(5)次の仕事

 早速といった風情で次の仕事の話を切り出した善兵衛に、美佐の顔が曇る


 今回の角屋の一件、その前の働きから十日は間が空いていた。美佐としても、喜び勇んで盗賊稼業をやっているわけではないだけに、こうも矢継ぎ早の仕事では顔が曇るのも仕方のないことだ。


「なあに、江戸の街ってのはな、悪党が掃いて捨てるほどいやがるのよ」


 困惑気味の美佐を前に、善兵衛は構わず紙を広げる。


 どうやら、絵図面のようだ。


「日本橋の廻船問屋、東海屋だ」


 有無を言わせぬ善兵衛の雰囲気に、美佐は渋々ながらも絵図面を覗き込む。


 そして、一瞬息を呑み、思いがけない大きな声を発した。


「広い!」

「だろ?こう言っちゃなんだが、東海屋は今の江戸では一と言って二と降らねえくらいの大店中の大店。廻船問屋としてはもちろん、そうでなくとも、大名連中であれ借財の関係で頭が上がらねえほどの豪商だ。どうだい、怖気づいたかい?」


 善兵衛の言葉に、美佐は鋭くやり返す。


「馬鹿を言わないでください、朝飯前ですよ!」

「けっ、言うようになりやがったな」


 善兵衛はそう言うと「まあ盗人の仕事なんざ、たいてい朝飯前と相場が決まってるんだけどな」とつぶやいて話を続けた。


「東海屋は、表向きにはまっとうな廻船問屋だ」


 善兵衛は、美佐を見据えて続ける。


「しかしな、裏ではあまりよろしくねえもんを商っていると調べがついた」

「よろしくないもの、ですか?」

「ああ、そいつはな、使っているうちはえらく心持ちのいいもんだが、長く使うと人間の心を壊しちまう薬」


 善兵衛はそう言うと、なにか苦いものでも飲み込んだような顔で吐き捨てた。


「アヘンってえ、ご禁制の薬よ」


 言われて美佐は、一つの植物を思い出す。


 気持ちが良くなって心を壊す薬、か。うん、そう、エーワイスみたいなやつね。


 美佐の知っているそのエーワイスという植物。その植物を乾燥させて燻した煙は、元いた世界でも流行っていたことがある。それは一時的に幻覚を見せたり快楽を高める目的で王侯貴族の間で大いに使われていたことがあるのだ。


 しかし、使っていくうちに使った人間が軒並み廃人になるという事態が露見。


 結果、どこの国でも禁止されたというわけなのだが、そのあとも犯罪組織の間で高値で取引され、おもに色街などで頻繁に使われていた。


「そういうものって、こちらにもあるんですね。じゃぁ、遊女の方たちが被害に?」

「ふ、その言いぶりじゃ、どうやら同じようなもんを知ってるな。まあそうだ、そういうもので間違いはないだろうよ。ただ、東海屋の件で被害がでているのは、遊女ではなくお武家や豪商の娘といったところでな」

「じゃぁ、金持ちの人助けなんです?」


 善兵衛の言葉に、美佐の表情が曇る。


 お武家や豪商の娘とは言え、それは確かに人助けには違いない。しかし、とは言えやることは盗み。貧しい人達を苦境から救う、虐げられている人に救いの手を差し伸べる。そんな理由でもなければすすんでやりたい仕事ではない。


 金にあかせて快楽に耽溺する人間なんか知ったことではない。


 エルフには、エルフのプライドがあるもの。


 美佐は不満げに漏らした。


「金持ちが道楽で身を崩すなんてことを、あんまり助けたいとは思いませんね」


 美佐の言葉に「つめてぇな」と言いながらも、善兵衛は核心をつく内容を告げる。


「まあたしかに、金持ちの道楽よ。しかしな、もしそれが子沢山の家で無駄飯を食わせなきゃならない娘を廃人にして厄介払いをかけるためだったとしたら、どうする。そんな娘たちを、位のたけえ武家や金のある商人に物言わぬ肉人形として払い下げるために使っているとしたら、どうだ」


 肉人形?


 美佐はその意味を一瞬考え、そしてすぐに悟って胸を押さえた。


 気持ち悪い……。


「てめえの家であぶれた娘の心を壊して、繋がりをつけたい名家への貢物にする。そんな目的で使われているとしても、気が進まないかい」


 善兵衛は言い終えて美佐を睨む。


「……そいつら、殺しちゃだめなんですよね」


 善兵衛の言葉に、嫌悪感とともに怒りが駆け抜け、それが怨嗟を煽り立てると、熱く灼けた胸の熱を映すように不意に美佐の瞳が金色に変じて輝いた。


 少女であるとはいえ、美佐はエルフ。その本質は森の狩人であり、戦士として一流の種族でもある。そんなエルフの闘争本能は、美佐の身体の中にも、いや、王家の娘である美佐であるからこそ、濃く深く刻み込まれているのだ。


 しかし、そんな美佐の闘争心を、善兵衛は軽くいなす。


「だめだ。犯さず殺さず、貧しきからは盗まず。それが守れねえってんなら、縁切りだぜ」


 喰らいつくような美佐の金色の瞳。


 しかし善兵衛は、そんな美佐の瞳を睨みつけながら、しっかりと釘を差した。


 善兵衛とて、普通の道をのうのうと歩いてきた男ではない。少女の殺気のこもった瞳を真正面から見据え、それに抗うことくらいは朝飯前にできる男なのだ。


「いいな」

「……」

「いいな!」

「……はい」

「よし、いいこだ、あと、目の色、変わってるぜ」


 善兵衛はそう言うと、計画の詳細を話し始める。


 美佐の目から見て、取り立てて難しい仕事だとは思えない。


 たしかに屋敷は広いかもしれないが、エルフの身体能力と魔力、そして魔法さえあれば朝飯前という言葉に嘘偽りがないことを証明できる。どう考えても、その程度の仕事だ。


 しかし、そんな美佐の油断に、善兵衛は鋭くも気づいていた。


「確かに、エルフの技ってえのは神業だ、でもな、世の中にはその上を行くかもしれねえ人間がいることを忘れちゃいけねえ」

「いるんですか?」

「ああ、いるさ、北町同心の大村新左衛門おおむらしんざえもん。ありゃちぃとばかし厄介だぜ」

「厄介?」

「ああ、厄介だ。見た目は小賢しい餓鬼みたいなもんだし、ちょっと見た感じ剣の腕も大したことはねぇ、ただな」

「ただ……なんなんです?」

「恐ろしく頭が切れる。予見と予測で時を千里眼しているような、そんなやつさ」

「へぇ」


 善兵衛がいかに脅しつけても、美佐には響かない。


 それはそうだ、美佐たちエルフがもつ力は、人間の才能や能力でどうにかなるものではない。魔法とは、そういうものを超越した力なのだ。カエルの中に強いカエルはいるかもしれない、しかし、優秀な蛇にとって、そこに大差はない。


 それくらい、エルフにとって、人間と同列に扱われること自体侮辱そのもの。とはいえ。


 でも、そうね。名前くらいはおぼえておいても損はない、かな。


 善兵衛への義理からか、美佐は心でそうつぶやいて答えた。


「大村新左衛門様ですね、承知いたしました」

「そういうこった。まあ、オメェらがすげえのは先刻承知之助。万にひとつもしくじりはねぇだろうが、気をつけるに越したことはねぇよ」


 善兵衛はそう言うと、よいしょと掛け声をかけて軽業師のような身軽さでとびあがると、自分が入ってきた天井板の穴に手をかけた。


「じゃ、次はウチの二階で、そん時はいい知らせをよろしくな」

「ねえ善兵衛さん、別に入り口からいらしても構わないんですよ」

「バカを言うな、独り身の女の家にやもめの男が一人で入っていって、長い時間出てこないなんて事になってみろ、それこそカラスのおカネあたりが血相変えてうちに飛び込んでくらぁ」


 そう言うと善兵衛は、ヒョイッと天井に身を隠し、音もなく立ち去った。


 美佐は、善兵衛の言うことを頭の中で反芻して「ま、たしかにそうよね」とつぶやくも「だったら裏口から入ればいいのに」と小さく微笑む。


 ただ、ああいう格好したいだけなくせに。


 美佐はそう心でつぶやくと、おいていった絵図面をきっちりと畳んで懐にしまった。


「後で一乃と相談しよ、えっと、大村……様だったっけ」


 ほんと、この世界の人の名前っておぼえにくいなぁ。


 美佐は聞いたばかりの名前を思い出せずに小さく溜息をつくと、誰もいないのをいいことに、そのまま畳の上にゴロンと横になった。


 おカネさん、一体どんなお料理をもってきてくれるのかしら。


 想像したとたんお腹の虫が、またグーッとなく。


 そして程なく、年頃の娘としては不用心極まりない格好で、美佐は深い眠りの世界へといざなわれていった。

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