(3)はじめての逃走

「東海屋には、ちょっと用があるんですよ」


 美佐は、大村の瞳を覗き込むように言葉を紡ぐ。そして大村は、なんということもなく、その真意をするりと察してみせた。 


「アヘン……ですね」


 なんでもお見通し、か。


「やはり、おわかりでしたか、ならばなぜ邪魔をするのです」


 東海屋は、アヘンを用いて多くの娘に地獄を見せている。


 そして、ナガミミ小僧とその一味は、民衆の味方である義賊。


 で、あれば、そんな自分たちを阻止せんと現れた大村は、地獄を形作る側に加担する人間。つまり悪人。非常に単純明快で貼るが、それが美佐の考え方。そして、そうであるならば、場合によっては、一戦も辞さないのがエルフの流儀だ。


 ただ、美佐には目の前にいる大村がそんな馬鹿には見えない。


 すくなくとも、その心根に邪悪を感じない、これはエルフの勘、だ。


 だからこそ美佐は、脅しつけるような気合と魔力を乗せて言葉を発した。


「悪に加担する人間は、悪です」


 空気が歪むような、緊張感。


「ええ、私もそう思います」


 しかし大村は、そんな美佐が発する裂帛の気合のこもった言葉を柔らかに受け流すと、男女の寝間の中であるかのような優しい声で続けた。


「東海屋のやっていることについては、お上も調べております」


 しかし美佐は、その、緊迫感のない声色がどこか気に入らず、つい声を荒げてしまった。


「なにをのんきな!」

「いや、お恥ずかしいことに、こういうのには時間がかかるものなのですよ。御政道というものはそういうものなのです」


 そんな大村の言葉を、美佐は鼻で笑い飛ばす。


「御政道?」


 笑っちゃうわ、わたしは王族なのよ。


 そう、大村が知るはずないことではあるが、美佐は、トリステアーノでも一、二を争う大国の姫。幼い頃からテーブルマナーや音楽とともに、当たり前のように政治を教わってきたのである。だからこそ、こんな小役人ごときの放つその一言は、嘲笑の的にしかならない。


 つまり、お前ごときが政治を語るな、である。


「政治の無策を熟慮と取り違えるとは、お粗末な話ですね。人心を惑わし将来において大きな禍根の種となりそうなアヘンなどは、国を上げて即座に取り払うべき毒。その身にくまなく回れば大国であれ滅ぼすものでしょうに」


 美佐の言葉に、今度は大村が驚きの表情を浮かべる。


 しかし、次の瞬間。心底楽しそうな笑顔を浮かべて言葉を続けた。


「政治とは御政道のことですかね。しかしこれは、耳に痛い」

「盗賊の如き下賤の、しかも若造に政治はわからないと思ってましたか」

「いや、申し分けないがそのとおりです。では、言い方を変えましょう」


 そう言うと大村は、声を低くして凄んだ。


「大言壮語を振りかざして、こちらの邪魔をしないでいただきたい」

「邪魔?」

「ええ、邪魔です。この件は異国よりの抜荷ぬけに、つまり密輸入も絡む大事。しかも、アヘンの旨味に吸い寄せられた蟻どもは大悪党から小悪党にいたるまで無数にいるんですよ。それで、お上は手間暇をかけて慎重にそのすべてを取り除こうとしていた」


 邪魔。


 その存在を否定する言葉に、美佐は話を続ける大村を睨む。しかし、その瞳からはなんの感情も見えず、まるで用意された台詞を読んでいるように、美佐には思えた。


 だから、最後まで、その台詞を黙って聞く。


「計略は、もう少しで出来上がるところだった。しかし、にもかかわらず、横から現れて頭だけを潰しにかかる邪魔者がいる」


 大村は、そこで言葉を切った。


 そして、憎々しげに美佐を睨んで、吐き捨てるように言い放った。


「まったく、すんでの所ですべてが水の泡になるところ」


 大村はそこで言葉を切り、そして、恫喝するように叫んだ。


「無鉄砲で、薄汚く、うかつなそこのこそ泥のせいでね!」


 言葉とともに、大村の瞳に、初めて感情の炎が灯ったように見えた。そしてその炎は明々と燃えながらも一切の熱を感じさせない、冷たい炎だった。


 だからこそ、美佐は、同じく感情を乗せて呼応する。


 熱く滾る炎を瞳に宿らせて。


「薄汚いって言いましたか、今?!」

「相違ありますか?」

「……っく、でも……」

「泥棒風情が、薄汚くなくて、何だと言うんです!」


 大村は不敵に笑みを含んだ言葉を放つ。美佐には、それは、とことんまで本音でやり合おうという挑発に見えた。大村の心の奥から熱い使命感とともに湧き出した、彼の偽らざる本気の一言なのだと。


 しかし、一乃は大村のその意図にいち早く気づいた。


「お頭、挑発で……」


 一乃は、急いで駆け寄って耳元ささやく。が、その言葉は耳に届いたものの、思いは心には届かなかったようで。


「でも、だって、今ひどい目にあっている人は今助けなければ手遅れになるじゃないですか。計略なんて悠長なことしてる場合じゃない!」


 怒りからか、美佐は言葉を取り繕うのも忘れて叫んだ。結果、声は若い男の声ながらも、口調は完全に若い娘の声というなんとも奇妙な具合になってしまった。


 それを見て、後ろでは、一乃が顔をしかめている。


 そして、そんな二人を見ながら大村は大げさなため息とともに嘆いた。


「そう、ですか。このような大胆な手口で盗みを行うあなた達です、もう少し利口なのだとばかり思っていましたが、その程度なんですね」

「どういう意味ですか!」

「言葉通りですよ。今ここで、頭だけを潰して手足やしっぽに逃げられてしまえば、その手足やしっぽが逃げた先で新たな頭となり、そこかしこで手足を生やし、さらに多くの人たちの生き血をすすり始めるでしょう」


 大村は、段々と声を高くして、美佐を問い詰める。


「たしかに目の前の命も大事だ、しかしね、目の前の一つの命より十年後の百の命のほうが大事なんですよ、わたしたちにはね。これこそ、御政道のあるべき姿、あなたの言う、政治の有り様です」


 美佐も、負けてはいない。


「眼の前の命を捨てて言うべきことがそれですか! 命を見捨てる言い訳に政治を使うな!!」


 そして大村は、大きなため息をついた。


「はぁ、もういい、懐柔は、失敗です」


 大村はそう言うと、すっと刀を抜き放った。


 そして、音もなく正眼に構える。


 その姿勢、その振る舞い。魔法は使えぬものの、もし魔法無しで手を合わせれば、美佐でも手こずるだろうと思える使い手であることが伺えた。それだけに、美佐の中で変化が起きた。口喧嘩をする少女から、戦闘民族であるエルフの、その姫としての覚悟に。


 そんな美佐の覚悟を見て、大村もまた気合いとともに低く唸った。


「残念ですね、話は通じると思ったのですが、どうやら通じなかったようだ」

「同感です。目の前の命を救えない理由を政治のせいにするような頭でっかちと気持ちを通じ合わせる、そんな手段をわたしは知らない」


 美佐の言葉に「頭でっかちですか」と小さくつぶやいて、大村は一喝した。


「盗賊ナガミミの一味、御用である神妙にして縛につけっ!」

「おおうっ!」


 怒号とともに、一気に捕り方が動く。


 それまで、大村の命令で控えていた者たちのむせ返るような殺気と熱気が、怒号とともに東海屋の屋敷に広がり、目の前にいるナガミミの一味という名の獲物を食らうべく襲いかかった。


 しかし美佐は、いや、ナガミミの一味はまったく動じない。


「おおおおお!」

「ぬぅっ」


 それぞれが景色の歪むような魔力の壁を発して、捕方の突進を止め、そのまま、頭たる美佐の一言を待った。


「神妙にするわけ無いでしょ、みんな、いく……」


 と、ここで一乃が小さくつぶやいた。 


「お頭、マズイです、このまま当たれば人死にが出ますわ」


 その言葉に、善兵衛の課した戒めが浮かんで、美佐の言葉が止まる。


――殺さず、犯さず、貧しきよりは盗まず。


「まあ、ありゃ市井の民じゃねぇ、武人だ、やっちまっても構わねえでしょ」


 網助が口を挟む。


 しかし、その戒めは、高潔たるべきエルフにとって見れば絶対のもの。契約をその場の状況や勝手な自己判断で反故にすることなど、エルフの王族にできることではなかった。


 ここは、仕方ない、のかな。


 美佐は唇を噛みしめる。


 ここで引けば、それは逃走。しかも、仕事はしくじりになるし、救えるはずの命も救えないことになる。さらには、エルフの秘事<レイラームス>を知るものを逃すことにもなる。


 ただ、それでも。


「殺しはだめ、引くよ」


 美佐はそう言うとすっと後ろに下がり、胸の前で手を組んだ。そして、ゆっくりと瞳を閉じ、その指先に紅い光を灯す。


「おおお」


 大村が感嘆の声を上げる。捕方たちが、恐怖にその場に立ちすくむ。


「なんですか、それは!」


 たまらず大村が叫んだ。


 しかし、美佐は気にもとめずにゆっくりと瞳を開き、唱えた。


「エス・アミムス・エテ」


 声とともに、突如周りを包む閃光。


 そして、暗闇の中、突如の閃光に瞳を焼かれた男たちの呻き。


「ぐぁっ」


 次の瞬間、ナガミミの一味のそれぞれの身体が赤く明滅を始めると、まるでそこに誰もいなかったかのように、その姿は一陣の風を残してかき消えてしまった。


「なんと!」


 大村の左右に控えていた男たちが、声を揃えてそう言うとキョロキョロとあたりを見渡す。どうやら、この二人は直前で瞳を閉じていたようだ。


 だからこそ認識し、狼狽する。突然、人が消えたという現実を。


「お、大村殿、これは?!」


「ははは、消えたようですね」


 大村もまた、瞳を焼かれることもなくあたりをゆっくりと見渡して、そして自嘲気味に笑いながら応えた。


「あ、追わずともよいのですか?」


 二人の侍が、大村に迫る。


 しかし、大村は、今しがたまで美佐のいたあたりをいかにも楽しそうに見つめると「良いのです、追っても無駄でしょう」と嬉しそうにつぶやくと、ふとなにかを見つけてゆっくりと歩を勧め、その場にしゃがみこんだ。


 そして、床に落ちていた一本の髪の毛を拾ろう。


 それは、金色の一本の髪の毛。


「異人、か?」


 大村は考える、そして、首を振った。


「ちがう、か。まあいい」


 大村はそういうと、その髪を宝玉か何かのごとく舐めるように見つめると、その一筋を鼻先に掲げて深呼吸をするようにその匂いをかいだ。その瞬間、大村の、その瞳の色が、鈍く光る。


「はぁぁ、これで、終わりですか」


 大村は大量の息とともにそうつぶやくと、鋭く命令を下した。 


「足跡や痕跡を徹底的に改めてください!」


 しかし、返ってきたのは、配下の間の抜けた声。


「そ、それが、あ、あの」


「どうしました?」


「足跡やら何やらが、突然青い光に包まれて消えてしまったのです!」


「なに?」


 大村は慌てて懐を探る、しかし、そこに先程の髪の毛は残されてはいなかった。


「ふははははは、やってくれますね」


 大村はそのまま大股で縁側に出ると、感慨深かげに空を見た。


 中天に、白く月が輝く。


「女盗賊ナガミミ小僧ですか」


 わかっていた。


 あの話しぶり、そしてあの姿。間違いなくあれは女だ。


「まったく、あの人もいたずらがお好きだ」


 大村は笑う。


「また、会える日を」


 そう言うと大村は、大きくひとつくしゃみをした。

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