第2段 大村新左衛門

(1)屋根の上の盗賊たち

「あたいは、あの善兵衛って男は気に入らないんですがねぇ」


 江戸、日本橋、丑の刻。


 宵闇を裂いて駆ける盗賊ナガミミ小僧の一味ことエルフの軍団。その中で、一乃は駄々っ子のような口調で美佐にそうつぶやいた。


「まあ、そんなこと言っちゃいけないわ。命の恩人でしょ」


 美佐も速度を緩めずに答える。


 ちなみに、彼らが走っているのは漆黒の闇が包む屋根の上。


 自分の鼻先も容易には見えず、足元は夜露に濡れ、鳶の人間でもあまり歩き回りたくはない、そんな場所。しかし、そこは、木から木へと縦横無尽に飛び回り、それでも物音ひとつたたないように魔力を張り巡らして走ることの出来る彼らにとって、地面と同じくらい走りやすい場所ではあるのだが。


 それにしても、器用に話すものである。


「わかってますよ、でもあの男は」

「あの男は?」


 問い返しながらも、美佐にはなんとなく次の言葉の予想がついていた。


「姫さ……いや、お頭に色目を使いますでしょう」


 やっぱりそういうことか。


 美佐は小さくため息をつく。


 たしかに善兵衛さんはわたしに色目を使ってくるけど、でも絶対本気じゃないんだもん。わたしみたいな小娘、善兵衛さんが本気に相手するはずないし。


 と、常日頃思っているのだが、これを言うとみんなが揃って子供扱いしてくる。


 それが癪なので、美佐は当たり障りのない答えを返した。


「大丈夫よ、わたしの好みじゃないもん」

「でも、無理やりなんてことに……」

「あら、一乃でもわたしを無理やりなんてできないでしょ?」

「な、ななななんてことを! 女同士じゃないですか!」


 ちなみにエルフはそのあたりの性のあれこれには寛容である。ただ、幼い頃から美佐の面倒を見ている側近中の側近である一乃にとっては、それは、禁忌中の禁忌。


 思えど叶わぬ、雲の上のお話だ。


「そう、へんな話じゃないでしょ」

「へ、へんですよっ!」

「ふぅん、ま、いいけど、無理やり、できる?」

「で、できるわけ無いですよ。あたいじゃ姫様にはかないませんもの」

「お頭、ね、一乃」

「は、はいぃ」


 エルフの一族は実力主義。


 王族とは権力をただ継承しているだけの家ではなく、優秀かつ有能、特に戦いにおいて並び立つもののいない一族のことを言うのだ。


 したがって美佐も、その力はかなりのもの。


 剣においては宮廷騎士である一乃に劣り、魔においては宮廷魔術師の巳太郎にはかなわない。


 しかし、剣と魔、そして知と勇。その総合力において、美佐にかなうものはエルフの中には存在しない。しかもそこに王家秘伝の力も存在するとくれば、一乃でも力で美佐をどうこうするなど、不可能なのである。


 もちろん、人間である善兵衛ごとき言うまでもない。


「ほんといちの姐さんは心配性でいけませんね、お頭」


 そう二人の会話に割って入ったのは、網助あみすけ


 なにを隠そう、その正体は、あの悲劇の夜に泣いて許しを請うたアーデルト近衛隊長その人だ。いまじゃ、二枚目役者然とした棒手振り魚屋として名が通り、長屋のおかみさん連中の噂をたどれば高い確率で出てくる名前となっている。


「それにだ、あっしらはいつか帰る身でござんしょ。だったら頭のお相手はあっしら一味の中から……ねぇ」


 網助の言葉に、美佐はほほえみながらも呆れて肩をすくめる。


 なんのことはない、網助もまた美佐を狙う男の一人なのである。


「網助さんは、吉原通いをやめてからじゃないと、だめね」

「やめたらオッケーなんですかい?」

「ううん、やめたら候補の一番うしろに加われるってことよ」


 美佐はすげなくそう言うと。一乃と顔を見合わせて笑う。


 少なくとも美佐は、まだミサリリア姫であった頃からこういう手の話は飽きるほど耳にし、そして意見されてきた。それだけに、いちいちそこに顔を赤らめてしまうなんて未通娘おぼこいことはありえない。


 ただ同時に、その胸の内に一筋の寂しい風を感じることはある。


――おなごが抱きしめて微笑んでよいのは男の厚い胸板だけよ。

――それだからいい人のひとりも見つかんないのよ。


 心のなかに、今日聞いた巳太郎とおカネの言葉が浮かぶ。


 いい人かぁ、それってどんな人なんだろうね。


 現在、美佐は十六歳。


 エルフは三十あたりまでは人間と同じように歳をとり、そこで変化が止まったあと悠久の長い年月を生きることの出来る種族だ。一味の最後尾を走っている巳太郎も、仕事のときには他と変わらない若者の姿で参加している。


 つまり、エルフの人生の先は、長い。


 焦って相手を探すことはないとは言え、生物の当たり前の反応として、エルフも美佐くらいの年頃になるとパートナーを探し始めるのが普通なのだ、が。


 本人に、そんな気持ちが全く浮かんでは来ない。


 たしかに、頼りになる人や恩義のある人、一緒にいて気兼ねない人や心やすい人などがいることはいる。しかし、エルフに伝わるおとぎ話にでてくるような、頬がほてり胸が高鳴り、ソワソワモジモジしてしまうような男にはあったことがない。


 今も、美佐の頭の中に浮かんでは消える該当者のその中に、巳太郎が平気で候補に入ってしまうくらいには残念な恋愛観をもっているのだ。


 まあ、いわば、お子様なのである。


「お頭!お頭!」


 と、不意に後ろから一乃の焦った声がかかった。


「な、なによ」


 慌てて振り向くと、仲間たちは美佐のずっと後ろにいて、その先頭で一乃が呆れ顔で叫んでいた。美佐的には、いくら防音魔法をかけているとは言えさすがにこの状況で叫ぶなんてもっての外!なのだが。


「行き過ぎてますって!お頭!」


 という事情なら、仕方がない。


「あ、ごめん、ボーッとしてた」


 言いながら美佐は自分に急ブレーキをかけ、二、三度宙で足を空回りさせると、踵を返してみんなのもとへと戻った。


「一乃さんと網助さんが変なこと言うから、考え込んじゃったじゃない」

「へぇ男のことですかい」

「違うわよっ!」


 何一つ違わないのだが、美佐はそう答えてむくれてみせる。


 そしてひとつ「こほん」と咳払いをすると、表情を引き締めた。


「じゃ、下いくよ」

「へい」


 付き従う二十人余りの一味が小さく声を揃える。


「エス・アミムス・エテ」


 そして次の瞬間、屋根の上から一味の姿はかき消え、東海屋の表にずらりと勢揃いする形となった。言うまでもない、魔法である。


「しかし大きなお屋敷ね」

「ふぅん、まあ、我らの宮殿に比べればねぇ……」

「比べるようなもんじゃないし、もう存在しない建物よ」


 一乃の言葉に、厳しい口調で答える美佐。


 我らの宮殿という言葉に、美佐は、ほんの少しの寂しさを感じながら、同時に未だに過去を振り切れていない一乃の心に、拭いきれない苛立ちを感じずにはいられない。


 無くなったものをいつまで思ってるのよ。


 などと心中でつぶやいてはみるものの、無くなったものを忘れようとするのは美佐の弱さ、思い続けられるのは一乃の強さ。と、本心としてはそんなふうに思っているせいか、さらにいらだちは強くなる。


 となれば、意地悪のひとつもしたくなるというもので。


「網助、索敵かけて」

「へ、あっしですかい?」


 前回、前々回と、それは一乃の役割だった。


「できないの」

「いいえ、チョチョイのチョイでさ」


 網助はちらりと一乃を見て微笑む。すると一乃は「まぁ」と小さくつぶやくも、やはり笑顔でうやうやしく手を差し出した。


「お頭のご指名ですので、お譲りいたしますわ」

「へへ、かたじけない」


 そういうと網助はすっと腕まくりをして両手を目の前、東海屋の入口の方にかざす。


「セペ・エクト・リテ」


 声と同時に、網助の両手に象形文字のようなエルフ文字が青白い光を放ちながら広がっていく。そして次の瞬間、網助の両の手のひらが激しく光ったかと思うと波のような光が東海屋の屋敷を一瞬で包み込んだ。


「見事ね。言うほど<エクト>も簡単な呪文じゃないのに」

「まあ、魔法自体は網助のほうがむかしっからうまいですからねぇ」


 一乃は、少しふてくされるように言う。


 たしかに、王家の姫として一級の魔術師でもある美佐つきの宮廷騎士であった一乃にとって、魔法は基本的に不必要なもの。それこそ、剣の腕さえあれば事は足りた。しかし一方で網助の方はというと、広範囲に能力を備えて置かなければいけない近衛隊という部隊の隊長。


 特に索敵の魔法などは、エルフの中でもかなり上位の使い手になる。よって、万にひとつも間違いはない。


 今回も、どうやらうまくいったようだ。 


「東海屋の人数は?」

「もう、資料見てないの?今の時間なら十八人」

「いや、見てたんですがね。でも、どうやら二十二人いますぜ」

「え?」


 美佐は一乃を見る。


「あたいが答えていいんです?」

「もう拗ねないの、どう思う?」


 美佐の言葉に一乃は愉快そうに笑って「そうですね、人が来て泊まることもあるでしょうしね」と小さくつぶやいて、なんの問題もないといった素振りを見せた。


「まあ、眠らせちまえば問題ありませんよ」


 一乃の言葉に、美佐は一抹の不安を感じながらも頷く。


「そうね、みんな眠らせればオッケーよね」


 たしかに、邸内に何人いようと眠らせてしまえば問題はない。


 美佐は、少しばかりいつもより気合を入れて邸内に向けて右手をすっと伸ばした。


 善兵衛いわく「それがあれば泥棒し放題じゃねぇか」と言うお墨付きのついたレイラームスの魔法だ。


「レイ・レイラームス」


 途端ホタルのようなか細い光を灯す、美佐の中指の先。


 その光は、音もなくスルスルと東海屋の表玄関に向かって進み、建物の隙間から邸内に侵入する。そして数十秒後。


「大丈夫ですぜ、全員ピクリとも動きやせん」


 そういって網助が探索の魔法を解いた。


「いっそ<デミルーエ>でも唱えて皆殺しにしちまえば楽なんですがね」


 網助の言う<デミルーエ>。それは、魔法耐性のないものであれば即死の魔法だ。


「馬鹿なこと言わないの、エルフは殺生を嫌う種族でしょ」

「冗談ですよ」

「冗談でもやめて、それに善兵衛さんとの約束もあるし」

「けっ、殺さずとかなんとかってやつですかい」

「もう、いちいちつっかかんないの」

「へいっ」


 そう少しばかり美佐をおちょくるように絡んだ網助はエルフの軍人、徹底したリアリストである以上、殺したほうが早いという思考は理解できる。


 しかし、その口調に、それ以上のなにかを美佐は感じる。


 よその世界の人間なんて殺したって構わない。そんな物騒な考えが。 


 美佐は、そんな網助の心のなかにあるなにかを見ないようにして、小さく呼吸を整えると、黒装束の覆面をすっと口の上にかぶせて目以外のすべてを隠す。


「じゃ、いくよ」


 美佐の澄んだ声が、江戸の夜に響く。


 その時すでに、四十以上の金の瞳が狩人のそれに変化していた。

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