(4)善屋善兵衛

「やっとけぇったか」


 おカネが美佐の頭しこたま濡らして帰ったその直後。天井から聞き慣れた声がかかった。


「はい、今なら平気です」


 べつに表から入ってきても平気なんだけどなぁ。


 なんてことを考えながら、美佐はそう返事して、狭い四畳半の部屋の真ん中あたりに座布団をひいた。と、次の瞬間、天井板が外れて黒装束の男が座布団の上にひらりと舞い降り、そのまますっとそこに座った。


 黒装束って!昼間っからそんな格好、逆に目立っちゃうじゃない。


 なんてことは当然言わず、そっと心のなかにしまったまま、美佐はその男にうやうやしく頭を下げた。


 男の名前は善屋善兵衛。


 と、いうのは表の名で、その実、かつてほんの僅かの間、江戸の市中に名を馳せた盗賊「悪たれ兵衛ひょうえ」その人で、今は表通りに羽振りの良い質屋『善屋』を営んでいる。


 その評判は酔狂で偏屈。


 しかし、美佐たちエルフにとっては命の恩人とでも言うべき、この頭巾長屋の家主でもある男だ。よって、美佐としてはどんなに奇抜な現れ方をしても、丁寧に応じるのが筋なのである。


「善兵衛様には、おかわりもなく」

「よせやい、ついこないだ顔つき合わせたばかりじゃねぇか」


 善兵衛は少し恥ずかしそうにそう言うと、美佐の顔を覗き込んだ。


「今日もまたべっぴんでなによりだ」

「御冗談を」

「冗談じゃねぇさ、なぁ美佐、そろそろわしの後添いにだなぁ……」


 善兵衛は、今年で二十五歳。


 悪い道に足を踏み入れたのが十四の頃で、一味の頭になったのがなんと十六の時。


 仕事中にやってしまったしくじりをきっかけに盗賊から足を洗ったのが十九をちょっと過ぎたあたりで、その後カタギになって妻をめとり、表通りで質屋を始めてすぐ、二十二の冬に連れ合いを失って今に至るという、なんとも複雑で足早な経歴の男だ。


 つまり、男やもめではあるが年若いときている。


 それだけに、美佐の美貌に心底惚れ込んでいても、無理はないのであるが。


「冗談じゃないなら、ここを出ていきますからね」

「そいつぁ困る。すまなかった」


 といった感じで、命の恩人であるにも関わらず、ずっと振られ続けている哀れな男となっている。ただ、そんな会話を、善兵衛も美佐も楽しんでいる節はあるのだが。


 ちなみにそんな善兵衛、見てくれは普通の男。


 色男でも醜男でもない。の、だが。


「善兵衛様なら、他にいくらでも嫁のあてはあるでしょうに」


 そう、普通の容姿ではあるが、善兵衛には金がある。


 その元手こそは、盗みで儲けた出どころの良くないものであったとしても、そこから一代で、それどころかたったの三年と半年で「質屋と言えば善屋」とこのあたりでは知らぬ者のない店にしてみせたのだ。


 しかも、このあたりの長屋のいくつかは善兵衛の持ち物。土地の有力者として捕り方をはじめとして八丁堀の少し上のあたりの役人にも顔が利くと来ているのだから、美佐の言う通り嫁のあてなどは引く手あまたに違いないのではあるが。


「へ、銭金が目当ての女なんぞに、この善兵衛様が操を立ててたまるかよ」


 と、一向に後添いをとる気配のない男なのだ。


 しかも、今は美佐に足駄をはいて首ったけ。


「まあ、美佐が来てくれると言うならば、願ったり叶ったりなんだが……」

「それ以上言うと、吹き飛ばしますよ」


 ニヤケ顔で近づく善兵衛に、美佐は光る緑の玉を手のひらに浮かべて凄んだ。


「ま、まちやがれ。ったく、そのマホーとかいう術は勘弁しろや」


 焦った口調でそう言いながらも、善兵衛は薄ら笑いを浮かべ「ちっ、まったく面倒なもんだぜ、そりゃ」とひとりごち「冗談はこれくらいにして、仕事の話といきたいんだが」と続けると、居住まいを正して座布団の上にゆっくりと座り直した。


 それを見て、美佐の表情も引き締まる。


「こないだの角屋の一件。その前の一件と並んで、まあ見事としか言いようのねぇ仕事だったぜ。万事、問題はなしだ」


 善兵衛はそう言うと、誇らしげにクッと口の端を上げた。


 その表情、その仕草。経験の割には若い歳をさらに若くしたような、子どもじみた無邪気さを感じる。引き込まれそうな笑顔。


 まったく、ほんと、その気になれば女の子は放っておかないと思うんだけどなぁ。


 その笑顔に、美佐はそんな事を思いながらも、当然それを表情に見せることはせず、黙って静かに頭を下げた。


 そして、すっと顔をあげて一言。


「ずいぶんと、楽しそうですね」

「ああ、お前らのおかげでここのところ楽しくて仕方がねぇよ。お前らエルフが揃ってうちの蔵の中に現れたときは、いってぇなにもんだと震え上がったもんだがな。しかし、今じゃ心底出てきたのがうちの蔵で感謝してるぜ、まったくなぁ」


 そうなのである。


 あの夜、ドワーフから逃れるために唱えた転移の魔法。


 巳太郎ことミデスの不完全な魔法で行き先が不安定なまま唱えられたその魔法の結果、美佐たちエルフの一行が飛ばされたのは目の前にいる善兵衛の店。質屋「善屋」の質蔵の中だったというわけだ。


「なにをおっしゃいますか、幸運に感謝すべきは私たちの方でございますよ」


 美佐はそう言って、さらに深く頭を下げる。


「よせやい、そんな大したこたぁしてねぇよ」


 美佐の丁寧なお辞儀に、善兵衛は、恥ずかしそうに手を顔の前で振るう。


 しかし、美佐のその想いに偽りはない。


 あの夜、まったく未知の世界であるこの江戸に飛ばされたエルフたちを、善兵衛たちは怖がりながらも甲斐甲斐しく世話をしてくれた。それどころか、この世界の文化や暮らし方、喋り方に至るまでをしっかりと教え込んでくれたのだ。


 そして、西国の商家のなんぞという裏設定の身の上話を作り上げたのも、耳を隠すための頭巾をかぶる観音様のお告げだなんだというおとぎ話を考えてくれたのも、そしてなにより、頭巾長屋に全員そろって住まわせてくれたのも、この善兵衛なのである。


 しかも、美佐たちがよけいな詮索を受けないように、町方を始めとした方々に金を撒いてくれているらしい。


 さらには。


「せっかくそんな変わった術をもってやがるんだ、どうせだったらこの江戸で、ちょっくら人助けでもしてみねぇか?」


 と、義賊として生きる道を示してくれたのもまた、善兵衛なのだ。


 そういうわけで、美佐にとっては嫁入りの件以外は善兵衛の頼みに逆らえるような立場ではないし、感謝を忘れたことなどない。


 足を向けて眠れない恩人とは、まさに善兵衛のことなのである。


 それに、もう一つ大事な頼み事もしてあることだし。


「で、角屋の一件の付け届け、善兵衛様にはご満足いただけましたでしょうか」


 美佐としては、善兵衛との良好な関係を失うわけにはいかないのだ。


「かてえな、おい。まあいい、ああ、巳の字からもらったぜ、こちとら別段欲しかねぇんだがな」

「そんなわけにはいきませんよ」

「ったく、律儀だね。ま、いい。で、これが例のもんだ、受け取りな」


 そう言うと善兵衛は、ころりと丸い緑の玉を転がした。


「はい、ありがとうございます。あらためさせていただきます」


 美佐はそう言うと、転がされていた緑の玉を慎重に手にとって見分けんぶんする。


 そう、これがもう一つの大事な頼み事。


 美佐たち盗賊ナガミミ小僧の一味。


 いや、エルフの一族が求めている大切な報酬の一つ、いや、そのぜんぶ。


 それが、この玉なのである。


「……残念ながら、これでは難しいですね」


 そう言ってため息交じりに善兵衛に差し戻した、小さな緑色の玉。


 その正体は、翡翠。


 転移の呪文に欠かせない、アメンテの宝玉にそっくりの宝石だ。


「そうかい、そいつは残念だったな」


 美佐の言葉に、残念そうな風情で、善兵衛はもってきた宝石を渋々懐にしまう。


 そんな善兵衛の様子に、美佐も少し伏し目がちに詫びを言う。


「本当にご迷惑をおかけいたします」

「なあに、心配には及ばねぇよ。この善屋善兵衛、翡翠のたまころなんざその気になれば星の数ほど揃えるだけの銭はもってんだ。それに、この件は最初の取り決め通りだろ、遠慮される筋合いなんぞねえさ」


 そう言うと善兵衛は、フフッと笑う。


「まあ、こいつは、お前らの言うなんちゃらの宝玉と違って、こちとらにゃぁ大して価値のある石でもねえしな」


 そう言って笑った善兵衛の言葉は、ある意味真実である意味間違っている。


 確かに転移の魔法に欠かせないアメンテの宝玉は、一回ごとに砕けてしまうエルフの秘宝中の秘宝。転移前の世界においても、おいそれと手に入るものではなかった。


 しかし、その実態はベリート鉱石と言うありふれた鉱物なのだ。


 つまり、こちらの世界で言うところの翡翠がそれにあたり、むしろそれ自体は、江戸よりもトリステアートのほうが廉価で販売される装飾用の色石でしかない。


 ただ、そんな翡翠の中でたまたま魔力を帯びやすい性質を持っているものにエルフの王家に伝わる希少魔法をもって魔力を限界まで閉じ込めたもの、それこそが価値ある宝玉、アメンテの宝玉となるのである。


 だからこそ美佐たちは、この世界に来てすぐにお宝の眠る善屋の質蔵の中で翡翠という名のベリート鉱石を見つけるや、喜び勇んで善兵衛に頼んだのだ。善兵衛の願いどおりにに義賊として働くかわりに、ひと働きに対してひとつずつ、アメンテの宝玉の候補となる翡翠の玉を善兵衛に調達してほしい、と。


「べつにこちとら、なんにもしなくたって翡翠くらい集めてやるってのによ」


 善兵衛はそう言って、美佐の顔を覗き込む。


 美佐もまた、そう言う善兵衛の顔を見つめ返した。


 しかし、その瞳には嘘のかけらも見ることはできなかった。本当に、心の底からそう思っている。そんな眼差しであった。それは、最初に翡翠の調達を頼んだときに、同じ科白せりふを話したその時と、変わらない瞳の色。


 だからこそ美佐は、いつものように断るのだ。


「いいえ、エルフは高潔な一族。見返りなく他人にものを頼むようなことはいたしません」

「他人ねぇ」


 ため息交じりに発せられた言葉のあと、しばし黙ったまま見つめ合う二人。


 最初に動いたのは、善兵衛だった。


「……一晩相手してくれりゃ、百個だ」

「ぶっ」


 その一言に、たまらず美佐は吹き出した。


「もう善兵衛様、冗談はおやめくださいまし」

「嘘でも冗談でもねえさ、なあ、美佐。お前にゃそれくらいの価値がある」


 善兵衛もまた、そうは言いながらも冗談の風情を漂わせ、笑いながら懐をまさぐって紙の束を投げ出した。


「で、まあ、次の仕事だが」


 これには美佐も驚く。


「ずいぶんと早くありませんか」


 その一言とともに、美佐は露骨に顔を曇らせた。

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