち解けてしまった二人。


 いま、浅草は「かわ屋」という、香ばしいタレの焦げる匂いではない、別のなにかが臭ってきそうな屋号のうなぎ屋の二階で、ほっこりと焼けた白焼をつつきながら東海屋の顛末について話し終えたところであった。


 つい先日、命のやり取りになりそうな修羅場を乗り越えてきたばかりの二人が、だ。


 というのも、この店について一言目、大村はこう言い放ったのだ。


「わたしは、あなた方の敵には回りませんよ」


 それを聞いた美佐は、なんの罠かと身体を固くしたものだった、しかし。


「わたしは勝てない戦いはしない男なのです。そして、使えそうな人間は、泥棒だろうと物の怪だろうと躊躇なく使う人間です」 


 そう言った大村の言葉、そこに嘘があるように美佐には思えなかった。


 そして、そののちにはなった大村の言葉が、決定打となる。


「ナガミミ小僧と北町同心大村新左衛門、この二人が組めば向かうところ敵知らずということに、なりませんかね?」


 その誘い、美佐には魅力的だった。


 というのも、美佐も美佐なりにずっと考えていたのだ。


 たしかに、大村が「勝てない戦い」と言う通りエルフがエルフの力を使って戦えば、いくら大村であろうと敵うことはない。大村だろうが町奉行所であろうが、それこそ江戸の公方様であろうが、向かい来る敵を蹴散らして、美佐たちの思う正義をこの世界で体現できるだろう。


 しかし、それはある意味だ。


 そこには、善兵衛と交わした殺さずの誓いがある。それだけではなく、そもそも、それ以上に、エルフは無駄な殺しを嫌う。


 そしてなにより、目的が何であれ、逃亡の果てにたどり着いた異世界人である自分たちをこんなにも受け入れくれた世界を、自分たちとは関係のない、いずれは旅立つ予定の世界だからと言って簡単には壊したくはない。


 いや、ここで出会った人たちの顔を思い浮かべれば、そんな事はできっこない。


 壊せる力があるからこそ、壊したくはない。


 だからこそ、この俊英と手をくめば、人を傷つけず無駄に被害を出さず、少しでも多くの人を救えるかもしれない。


 わたし達には力がある、そしてこの男には知恵と権力がある。 


「話だけなら、聞きます」


 そうしていま、美佐はここにいるの、だが。


「しかし旨いですね、白焼き」

「そうですね、びっくりしました」


 敵味方顔を合わせての秘密談合にしては、緊張感がまるでない。


 なんでだろ、簡単に味方になったって信じたわけじゃないんだけどな。


 美佐は我が事ながらに不思議な心持ちで首を傾げる。しかし、一向に答えが出そうにないので、自身もまた、のんきに白焼きをつついている。


 それにしても、ほんとに美味しい!


 元いた世界にいるときから、一般的に花の蜜や果物、イモ類など植物を好物とするエルフにあって、なぜか魚が大好物であった変わり者の美佐だ。そんな美佐にとって、おさかな天国と言えるこの江戸は最高の土地。


 しかし、そんな美佐においても、この白焼きは初体験にして極上の衝撃を与えるに十分の料理だったのだ。


 まずはうなぎ、この魚の凄さ。ホクホクとした白い身から漂う香ばしい炭と魚の脂の匂い、口に含むやいなやホロホロと自然に崩れてゆく繊細な身、それでいてしっかりとした野趣溢れる旨味を感じさせるくにゅりとした皮、それでいてクドくない極上の後味。


 ああ、なんでこんなにも上品にこってりとあっさりが同居できるんだろう!


 もちろん、そこにはしっかりとした調味の妙もある。絶妙の塩加減は言うに及ばず、物足りなくもくどくもない妙なる脂加減を実現させる極上の焼き加減。そこに、トリステアーノにも自生していたホーメルとよくにた、ツンと香るわさびなる薬味を乗っけてちょんと醤油につけて口に放り込めば、そこには典雅な味の花が咲く。


「ふぅぅ、すごいわ」


 流石におカネさんでも、これは作れないかな。


 そんな贅沢な悩みを抱えながらも、自然と顔がほころんでよく美佐。そして、それはとうぜん大村にも伝わっていて、美佐の顔をしげしげと眺めながら大村は愉快そうに尋ねる。


「お気に召したようですね」

「ま、まあまあよ」


 どことなく娘らしい裏腹な美佐の答えに、大村は小さく吹き出して、そして続けた。


「この後に出てくる中串は、更に」


 大村の言葉と同時に、階下から香ばしいタレの香りが登ってくる。そしてまた、その香りというのが、この世のものとは思えない天上の香気であることは、この座敷に通されるまでの道のりで先刻承知なわけで。 


 自称食べ盛りの美佐の腹の虫が、黙っていられるはずがなかった。


――くぅぅぅぅ。


 座敷に響く、情けくも恥ずかしい音。


 が、恥ずかしそうに口を開いたのは大村であった。


「いやぁすいません、さすがにこの匂いを嗅ぐと侍とはいえ腹がなりますね」


 え? なったのは、わたし……。


 戸惑う美佐に構うことなく、大村は廊下側のふすまに小さな隙間を開けるとパァンと大きな手を打った。


「中串はまだですか!」


 と、同時に隣の座敷から声がかかる。


「鰻屋で急かしてるんじゃぁねや、鰻ってのは時間がかかるほどうめぇんだ。江戸っ子だって黙って待ってるってのに、この田舎もんが」


 対して、大村も存外に大きな胴間声で声を返す。


「それは粗相申した、あいすまぬ!」


 その声に、隣の客から「げっ、二本差しじゃぁねぇか」という叫びが漏れ、続けて慌てふためいた声で「申し分けござんせん!」という声が返ってきた。それを受けて、大村は愉快そうに笑う。


「ははは、二本差しじゃねぇかまで聞こえていたのでは、意味がありませんね」

「ですね」


 愉快そうに笑う大村の、子供のような笑顔に、美佐もまた一緒に笑いだす。


 そして、それは、美佐にはとても新鮮で、心地の良いものだった。


 もちろん、これまで、こちらの世界でも、いや、元いた世界でも、美佐とともに笑い合ってくれる人はいた。それこそ、一国の姫であったトリステアーノ暮らしの中では、皆が美佐の笑顔のためにおつきの者たちがその周りをやはり笑顔で埋め尽くしてくれていた。


 そう、美佐は、これまでも決して笑顔に縁遠い娘ではなかったのだ。


 しかし、大村のその笑顔は、美佐と同じ位置にあった。同じ、高さにあった。


 下から微笑みかける姫時代の周囲の笑いでも、そして、こちらに転生してきてから感じた、暖かな、それでも皆、少しばかり上の方にあった笑顔でもない。美佐の目の前で、同じ高さで笑ってくれる、大村の笑顔。


 なんだろう、たのしいなあ。


 そんな思いに、自然と美佐の顔がほころぶ。


「中串、そんなに楽しみですか?」


 大村の軽口。冗談だってことは、美佐にも十分伝わっている。ところが。


「ちがいますっ!」


 わけもわからず、大村の言葉に、美佐は激しく反応してしまった。


 そんな自分に、美佐自身が少し戸惑う。心のどこかで、その強弱の調節が馬鹿になってしまったような、不思議な感覚。美佐は、そんな自分の不確かな感覚に、訝しくも戸惑いを隠せないでいた。と、同時に、今この場での仮初の身分を思い出す。


「あ、も、申し訳ございません。いや、その、ご容赦を」

「はははは、わかっておりますとも、いくら何でも年頃の婦女子に言うべき言葉ではございませんでしたね」


 大村は何事もなかったかのようにそうとりなすと「では、本題に入りますか」とつぶやいて、少し真面目な顔になった。


 そして、淋しげに、つぶやくように、語り始める。


「江戸は、乱れておりまする」


 その雰囲気に、美佐も姿勢を正して頷く。


「大権現様の築いたこの百年の泰平は、確かに、素晴らしい。しかし、その中でこの日の本は、いや、江戸の街は大いに乱れてしまった」


 平和が、乱す秩序。


 戦いの中で生きてきた美佐には、それは平和を生きる人間のワガママのように思えた。血に塗れ、戦い、抗い、泣き叫び。同胞を、友を、仲間を、家族を皆殺しにされ。城を、いや愛しき我が家を、国を、世界を追われてここに逃げてきた美佐には。


 しかし、大村の瞳に、美佐は反論できない。


 真剣に郷土を憂う、その瞳に。


「身分の上下なく人は享楽に走り、そして、金と快楽のみがその生きる目的となって、タガが外れたようにそれを求め、奪い合う」

 

 いい時代じゃない。


 楽しむ余裕と、手に入れようと思えば手にすることのできる金がある。虫のように地べたを這いつくばり、骸の上に座し、それをも食らって生きる者たちを、そんな民を、その目で見たことのある美佐には、大村の言葉は軽く、そして馬鹿馬鹿しいものに思えた。


 青臭い若者の、理想論にしか思えなかった。


 しかし、反論できない。大村の瞳が、美佐の言葉を奪うから。


 その、決意を灯しながらも不安げな瞳が。真っ直ぐで、悲しげで、壊れてしまいそうで。


 そして、美佐は気づく、そぼ感情に。


 そうか、わたし、この人を守りたいんだ。


「で、どうしたいのですか」


 助けたい、そう、思った。


「わたしに、なにをさせたいんですか?」


 この人の背中を支える手は、自分の手でありたい。そう、感じた。


 それは、助けられて生きてきた美佐にとって、はじめての感情。支えられて生きてきたエルフの姫であるミサリリアとしてではなく、見知らぬ土地の宵闇を駆けるナガミミの一味のお頭である美佐として、生まれてはじめて心に芽生えた心地よい感情。


 この人の、役に立ちたい、と。


「出来ることがあれば、何でもします。ナガミミ小僧の名に誓って」

「ありがとうございます。では、その話を」


 美佐の言葉を受けて、大村はそう切り出す。


 と、突然、隣の座敷とを隔てる襖が音もなくすっと開いた。 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る