第3段 悪党連合

(1)美佐も歩けば。 

――子供じゃあないんだから、お供はいりません。


 そう言って出てきた江戸の街。


 頭巾長屋のある町内以外は、夜寝静まってからしか歩いたことのないその街々は、美佐にとってちょっとしたお祭りごとのように心浮き立つものであった。


「すっごい、結構人いるんだ」


 美佐は、通りを歩く人々に目を見張りながら、そうつぶやく。


 確かに、美佐の元居たトリエステアーノとは違い、そこにいるのは全員人間だ。エルフは当然のこと、ドワーフも獣人もいない。しかし、そこには、それぞれ格好の違う様々な人が行き交っていて、どの世界でも変わらない人の「生きている人の姿」があった。


 しかも、かなりの数。エルフの城下でも、ここまでの人はいなかった。


 活気あふれる雑踏に、美佐はキョロキョロとあたりを見て歩く。


「お祭りみたいだな、すごく賑やか」


 それは、人っ子一人いない江戸の街しか知らない美佐にとって当たり前の感想であった。そして、お祭りを思わせるその雑踏は、さらに美佐の心をウキウキと沸き立たせる。


「なあ、そこの嬢ちゃん」


 と、そんなふわふわと浮ついた美佐の姿に、団子屋の店先で茶をすすっていたいかにも遊び人風の若い町人が気軽に声をかけてくる。


「どこの田舎もんかあ知らねぇが、こかぁ天下の大通り。賑やかであたりめぇだ」


 どうやら、美佐の声が聞こえていたらしい。


 口調は荒いが、顔は笑っている。


 いいなぁ、この雰囲気。


「まあひどい、こう見えても深川から来たんです」

「深川?じゃぁギリギリ江戸っ子かい」

「ええ、水道で産湯を使ったわけじゃないですけどね」

「そうかい、それでも朱引きのうちに住んでりゃ江戸っ子さ。なあ、ねえちゃん、団子でも食ってくかい?」


 ははぁ、ナンパだな。


 美佐は少しウキウキしながらも、男の顔をニコリと微笑みながら見つめると「おあいにくさま」と軽やかに返事をして、手を振りながら立ち去る。


「けっ、餓鬼じゃあるめえし、流石に団子じゃ釣れねえか」


 美佐の態度に、男は怒るでもなくそう言うと「気をつけなよ」と軽く手を振り返して再び茶をすすり始めた。そう、もちろん下心はあったのだろうが、男としては、見慣れぬ女の独り歩きにそれをいいたかっただけなのだ。


 もちろん、美佐も、その心遣いをしっかりと感じる。だからこそ、自然と笑みが溢れる。


 うん、たのしい!


 かつて、ミサリリアであった頃も、何度かお忍びで城下を歩いたことがある。 


 懐かしい故郷の城下町もまた、ここほどではなくとも活気に溢れた場所だった。ただ、常に横には護衛丸出しの兵士が付き従っていたのだ。それは、お忍びの意味を小一時間問いただしたくなるような、いわゆる視察。


 しかし、今回は、お供は誰もついていない。


 行きたいところに、行きたいように行ける。


 見たいものを、見たいように見られる。


 美佐は、冬の冷たい風をもろともせず、ニコニコ顔で往来を歩く。の、だが、彼女自身とあることに気づいていない。それは、いま、まさに、美佐が……。


 であるということに、だ。


 髪色は変えているとはいえ、エルフほどの絶世の美女が往来のど真ん中を紫の頭巾をかぶって満面の笑みで歩く姿。それは、すれ違う人間すべての視線を奪い、若い男はもちろん女衆にまでため息を漏らさせるに十分な威力。


 証拠に、ここから十日ほど『紫頭巾の娘』はこの界隈での語りぐさになったほどだ。


 だからこそ、この後のことも、当然往来の目を引いた。


 歩く美佐の後ろから、突然声がかかったのだ。


「またれい、その方、頭巾長屋のものであるか?」


 振り返ると、そこには二本刺しの侍。


 年の頃は二十前後と見える、好男子の看板をしょって歩いているかの如きシュッとした男だった。瞳はキラキラと輝き、頬には薄っすらと産毛が生えてるようにさえ見える。これで侍でなかったら、親しげに声をかけてしまいそうな、そんな雰囲気をまとった、男。


 しかし、そこは侍。


――侍にあったら、気をつけろよ。


 ここに来る前、ちょっとだけ立ち寄った善兵衛の家でしつこく言われた言葉。


 美佐はそれを思い出して、往来でうやうやしく頭を下げた。


「これはお侍様、なにか粗相を致しましたでしょうか?」

「あ、いや、そんな、こんな往来でそれは困る」


 なにも困ることないじゃない。


 自分が注目されているとは露ほども思わない美佐は、心でそうつぶやきながらゆっくり顔をあげると、更に深く腰を曲げて慇懃無礼なほどの挨拶の口上を述べる。


「申し訳ございませんでした。わたくし、お察しのとおり頭巾長屋に住まいます、美佐と申すものでございます。不調法にもご迷惑をおかけしたのであれば、平にご容赦ください」


 よし、善兵衛さんに習った通り。


 まさか頭巾長屋の名前を出されるとは思っていなかったから、ちょっとだけ一工夫はくわえたものの、美佐は、善兵衛に教わった口上をそっくりそのまま口にした。


 と、とたんに、侍は。


 笑い始めた。


「いや、ま、その……くっくははは、流石に加減をするものですよまったく」

「え、は、はぁ」


 美佐はよきせぬ態度に目を見開いてしばし呆然としてしまう。その御蔭で、眼の前で笑っている侍のその顔を思いがけずしっかりと見つめることになった。


 そして、気づいた。


 この目、この声……どこかで……。


 会ったことがある。


「まあいい、さて、頭巾長屋のお美佐殿。いや、こう言ったほうがいいですか」


 どうやら相手の侍も、美佐が何かしら思い出したことに気づいたのか、ぐっと体を美佐の方に乗り出すと少し低い声でそう話しかけた。


 そして、そこまで聞いて、美佐は心臓が凍りつくような衝撃を覚えた。


「あっ!!」


 このひと、まさか!


 それを見て、男はすっと美佐の耳元に顔を寄せると、小声でささやく。


「怪盗ナガミミ小僧さん」

「お、大村新左衛門!」


 美佐はそう鋭く漏らして、半足後ろに飛び退った。それは、大村新左衛門の刀の届かない距離、いわゆる間合いの外。姫とはいえ、戦いの歴史の中で身につけた護身の基礎。


 が、同時にそんな美佐の態度に往来が凍りつく。


 それを察してか、そんな美佐の様子に、大村は深い溜め息を漏らした。


「はぁ、これこれ、こんなところで役人を呼び捨てにしてはいけない」

「は?」

「いや、美佐殿、ここは往来ですぞ」


 それは、たとえ因縁ある相手でもさすがに往来で切りつけはしない。と言う大村の意思表示。と同時に、悪目立ちしている美佐に釘を刺す一言でもあった。


「さすがに、声が高い」


 大村の言葉に、ハッとなった美佐はおそるおそる周りを見わたす。そして、確かに自分と大村に注目が集まっていることを察すると、胸に手を当て「ほぉ」っとひとつ息を吐いて居住まいを正した。


 いけない、落ち着かなきゃ。


「な、なんのようです」

「東海屋の一件、尻の座りどころが気になりませんか?」


 言われて、またもや美佐はハッとする。


 それは、ずっと美佐の心に刺さっていた小さな棘。自分たちがしくじったせいで、東海屋の地獄から抜け出せない娘たちの顔が、浮かんでは消えるほどに鈍い痛みを与えていた、心残り。


 気になると言えば、大いに気になる。


「この先、懇意の料理屋があります、そこで中串でも頂きながら、ね」


 中串!


 美佐は突如現れたその一言に三度ハッとする。


 中串とは要はうなぎのことであるが、おカネさんに話を聞いた限りでは、こちらもまた気になるといえば大いに気になるもの。いやもう本当に心の底……胃の腑の底から気になる一大事だ。


 とはいえ、ついていくのは流石にまずいよね。


「で、そ、その、のこのこ着いていったわたしを捕らえようと?」


 ミサは涎が出そうな表情で、それでもなんとかそう言いかえす。それを見て、大村はなんとも愉快そうだ。


「ハハハハ、馬鹿を言ってはいけない。目の前で突然消える人間を捕まえるなんて無茶、する気はありませんよ、ただ……」


 そこまで言って大村は、途端、キッと視線をきつくして付け加えた。


「善屋善兵衛」

「えっ?」

「あなたが着いて来てくれないとなると、別件であの者を呼びつけて代わりに話を聞いてもらうことにはなるでしょうけどね」


 なんて卑怯。


 美佐は、中串の妄想なんか空の彼方まですっ飛ばして、歯噛みして睨みつける。


 つまりは、ここで美佐が着いて行かなければ、善兵衛を捕らえてお縄にしようという算段だということなのだろう。となれば、善兵衛の正体もそして美佐たちナガミミの一味との関わりも大村は押さえていると見て間違いない。


 こうなれば、美佐に断るすべなどないのだ。


「役人っていう生き物は、小娘ひとり誘うのにえらく無粋な手を使うんですね」

「いやぁお恥ずかしい、これまでこういう誘いはしたことがなくて」

「でしょうね」


 美佐はそう答えてゆっくりと頭を下げる。


 そして、少しの沈黙の後、意を決して大声で返答した。


 大村ではなく、往来に向かって、だ。


「ただの町人がお武家様に来いと言われて断ることなどできましょうか。どうぞ料理屋でも獄門台でも、寝間の布団の中であろうとも、お好きな場所にお連れくださいますよう、お願い申し上げます。決して手向かいなどいたしません、お好きになさってくださいまし」


 つまり、連れて行こうっていうんならどこでも連れていきやがれ、というわけであるが、こんなひどい口上を、町人が二人の姿を食い入るように見つめている往来でわめかれては大村もたまらない。


 人々はいま、興味津々で若い小役人と絶世の美女を見ているのだ。


 予想通り、どこからともなく「二本刺しだからって容赦しねぇぞ」だとか「同じ武士として、あまり関心はせぬな」などの声がポツポツと上がり始めた。さきほど声を交わした団子屋の男などは、茹で金時のような真っ赤な顔で、すでに腰を少し浮かせている。


 となれば、慌てるのは大村の方だ。


「な、なんということを言うのですか!」


 ここはできるだけ早くに取り繕わなければ、大らいで騒ぎになる。町方の役人としては、それだけは絶対に避けるべきこと。したがって大村は、更に声を低くしてとりなすしかない。


「わかりました、善兵衛の話は、無しです」


 それを見て、美佐はしれっとした顔で条件を突きつける。


「東海屋の顛末は?」

「それもきちんと話します」

「中串は?」

「好きなだけ食べて構いませんから」

「……そう、ですか、では行きましょう」


 ざまあみろ。


 美佐は心でつぶやいて、先立って歩き始める。


「ちょ、ちょっと、場所わかるんですか」


 大村は、いきなり歩き始めた美佐の思いの外早足なそのあとを小走りで追いかける。


 その姿は、明らかに女に袖にされて後を追う若侍のそれで、沿道から喝采とともに大村に向かって罵声が飛ぶ。


「ザマアねぇぜ、振られやがった」

「しつこく追うは武士の恥ぞ、若いの!」


 そんな声を背に、大村はほうほうの体で美佐の背中を追う。


 しかしその表情は、どことなく、いや、心の底から楽しげあるように見えた。

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