海千山千調理師学園中間試験課題『エビフライ』
まだ春の気配失せぬ、五月のことだった。
「
――海千山千調理師学園、中庭にて。
大勢の生徒が固唾を飲んで見守るなか、臆した様子など微塵も見せずに海戦秀子は続ける。
「次の中間試験! 私の方がおいしいエビフライを揚げて、貴女に勝利して見せるとッッッ!」
対する海老乃天は余裕を感じさせる笑みで応じた。
「ええ。その挑戦、お受けします。海戦さん。……ですが、分かっているのですか?」
「無茶無謀は重々承知!」
「では、私から言うことは何もありません。楽しみにしてますね、海戦さん。貴女のエビフライが食べられるのを」
爽やかに金の髪を翻し、海老乃天は中庭から去って行った。
その姿を見て、入学したばかりの一年生二人がこそこそと話をする。
「……無謀って、どういうことなんだろうね」
「あの海老乃って先輩、名前の通りにエビ料理が大好物みたいよ。次の試験課題のエビフライは、とくに」
「ああなるほど。エビ天とか――むぎゅっ」
「しっ。その名前で彼女を呼んではダメ。それが許されるのは彼女が許した10人――海山十傑衆にのみ許されることなんだから」
「……へ、へぇ。そうなんだ」
「けれど海戦秀子さん、彼女は実力的に海山十傑衆に入っててもいいはずなのに今も彼女をあだ名で呼ばないのよね……不思議だわ……」
「私はあなたが不思議だけどね……なんでそんなこと知ってるの」
◆ ◆ ◆
中間試験の日がやって来た。
海千山千調理師学園の中間試験は公開調理と審査員による実食によって行われる。
審査員は学園が誇る講師陣10名とその学年トップクラスの成績を誇る生徒3名から構成される。そして無論、生徒審査員3名の中には彼女の姿がある!
――金髪に特徴的な赤のリボン姿。
そう、海老乃天である。
「……楽しみにしています。海戦さん」
「ええ。お楽しみくださいな。海老乃天」
闘志は十分。海戦秀子は位置に付き、
「――――中間試験はじめェッッッ!」
調理を開始する。
海戦秀子の調理は堅実にして誠実。無駄はなく、手早く、しかし焦りの色は微塵も見えないスタイルだった。
まるで普段からそうしているかのように自然な振る舞い――それは、同時に調理を行っている他の生徒たちとは、明らかに違う。
にわかに、審査員の視線が海戦秀子に集中する。
適切な手順でルーチンワークをこなすように、安定した調理をするということ、それが調理師に求められる技能の一つであることは説明を要さないであろう。
海戦秀子の、人前に出る前にスタイルを完成させる生真面目さ。これは大きな評価ポイントとなった。
だが、一番にエビフライを完成させたのは海戦秀子ではなかった。
「調理終了です!」
最初に挙手したのは別の女子生徒。実家は定食屋だ。エビフライを揚げる技術に関しては他の生徒よりも一つ抜きん出ていた。
色合いを見て、すぐに実食審査に移る。
「…………」
言葉はない。沈黙が支配するなか、海戦秀子は淡々とエビフライを揚げることに集中した。これで意識を逸らしてエビフライを焦がしてはこれまでの努力が水の泡だ。
じゅわじゅわと音を立てる油の泡にすらならない。
「――実食審査、終了」
審査員の一人が告げる。最初にエビフライを揚げた少女は愕然とした。理由は、各審査員に配膳された皿の上だ。
エビフライが、まだ半分以上も残っている。
「くっ……」
点数を見るまでもなかった。出したエビフライが2/3も食べられていない時点で、高得点は望めない。
悔恨に表情を歪め、女子生徒は試験会場をあとにした。
「調理終了ですわ!」
ここで、海戦秀子が挙手した。
エビフライが審査員に配られる。
「――っ!」
一口目で、審査員たちの表情が変わった。海戦秀子は確信する。これなら――と。
しかし、
(どうして……なぜ誰も、二本目を口にしようとしないの……?)
審査員たちは考え込んでいる様子で、中々二本目に手をつけようとしない。
やがて、全員が一つの結論に達したのだろう。審査員の一人が言った。
「……審査、終了」
海戦秀子はくずおれる。試験会場から去る気力もない。悔恨ならばまだ優しい。彼女の心を占める感情、それは絶望だった。
ゆえにこそ、かえって。
海老乃天の言葉はよく響いた。
「……試験の審査は終了ですが、ここで。追加の審査を行いたく思います」
「………………へ?」
顔を上げる。海老乃天は朗らかな笑みで言った。
「ご飯、よそっていただけるかしら?」
海戦秀子は他の審査員の顔を見る。全員が、穏やかな表情でう頷いている。
「……このエビフライは、単体で食べるのではあまりに、もったいなさすぎます」
「――――っ!」
海戦秀子は力強く手を握った。
◆ ◆ ◆
後日。とある日の昼休み。
「
――海千山千調理師学園、中庭にて。
「あら。海戦秀子さん。私、もう貴女のことを認めたじゃないですか」
「しかしっ、勝負には負けましたわ!」
張り出された中間試験結果を指さして、海戦秀子は言う。
成績一位はやはり、海老乃天。海戦秀子は三位だった。
「私は、貴女を真に下したときこそ! 貴女をあの名で呼ぶと決めてますの!」
「そうですか……では、その日を楽しみにしてますね」
涼しげな笑みで、海老乃天は応じた。
それから黙って手を出す。
「…………」
耳を赤くしながら、海戦秀子は手に持つ弁当箱を一つ、渡した。
海老乃天は弁当箱を受け取ると包みを開いて開ける。
中には白米とエビフライ。そして幾つかの野菜。
海老乃天は両手を合わせて言う。
「いただきます」
(了)
三題噺小説集 砂塔ろうか @musmusbi
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