(2)化け物との対峙

「そのさき、主の寝所です」


 一乃がささやく。


 しかし、美佐は、先に仕入れた情報とは違う気配を感じ取った。


「でも……三人いるけど?」


 ちなみに、これは魔法ではない。<レイラームス>への信頼から、そういった、いわゆる探査魔法は使っていない。そう、これは垂れ流しの魔力による簡単な気配察知。


 そんな単純な気配察知は、森の狩人であるエルフの姫にはそうそう難しいものではない。それだけに、美佐の感じた気配に間違いはない。だからこそ、美佐は、網助を睨みつけて小さく不安を漏らす。しかしそれを一乃が一蹴する。


「寝てりゃいいんですよ、それに、寝所に三人っていうのも、ねぇ、なくはない話ですし」


 一乃の言葉に、美佐は一瞬小首をかしげたあとハッとなり、眉根を寄せると「またそうやって馬鹿にして……」と小さくつぶやく。そして、一乃や網助を恨みがましく睨みつけると「当分わたしは一人身でいいわ」と大きなため息をついた。


 そして、そんな長い溜息とともにそっとふすまに手をかける。


 二人が笑いながら見守るなかで。


「いくよ」

「へい」「はいな」


 ふすまを引く。当然、ふすまは音もなくあいた。


 と、そこに見た光景に、美佐が小さく声を漏らす。


「う、うそ」


 途端、一乃や網助を始め、後ろに居並ぶナガミミの一味全員に鋭い緊張が走った。


「そんなわけ、ない……」


 なんと、そこにいたのは、店主ではなかった。


 そこにいたのは、三人の侍。


 中肉中背の男が一人、そして屈強な大男が二人。そんな三人組が、襖の向こうの敷布団の上に……立っていたのだ。


 そう、立っていた。


 彼らは寝てはいなかったのだ。


「お待ち申し上げておりました」


 真ん中の中肉中背の男がそう恭しく声を発する。顔に巻いたさらしのせいか、少し籠もり気味の声ではあるが若さとハリを感じる声。少なくとも眠気に苛まれてふわふわとしたような響きはない。


 と、そのとき、美佐を邪魔そうに後ろに押しやり、網助が前に立った。


 その動きは、盗賊としてではなく、近衛という職業柄、エルフ時代からついていた習い性のようなもの。こうすることで、隊のリーダーを美佐ではなく自分であると誤解させるための、その動きだ。


く、名を名乗れ」

「いやいや、そのように言われると名乗りにくいのですが、拙者は北町で同心をしております大村新左衛門と申します」

「大村新左衛門だと」


 網助の声とともに、美佐は息を呑む。


 善兵衛さんの言ってた、厄介の主だ。


「ほお、お見知り置きくださったとは光栄ですね」


 網助や美佐の仕草に確信を得たのか、大村は嬉しそうにそう言うと、出し抜けにすっと刀に手をやった。と、それに合わせて網助が予想される剣閃と美佐の間に立つように半足横にずれる。すると、それを見た大村は「ははぁ」と合点いったような声を上げるた。


 そして、抜き放つことなく刀から手を離して軽やかに言葉を紡ぐ。


「流石ですね、ナガミミの一味の、手下さん」

「なにっ」


 網助の背中が、ピクリと動く。


「いやいや、そのように後ろの小さな人を守るように動かれては、露見もやむなしですよ」


 見破られた。


 美佐の背中に冷たい汗が落ちる。


 しかし、さすがは網助、それくらいで動じるものではない。


「ふ、何やら頭は回るようだが、それを知ったところで何だってんだ」

「いや、確認したまでですよ」


 そう言うと大村は、なにかに合図するようにすっと手を上げた。


 網助の背中に緊張感が走る、そして、美佐もまたゴクリとつばを飲み込んだ。


「ナガミミ小僧が若者、もしくは女だっていうのは、なにをどうしたのか繰り人形のように決まった言葉を繰り返すこれまでの店の主の口調でわかっていましたし、それに」


 二人の緊張を見ても、まったく眉尻ひとつだにうごかさない大村は、そこまで話すと上げていた手を空気を裂く様に素早く振り下ろした。すると、それに合わせたように、寝所の奥の襖がすっと開く。


「えっ」


 美佐はそう小さく叫んで息を呑む。


 なんと、そこにいたのは二十人余りの捕り方たち。手に手に長いものを構えた、顔半分を布で覆った侍の集団だ。


「頭目が誰だかわからずに捕まえるのは、厄介でしょ」


 その光景に、美佐の膝はガクガクと震えだす。


 そんなはずはない、ありえないよ。だって……だって、なんでみんな起きてるの?! そこの三人だけでも不思議なのに、なんでこんなに<レイラームス>が効いてないのよ!


 美佐は心で叫ぶ。


 エルフが最も得意とする催眠魔法だ、それへの信頼は、思いの外高い。


「不思議ですか?」


 大村はそういうと、明らかに美佐に向かって語りかける。


「あなた方がどうやって盗みを働いているのか、北町でも南町でもかなり頭を悩ませたんですよ。しかし、あまりに不思議な手口に、みんなお手上げでしてね」


 大村はそう言うと、お手上げとばかりに手を揚げてみせた。しかし、そのまま、今度はニヤリと微笑んで続ける。


「……ただ、最初からそれが不思議な何かだとしてしまえば、さほど難しい謎解きでは、ない」


 言いながら、大村は自らの顔の下半分を覆う布切れを指差した。


「これね、自分たちの小便が染み込んでいる布なんですよ」


 その一言に、美佐の体温がさらに下がる。


「実はですね、皆さんが最初に入った松風の一件。あのとき、小さな小僧が一人だけ眠らされずに起きていたんですよ」


 大村の言葉に、美佐は一乃を見る。


 すると、一乃は、悔しそうに首を縦に振った。そう、たしかにいたのだ。しかし、魔法も使えぬ人間の子供一匹、梁を走る子ねずみ程度のものとしか一乃は考えていなかった。


「小僧ひとりだと思って見逃した、そんな具合ですね。でもね、それがことの端緒だったんですよ。あの日その小僧は、夜中に寝小便をしてしまいましてね、ひとり布団の中にこもって自分で描いちまった絵地図にフーフー息を吹きかけていたんだそうですよ」


 そこまで聞いて、美佐は心臓が最高潮に鼓動を刻むのを感じて、そっと胸を抑えた。


 そしてそれもまた、大村にはつぶさに伝わってしまったようで。


「ええ、そういうことです」


 大村は美佐を睨む。一方、美佐は、未だ、声も出せない。それがおかしいのか、大村は「ふふっ」と小さく鼻で笑ってさらに続ける。


「もちろん、やり方はほとんどわかりませんが、少なくとも邸内の人間が全員眠りこけてしまうのは、これは眠りに誘う香の仕業じゃないか、ってね。くだんの小僧は、布団に閉じこもって、眠らせる香より刺激の強い自分の小便の匂いをかいでいた、だから眠らなかったのではないか。もし、そうであれば」


 そこまで言って、大村は愉快そうに美佐を睨む。


「わたしたちも、自分の小便の匂いを嗅いでればよかろう、とね」


 そう、大村の言う事はあっている。まったくもって、そのとおりなのだ。


 エルフの<レイラームス>の回避法。それこそが、獣の尿などの匂いを焚きしめるという方法なのだ。そうすれば、それによって、鼻は嗅覚疲労を起こし<レイラームス>の催眠香を受け付けなくなる。


 そして、それは、エルフの中でも知っているものの少ない、他種族に知られればエルフの全勢力をかけて口封じに走るレベルの秘事。


 それを、この男は。


「そんな、たった、それだけのことで……」


 口走ったのは一乃だ。


 それは、宮廷騎士とは覆えないほど迂闊な言葉であったが、誰もそれを咎めなかった。なぜなら皆が一様に、そう思っていたからだ。


「それだけだからこそ、わかったんですよ。香りだってね」


 大村はこともなげに言う。


 たしかに、小便小僧の一見があれば<レイラームス>が香りにまつわる魔法ではないかということに大村がたどり着いてもおかしくはない。実際向こうの世界にも、決して多くはないが、そこにたどり着く奴がいないというわけではなかった。


 しかし、この<レイラームス>をエルフの秘法としている理由はそこではない。


 魔法<レイラームス>の生み出す香りは、どんな一流の戦士であっても眠りに誘う催眠香。そして、その香りは、まるで意志を持っているかのように知性と意識のある生物だけを目指して奔り、そして的確にその鼻腔へと滑り込んでいく。


 知性なき虫や獣は避け、周りに匂いを残さず、ただ、的確に敵の鼻腔だけを目指す。


 この、脅威の索敵能力と必中能力。


 これこそが、この魔法をエルフの秘法足らしめている特徴なのだ。


 だからこそ、相手はその正体に惑う。一度は頭に『匂い』という言葉が浮かんだとしても、高原であろうと平野であろうと、風の影響を受けることもなく、ただただ標的のみを目指して生き物のように的確に這いずり寄る香など、考えついても否定してしまう。


 魔法のあったトリステアーノでさえ「匂いを魔法で操る」という不可思議に、目が曇ってその正体についぞたどり着くものはいなかったと言うのに。


 なのに、この人……。


「ええ、お察しの通り。香りに思い至った人間はいても、結局は全員首を横に振りました。しかし、わたしは違った」


 そこまで言うと、一呼吸おいて大村は言った。


「わたしの母が小さき頃より口酸っぱく言っていた言葉がありまして」


 大村は言いながら、恥ずかしそうに頬をポリポリと掻く。


「自分のものさしで測り知れない出来事を測ろうとするんじゃないよ、ただ、起きた出来事を素直に見つめて、素直に考えなさい。とね」


 穏やかに語り続ける大村の、どこか飄々とした雰囲気。超然とした佇まい。


 だからこそ、敵の言葉が身にしみる。


 測り知れないことは測ろうとしない、か。たしかに、そのとおりね。


「エラ・ボストス・エステ」


 美佐は小さくつぶやく、そして話し始めた。


「優秀なお母上をお持ちなのですね」


 その声は、美佐のものとはまったく違う若い男のそれ。


 そう<ボストス>とは、声を変える魔法なのである。


「ははは、いやはや、口うるさい母ですがね」

「そんなふうに言ってはだめです、感謝すべきでしょう」


 まるで、なんでもない会話。


 しかし、二人の後ろでは、それぞれの手下どもが緊張感をみなぎらせていきり立っている。


 大村の後ろでは、二十余の捕方たちが盗賊ナガミミ小僧を捕縛せんとして。そして美佐の後ろでは、ナガミミの一味が<レイラームス>の秘事にたどり着いた人間を殲滅せんがために。


 ただ、そんな中、大村も美佐も、お互いにその手下を制するように会話を続けた。


「母には感謝しておりますよ、特に今はね」

「そうですか、で、どうします?」

 

 美佐の問いに、大村が、優しくケリをつけにかかる。


「では、ナガミミ殿、できれば降参をしてくれませんか」


 もちろん、とうぜん美佐はきっぱりと断る。


「できません、わたしにはやるべきことがございますので」

「やるべきこととは?」

「個人的なことは申し上げられません。しかし、そうでないことについては……」


 美佐はそう言うと、大村の瞳を覗き込むように見つめた。


 この人なら、この化け物にならきっと伝わる。わたし達が今日ここに押し込んだその理由が、その意味が。


 美佐は語り始める。


 目の前の化け物を、信じて。

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