(4)しくじりのその後で

「くははは、失敗したか」


 大村新左衛門に一杯食わされたあくる日、美佐は善屋の二階、趣味人でも知られる善兵衛の茶室にて先程から笑いものにされていた。


「もう、許してくださいよ」

「なあに、べつに許すの許さねえのって話じゃねぇよ、ただな、面白くってよ」


 そういうと善兵衛は、狭い茶室の中にごろりと横になった。


 ただでさえ狭い茶室の中、そのうえ善兵衛は、小さく切った炉を挟んで尻を美佐の方へ向けている。少なくとも、若い女性のまえで取る態度ではない。


 もぉ、わたしこれでも女の子なんですけど。


 美佐はそんな善兵衛の態度に呆れながらも、今はそんな事を言える立場ではないこともきちんとわきまえているのか、自分を抑えて神妙な顔で座っている。ただ、その瞳はしっかりと善兵衛を睨んでいるのだが。


 そしてそんな美佐の態度は、背中越しでも善兵衛には伝わってしまうようで、善兵衛は小さくため息をついて漏らした。


「いやな、わしも元は小悪党よ、だから決して大村のやつの肩を持とうってんじゃないけどな」


 言いながら善兵衛は、狭い茶室の中で器用にごろりと向きを変え、美佐の不服そうな顔を嬉しそうに眺めながら鼻毛を抜いた。


「でもなぁ、それでもある意味大村もわしもこっちっかわの人間。魔法なんておかしな術を使えねえ、いや、それどころかそんなものの存在すら知りやしねぇし、説明されたからってなにがどうなってるかさえわからねえ側の人間だ」


 善兵衛は、言いながら美佐の顔を見つめ、ニヤリと口の端を上げる。


 その顔は確かに笑っていた。しかし、笑ってはいるが瞳の奥がひどく冷たく重い。さらに、その瞳は、美佐を品定めするかのようにじっと美佐を見据えて動かない。


「お前らの術、わしらにしてみれば、あれは人ってえ生きもんの上を行くもので、はっきり言っておっかねぇよ。この、善兵衛様でもな。しかしな、今回のことで、そんな力を持ったお前らでも人の力で鼻をあかせるとわかったのよ」


 善兵衛の言葉に、美佐は唇を噛む。


 というのも美佐は、このあと善兵衛が「エルフだと威張っていてもザマァねぇな」と、そんな事を言い出すに違いないと予見していたからだ。


 しかしだ、美佐の予見とは裏腹に、話は違う方向へと転がってゆく。


「おめぇらも、ひとなんだな、ってな」


 善兵衛はごろりと一周りして、炉の蓋の上を器用に通過して美佐に迫ると、膝元から見上げるようにして美佐をギロリと睨んでそう言った。


「そっち、なんですか?」


 美佐は意外な善兵衛の言葉に少し驚く。そして、喋りながら美佐の膝の隙間に手を滑り込ませようとする善兵衛の手のひらをピシャリとはたいた。


 もう、緊張感ないんだから。


 心でそうつぶやきながら善兵衛の顔を見る。そして、凍りついた。


 そこにあったのは、恐怖の塊。声と裏腹に、美佐を睨み殺そうとでもするかのような、善兵衛の鋭い眼差し。真剣を通り越して、思いつめてでもいるかのような善兵衛の表情だった。


「そうだよ、そっち……さ」


 叩かれた手のひらを残念そうに振るいながら、そのまま頭をポリポリとかいて、善兵衛は表情を変えることなく続ける。


「真面目な話な、わしは、おめえを女だと見ている。抱きてぇとも思うし添いてぇとも思う。でもな、そいつぁわしの中で、随分と頑張って、ぎりっぎりのところで女なんだ」


 そういうと善兵衛は、その場で起き上がって美佐のすぐ目の前に座り直す。息がかかるほど、すぐ近くに、だ。


「考えてもみな、その人並み外れたきれいな顔、尖った耳、金の髪と瞳。そしてなにより、そんな見た目ですらなんでもねえもののように感じてしまう、奇妙な術。さっきも言ったがな、おめぇは間違いなく女だ、そりゃたしかにそうだ。しかしな、一方でおめぇらはわしらとはまったく違ういきもんだ。いや、バケモンだ。それもまた、確かなんだよ」


 善兵衛の言葉に、美佐はきゅっと胸が絞まる。


 あの世界。


 今まで美佐が、ミサリリアとして生きていた世界には、そう、懐かしきトリステアーノには、様々な種族がひしめくように住んでいた。エルフが、人間が、魔族が、獣人が……そして、ドワーフが。


 仲の良い種族もいた。憎しみ合う種族もいた。殺し合いもした。


 でもそのすべては、同じ生き物だった。


 心を通わせ、理解し合えるものだった。中には愛しあい子をなすものもいたし、混血の果てに新しい種族が生まれることもあった。決して、互いをバケモンだとは思わなかった。バケモンと呼ばれるもの、それは、モンスターたち。ただ狩り狩られる関係でしかなかった、獣。


 そうか、わたし達はモンスターなんだ。


 そう感じて瞳を伏せた美佐を、善兵衛はじっと見据えて言葉を紡ぐ。


「気を悪くしたらすまねぇな。でもよ、だからこそ、今回の一件はわしには嬉しい」

「バケモン退治ができたからですか?」

「おいおい、そんないけずを言うなよ」


 言いながら善兵衛は軽く微笑むと、ゆっくりと立ち上がってうーんと一つ伸びをした。


「お前、いや、エルフだってしくじるってことさ」

「当たり前じゃないですか」

「そうさ、大切なのはその、当たり前だよ」


 訝しげな美佐に、善兵衛は少し表情を緩めて答えた。


「エルフの術は、わしらからしてみれば過ぎた力。そしてその見た目は、そりゃおとぎ話の天女のようなもんだ。きっとそんな力があれば、そしてそんな見た目をしていれば、きっと悩みもなく失敗もしねぇだろうな、ってそう思うくらいの、バケモンじみたもんだ」


 善兵衛の言葉に、美佐は少しカチンと来る。


 そんなわけないじゃない。


 失敗したからわたしたちはここにいるんだし、わたし達が悩んでたのは、それこそ善兵衛さんがこの世界では一番知っているはず。


 美佐は心で不平をもらす。が、しかし、黙って善兵衛の言葉を聞いた。


「でも、しくじった。わしらと変わらねぇ、そりゃおつむの中身は随分と違うんだろうが、少なくとも妙な術を使うわけじゃねぇ男が、お前らを止めてみせた。だからこそ、美佐。お前はこうしてわしの前でシュンとしてるし、きっと仲間連中も悔しがっていることだろう、なぁ」


 察しの通り、特に一乃あたりは舌を噛み切りそうな勢いで悔しがっていた。しかも、相手はレイラームスの秘事を看破した相手、美佐が必死で止めていなければ今ごろ八丁堀を火の海にしていたかもしれない。


 あの時の一乃と来たら、もう。


 美佐はそれを思い出しただけで、げんなりとして表情が曇る。


 そして、善兵衛はそんな美佐の顔を見てやはり嬉しそうだった。


「人間ってのはな、悔しがったり悲しがったり悩んだりするもんさ。失敗して、落ち込むもんさ。だからこそ、心が通じると思える。同じように悩み苦しむから、分かり合えると思える。そんな当たり前が、当たり前におんなじだから一緒に心持ちを分け合える」


 ここまで来てやっと、善兵衛が慰めてくれているのだと、気づいた。


 そして、正直、あきれた。


 ほんと、面倒くさい慰め方だな。と。


 ただ、そうは思っても、やはり口には出さず、そのまま黙って善兵衛の言葉を聞いた。理由は簡単だ、美佐は嬉しかったのだ。善兵衛の言葉が、ただ素直に、嬉しかったからだ。


 もっと、聞いていたいとおもったからだ。


「わしは悔しいぜ、美佐」


 善兵衛は、美佐の視線をしっかりと受け止め、そしてしっかりと言葉を発した。


 その視線に、美佐は、なにか懐かしいものを感じて、そして答えた。


「はい、わたしも悔しいです」

「ああ、そうだろうさ。これで、わしとお前はおんなじことに悔しがった、その気持をほんの端っこだけでも分かち合えた。そこに、おんなじ血の通った心があると、はっきりと知ることが出来た、その血のぬくもりを知ることができたんだ」


 言いながら善兵衛は、今度はしっかりと顔の全部をつかって微笑んだ。


「ええ、どうだ、な、ちょっとだけ嬉しいだろ?」


 善兵衛の言いたいことは、わかった。


 これまで、異世界から来たエルフとたまたまであっただけの人間。交わるはずもない二つの生き物と、分かり合えない、いや分かり合おうとする必要もない、異世界のよそ者同士。元いた世界にかえるまで、利用し利用するだけの関係。


 しかも、絶対強者のエルフと、弱者の人間。


 バケモンと人。


 しかし、それがちょっとだけ変わった。


 同じ敵、同じ相手に負け、そして、同じように悔しがる相手。


「はい、ちょっとだけ、嬉しいです」


 善兵衛さんも、仲間だ。


 今まで思ってみたこともない思いが、美佐の心にあふれる。


「そうかい、そりゃ何よりだ」


 美佐の顔に浮かんだ表情で全てを察したのか、善兵衛はそういうと掛け軸のかかる床の間の方へとゆっくり歩いていった。


「江戸には悪党が多い、お前らの仕事もまだ腐るほどある」


 そう言うと善兵衛は、その掛け軸をゆっくりとめくる。


 そこにあったのは、抜け穴だ。


「でもな、仕事はちょっと休みだ」

「どうしてです?」

「なに難しいことはない、美佐、お前はもう少しこの江戸を見てそして人と触れ合え」


 思ってもみない善兵衛の言葉に、美佐は曖昧に答える。


「はぁ」

「気の抜けた返事するんじゃねぇよ。要は、休憩がてら見聞を広めろってことさ」


 言いながら善兵衛は、その抜け穴にヒョイッと身を隠す。


 聞くところによると、それは一階の押し入れにつながっているらしい。


「まあ、変な男に引っかからねぇようにだけ気をつけてな」

「善兵衛さんみたいな?」

「馬鹿野郎、わしみてぇな男に引っかかるなら、わしにしとけよ」


 そう言うと、善兵衛は、クククと嬉しそうな笑い声を残して暗い抜け穴に消えた。


 まったく、自分の家の中で抜け穴って。


 美佐は小さく「フフッ」っと笑って、そして、自分の心が思いの外軽くなっていたことに気づく。そんな小さな微笑みさえ、昨日の晩から忘れてしまっていたことに。


 江戸見物か、うん、それはいいな。


 まだ少しばかり揺れる掛け軸を見ながら、美佐は心でそうつぶやいて、その掛け軸にゆっくりと、そして深々と頭を下げた。

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