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 綺麗な顔だと思った。

 それは彼女を初めて見た時と同じ感想だ。

 しかし、その時とは全てが違っていた。

 声を掛ければ起き上がりそうだが、その顔は青白く、まるで蝋細工の様にも見える。

 現実味がなかった。

 何か、作為的に作られた映像を見せられている気分だ。

 心の奥底から湧き上がって来る感情が、空気に触れた瞬間に霧散している様に思う。

 感情が形を成す前に陽炎の様に消えてなくなってしまう。

 虚無感とはこの事なのだろうか。


「亜美!」


 安置所の扉が開き、男女が雪崩れ込んできた。

 恐らく、彼女のご両親だろう。

 俺は居場所を失くし、そっと廊下へ避難する。


「黒瀬君、話をしても大丈夫かな?」


 さっきの片方が立っていた。

 俺は頷き、近くの長椅子に二人で座った。


「気持ちの整理がまだ出来ていないだろうけど、色々と聞かせてもらっていいかな?」


 その声は優しく、俺の事を気遣ってくれているのがヒシヒシと分かる。


「はい、俺の分かる範囲で答えます」

「答えたくない事は答えなくていいからね」

「はい」


 そうして、室内から嘆きの声が聞こえる中、俺は質問に答えていった。

 簡単な質問だった。

 彼女の普段の生活や、最近変わった様子はなかったなど、テレビのサスペンスドラマと同じ質問。

 俺は機械的に答えていた。

 しばらくすると、安置所の扉が開き、中から彼女の父親だけが出てきた。

 目は真っ赤に腫れ上がってはいるが、毅然とした態度を保とうと努めている様に見える。


「君が黒瀬君、かな?」


 俺は立ち上がり、深々と頭を下げた。

 言葉が出なかった。

 俺のせいで彼女は命を絶った。

 どんな恨み言を言われてもおかしくない。


「君と付き合い始めたのは1年前くらいかな?」

「……、はい」

「その頃からね、娘は何処となく元気になったんだ。君のお陰だ」

「……はい?」


 拍子抜けだ。

 悪態を吐かれると覚悟したのだが、これでは必死に練り上げたその覚悟を何処に置くべきか分からなくなる。

 そんな俺の様子に気付いたのか、先程まで俺に質問していた警察が、俺の肩に優しく手を置いた。


「君は少し勘違いをしている様だ。今から話す事は、君にとっては非常に辛い事だが、知っておかないといけない」


 そう言って、重々しい空気を共にゆっくりと説明を吐き出していった。

 その説明によれば、彼女は妊娠していたらしい。

 しかも、俺の子供ではない。

 相手は大学の准教授、彼女が入ろうと思っていたゼミのだ。

 彼女の自宅に残されたラップトップの中に、が残っていたらしい。

 何故、日記と言い切れないのか。

 それは、その准教授から日に、のみを書いたものだったからだ。

 警察は立場上、それを全部読んだらしい。

 初めて准教授からのは、入学して3ヶ月もしない時。

 選択科目として彼女が受けた授業の講師をしていたのがその准教授だった。

 真面目な彼女が授業内容の質問に准教授を訪ねた時、強姦された。

 それ以来、頻繁に呼び出され、脅され、強要された。

 彼女はすぐさま経口避妊薬を飲み始めたらしいが、それでもらしい。

 それが分かったのは、彼女が姿を消した日の前日。

 妊娠が分かった時には、周りには気付かれない程度ではあるがお腹は大きくなり始めており、入院を伴う中絶手術が必要だった。

 それに絶望した末の自殺と、警察はみている。

 頭がクラクラした。

 そこまで聞いて、俺には全てが分かってしまった。

 何故、彼女が不定期に俺を求めたのか。

 何故、彼女は誰にも何も言わずに、准教授との歪んだ関係から逃げ出さなかったのか。

 何故、彼女が俺との曖昧な関係を続け、恋人という関係を望まなかったのか。

 何故、彼女は独りで抱え込み、命を絶ってしまったのか。

 その全ては自分のを守り、誰も傷付けたくなかったからだろう。

 彼女は優しい。

 いや、優し過ぎたのだ。

 両親にも、俺にも、准教授にも、そして自分自身にも。

 自ら命を絶つ事により、自らの尊厳を守ろうとしたのだ。

 馬鹿だ。

 彼女は秀才だが、救いようのない馬鹿だ。

 自分を守るために、自分を殺したのだ。

 こんな矛盾を、俺は到底許せない。

 怒りが、悲しみが、恨みが、虚しさが、憎しみが、雪崩の様に心を塗りつぶしていく。

 声を上げて泣いていた。

 膝から崩れ落ちた。

 彼女の父親が、俺を抱き止める。


「ごめんなさい……。何も出来なかった……。ごめんなさい……」

「君のせいじゃない、君のせいじゃないんだよ!」


 俺を強く抱き締めながら、彼女の父親も泣いていた。

 最初から最期まで、何とも自分勝手で、尊大で、遠慮もなく、不器用で、馬鹿な奴なんだ。

 そして俺は、なんて女に引っ掛かってしまったのだ。

 俺はもう、彼女以上に愛せる相手を生涯見付ける事など出来なくなってしまったではないか。

 これはただ、馬鹿な男が馬鹿な女を好きになっただけの話。

 何処にでもあり得る、有り触れた話。

 それでも、当事者達にとっては一生を狂わせる、そんなくだらない話だ。




Self-sacrificing Self-defense――――End...

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Self-sacrificing Self-defense Soh.Su-K(ソースケ) @Soh_Su-K

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