(3)カラス長屋のおカネさん

「あたしゃね、絶対にいい男だと思うんだよ」


 もう半刻以上そこに座り込んで、ずーっとナガミミ小僧の話をしているのは、美佐の予想通り、隣のカラス長屋のおカネだった。


 おカネは三十路間近の独り身の女。なのだが、聞いた話によれば名うての料亭の花板が長屋にまで通ってきているらしく、その時に、がばりと金子きんすを置いていくらしいのだ。


 結果、そこいらのおかみさん連中とは違って、あいた時間に内職を詰め込まなくてもそれなりに裕福な暮らしができる身分。同じく、そこまであくせくしなくとも暮らしの成り立つ美佐を良い話し相手と見込んで隣長屋から通ってくるのだが。


 暇で懐に余裕のある年増の女。見てくれ同様、尻が重い。


「ね、お美佐ちゃんはどう思うね、やっぱりいい男だと思わないかい」


 うーん、その質問もう三回目だよ。


 美佐は心のなかでそう呟きながらも律儀にその都度違う返事を考えているのだから、本心では、こういうなんでもない異世界人との関わり合いを楽しんでいるのだろう。姫であった頃には叶わなかった、こういうざっかけない下々の会話というやつを。


「さぁどうかしら。でも義賊とは言え盗賊なんでしょ、そんな悪い人をホメちゃさすがに天下様に申し訳が立たないわ」


 美佐は、これまで「どうかなぁ」みたいな返事をしていたのだが、今度は半歩だけ踏み込んで答えてみる。


 というのも、美佐の心のどこかに、自分たちの行いに対して「義賊とはいえ盗賊」という後ろめたさがあり、それを誰かにぶつけてみたいという思いがあったのだ。江戸の人たちが、本心ではどう思っているのか知りたい。と、いうわけだ。が、おカネの返答はそんな美佐の想いとは関係のない方角へと飛んでいった。


 問われたおカネは大げさに深いため息をつきながら、呆れ顔でこう答えたのだ。


「はぁあ、ほんと、お美佐ちゃんは硬いんだから。それだから、いい歳してそれなりの男のひとりも見つかんないのよ」

「なっ……」


 よけいなお世話です!


 なんて、いくら図星でも、知り合って間もないおカネにそんな心安い言葉を言える美佐ではなく、ぐっと言葉を飲み込んだ。ただ、飲み込んだその理由は、まだおカネと親しくない、などという、そんなありふれた理由だけではない。


 実は、そこに隠れているのは美佐の隠しきれない食い気。


 というのも、おカネが時々おすそ分けしてくれる数々のお菜の味ときたら、それはそれは、そこいらの仕出し屋を凌ぐデキで、一流料亭のいい人が通ってくるのは、もしやこのせいなのではないだろうかと疑いたくなる。と、いった具合なのだ。


 なので、その威力を舌の根から胃の腑の中までしっかりと染み込ませた覚えのある美佐としては、ここでおカネの気を損ねるわけにはいかないのだ。


 旨い料理をお裾分けしてくれる隣人、それは長屋住まいにおいて値千金の貴重な宝。


 失うわけにはいかない。


「……もう。そんな、おカネさんみたいにはいきませんよ」


 そういったわけで、当たり障りのないお追従をいいながら、美佐の脳裏によだれとともにおカネの料理が浮かんで来ても、それはそれで仕方のないことではある。


 ああ、あのがんもどきを噛み締めた時のじゅわっと来るお出汁の味ときたら……ああ、あの大根の歯ざわりもまた……。


――きゅるるるる。


 不意に鳴き出す、美佐の腹の虫。


「ひゃっ」


 慌てて美佐はお腹を押さえるも、おカネに聞こえないはずはない。


 証拠に、おカネは呆れ顔で深い溜め息をついた。


「はぁ、まったく、育ち盛りだろうから仕方がないにせよ、それにしたって色気より食い気って年頃でもないだろうに」

「うー。でも、まだそうかもしれないです、わたしは」

「なにいってんだい、だいたい、お美佐ちゃんはそっぽの方が人一倍いいんだから。婿取りだってすぐなんだろう?」


 そりゃまあ、わたし、エルフですから。


 なんて、お菜の腕云々を別にしても言えるわけがない。


 ただ、事実、トリステアーノにいる時もそうだったのだが、どうやらこの異世界である江戸においてもエルフは美形らしく、美佐としては甚だ遺憾ではあるが、何人かの近衛たちは色街あたりでだいぶウマウマしているらしい。


 というわけで、エルフはモテる、これは確定的に明らか。とはいえ。


「わたし、そんなにきれいじゃないですよ」


 と、美佐は控えめに謙遜しておくことにした。が、おカネがそれを見逃すわけもなく。


「なにをお言いだい、そりゃ不思議なことにこの頭巾長屋の人間は誰も彼もが上等な顔立ちをしてるからそう思っちまうんだろうけど、街中に出てご覧よ、欠けた里芋やら踏んづけた油揚げみたいな顔はごまんといるんだよ」


 ひどい言い方もあったもんである。


 ちなみに、噂によればおカネのいい人は、欠けた里芋でも踏んづけた油揚げでもなく、初鰹の背のような、かなりの二枚目であるそうだ。


 しかも、当のおカネも、欠点と言ったら煮しめた大根のような黒い肌をしているのが唯一で、カラス長屋の小町と言えば間違いなくおカネというくらいの美人。


 さらに言えば、大名商家の娘ならいざしらず、長屋に住まうような素っ町人にとってみれば浅黒い肌の女は働き者の証だということで、実際そうなのかどうかは置いておいても、すでに買い手がついていることを値引いても「ぜひともおカネをウチに!」という声は後をたたない。


 でもまあ、だからこそ、妬みや嫉みなく美佐と仲良く出来るのかもしれないが。


「あたしやあんたみたいないい女は、早くどこかに収まったほうがいいんだよ」

「そうね、誰かいい人いないかなぁ」


 頬に手を当てて、考え込む。


 元いた世界にもたしかに人間はいて、きっと江戸に生きている人たちと何も変わらないであろうことはわかっている。


 そして、もしそれが真実であるならば、美佐のようなエルフが江戸の人間と所帯を持ち、しまえば子供もきちんと生まれるはずだ。その結果生まれるのはハーフエルフという種族にはなるが、大抵は人間ベースの美形が生まれることが多く、人気も高い。


 なので、人間とちぎったエルフは、あっちの世界にも普通にいた。


 多くはないが、そんなに珍しいことではなかった。


 ただ。


「わたしは、長生きしてくれる人がいいなぁ」


 そう、エルフと人間の結婚。一番の気がかりはその寿命の違い。この長屋いちばんの年寄りである巳之助爺さんがゆうに四百年以上生きていると知ったら、きっとおカネは腰を抜かすに違いない。


 そんな事を考えながら、美佐はふっとおカネの顔を見る。


 すると、なにをどう勘違いしたのか、おカネは鼻をすすりながら涙ぐんでいた。


「ちょ、おカネさん?」


 あまりのことに、美佐は驚きの声を上げる。


 するとおカネは、突然美佐の体を抱き寄せて、背中を擦りながら口走った。


「ごめんよ、嫌なこと思い出させちまったね」


 おカネの言葉に美佐はハッとする。


 そうだ、たしかにあの言い方じゃ勘違いされても仕方がない、と。


「あんたたちが、遠い西国の商家の出で、たちの悪い悪党にあんたの親が殺された挙げ句に江戸に逃げてきたって知っていたのにね。ナガミミ小僧なんて悪党、あんたにとっちゃかたきの縁続きにしか見えないよねぇ」


 そう、おカネの言う通り、美佐の身の上は、そういう事になっている。


 もともとは、西国の豪商に生まれ何不自由なく暮らしていたお嬢さん。ところが、突如夜盗の集団に襲われて一族郎党皆殺しの目にあい、なんとか美佐だけ生き延びて命からがら江戸に逃げてきた……という事になっているのだ。そして、この長屋にいるのはそんな美佐を慕って着いて来てくれた元奉公人や商売仲間の集団だ、と。


 それが、江戸で生きていく上で必要な、美佐たちの仮の人生。いわゆる、嘘。


 まあ、まったく的外れというわけではないのだが。


「そのとおりさ、連れ合いなんてのは長く生きてくれるのがいちばんさ」


 とはいえ、こんなふうに泣かれては美佐としてもなんとなく申し訳がない。


 普段からなにかと良くしてくれているだけに、仕方無しの嘘ではあっても、心の奥底になんとなく棘が刺さったような気分になる。なので、少しだけ色を付けた返事をしてしまったとしても、それは美佐の落ち度というわけではないだろう。


「大丈夫よおカネさん、ここにはむかしの仲間もたくさんいるし、それに」


 美沙は優しい声色で、しかも、ちょっとだけ震わせながらそう言うと、これでとどめ、泣き止んでくれとばかりにおカネの顔を覗き込み、観音様の如き表情をうかべニッコリと微笑んで、一言。


「おカネさんもいるから、わたし、寂しくなんかないよ」


 言い終えて、どうだとばかりに美佐はおカネを見つめる。が、それは残念、逆効果。


 その一言で、泣き止むどころか、おカネは堰を切ったように泣き始めてしまったではないか。


 しまった、やりすぎた。


 美佐は心のなかで舌を出す。が、すでに時遅し。


 おいおいと泣き始めたおカネの涙は止まる様子もなく「大丈夫このカネさんがついているよ」だの「家族と思ってくれていいんだよ」だのと言い募り始めてしまった。


 そんな様子に、美佐は、これはこっから長くなるだろうなぁと思いながらも、優しくも暖かく、どこか懐かしい香りのするおカネの胸に抱かれて、ここは黙っておとなしく背中を擦られておくことにした。


 ただそれは、少なくとも嫌な気持ちはしなかった、いや、心地よかったと言っていい。


「今日は、あたしが腕によりをかけて美味しいものをもってきてあげるからね」


 その一言が、ふいに美佐の胃袋を刺激する。


 大根、明日でいっか。


 土間のへっついのあたりに積んである大根に思いを馳せながら、美佐は、静かにおカネのふくよかな胸の中で瞳を閉じた。

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