華くらべ【PM 12:20】side:ヒバナ

 むくげの花は天上へ

 雲は彼方に還れども

 かへるべしらに越ゆる路


 胡蝶花しゃががそう声高にうたいあげた。

 瞬間、蒼炎を帯びた日本刀を携えて走る日之ひのの身体が爆発的に加速する。

 振り抜いた刀身がしんを叩き斬り、風を孕んで苛烈さを増した炎が、ごうッとその亡骸を呑み込んでいく。

 塵と消えた神を一瞥した後、雪崩れ込む新手に備えて二人は呼吸を手早く整えた。

 未だ大きく息は乱れていない。

 この半年間、日毎夜毎にしんを殺してきたのだ。そして今日も。


 二人は先刻中心部たる学園を飛び出してから、各地区から際限なく流れてくる神たちを迎え討ち続けていた。

 神々はここに来るまでに摩耗している個体が多い。先達の遺した情報も豊富だ。

 もし討ち漏らしたとしても、殆どの神はそこに長く留まらない。

 少しの間凌げば、低所に流れる水のように通り抜けて、学園中央へと向かうだろう。


 (危険な個体は避けて、確実に仕留められる個体の弱点を突く)

 そうすれば少なくともに負ける道理はない。そう胡蝶花は考えていた。


 アラームが鳴り響き、戦い始めてもう直ぐ一時間半という時まで。

 その時まで、彼のその考えは変わっていなかった。


     ❖


「ったくなんなんだ、しつけえなッ! あの野郎やろう

 五社中央部から真逆の方向に疾走しながら、自らの後方に付き纏う大型の神を再度目視して胡蝶花は悪態を吐いた。そんな彼を喰らわんと、一直線に突き進んできた触手を斬り伏せた日之は、同じく傍らを駆けながら同意の相槌を打つ。

 おおよそ八~十メートルほどはあるだろうか? 建物が動いているかのような巨躯きょくが、地面に大きな影を落としながら追尾してくる。

 金属の翼を羽搏はばたかせずに、ゆらゆらと浮き揺蕩たゆたうその様子が不気味だった。

 胴体部分から生えた大動脈のような触手に、新しく人間を数珠繋ぎにしては緩慢にずるり、ずるりと引き摺っている。やがて血を吸いつくされた肉体は、飽きられた玩具のようにどちゃりと力無く道端に打ち捨てられた。


 ――ぽたん、――ぽたん


 啜り上げられた血液が、雫となって漏れ落ちる音がやけに響いている。


 位は松のおつ。本体の動きは緩いが、触手は再生する上に素早く厄介だ。

 どう考えてもまともに矢面に立ちたい相手ではない。


 (安全地帯へいったん退避するべきか)

 胡蝶花は端末に目を落とし、神の出現情報と辺りの地形を確認する。

 向かう先のまみ地区は違法建築が雑多に立ち並ぶ迷路街だが、その住人にとっては敵を撒くのに格好の場所だ。

「日之、突き当りに見えるタバコ屋の自販機……隣の隙間見えるだろ」

「ああ、抜けるか?」

 胡蝶花の首肯を見るや否や日之は飛び出し、行く手を塞ぐ有象無象を散らして道を切り拓く。二人は細く薄暗い路地裏に飛び込んだ。

 ぐちゃり、と何か踏みつぶして胡蝶花は顔を顰める。足元を見れば、ひっくり返ったポリバケツと腐臭を放つ生ごみが散乱していた。なんとも貒らしい、と一つ心内で毒づくに留めて何を言うでもなく足を退ける。

 不快ではあるが、今回は

 外の様子を伺う日之が頷く。表通りを浮き漂う怪鳥は、こちらを見失ったようだった。

 代わりにその触手の先には先刻とはまた違う顔ぶれが、すぐ目の前を串刺しになって、ぞろぞろと地を這い通って行った。


     ❖


「『ふみ』の更新は? どうだかんなぎ

「変わんねえよ。捕食よりも五社中心部への移動が優先傾向、って記載のまんま。……ち、ガセ書きやがって」

 腕の欠けた詠手がそれほど捕らえ易く見えるのだろうか?

 神の目撃情報を更新しながら、胡蝶花は忌々しそうに舌を打つ。

「なんにせよ、奴は索敵の殆どが嗅覚頼りらしい。この場所に居りゃ態々寄り付かれることもねえだろ」

 あのバケモンがこれ以上生ごみ食っても驚かねえけど。聞く人が聞けば怒り狂うような悪い冗談を吐く胡蝶花に、日之は成程と口の中で呟いた後、真面目な顔で

「その通りだな」

 と、馬鹿正直に返した。


 ここで態勢を整えて、あの大型神が去ったら当初の戦闘基本地点に戻る。二人の行動指針は速やかにそう決定した。

 激戦区から離れたこの場所は、今までいた場所と比較すればだが、音が少ない。

 一先ずはこの場所で悪臭とアラーム音にだけ気を付ければ、息をつくことができるだろう。

(嗅覚への干渉も便利だろうな。幻覚の応用……何か一つ書いておくか)

 使い慣れた筆ペンのキャップを口で外し、胡蝶花は器用に左手で文字を綴る。


 万代よろずよに年は来経きうとも梅の花

 絶ゆることなく 咲きわたるべし

  ――万葉集・筑前介佐氏子首


 常は自作の詩を詠むが、胡蝶花が何よりも好きな梅の花の詩だ。辺りが静かだったのも相まり、気を落ち着けて書いたその護札の出来は上々であった。

 試しに少しだけ詠んでみようか。

 口を開こうとして、胡蝶花はその違和感に気付き、ぴたりと動きを止める。


 


 誰かの悲鳴も、建物が瓦解する音も、風の音さえも、何も聞こえない。

 明らかな異常にぞっと総毛が立つ。全身がこれ以上なく警告している。

 これはおそらく神の異能。

(しまった、音に依存しすぎた! )

 ――日之!

 口から音は響かない。詠手には致命的なデバフに成り得る事態に、胡蝶花はさらに気を焦らせる。


 ――ぽたん。


 静寂の中で雫の撥ねる音がした。

 日之の方を振り向くよりも先、毒々しく赤い血のような触手が胡蝶花の頭部を狙うように、視界の端に風を切って伸びる。

 瞬きをする間もなく別方向から彼の首元に衝撃が走った。そのまま胡蝶花の身体は後方に吹き飛び、強く地面に叩きつけられる。げほっと肺から空気とともに、咳き込んだ音が漏れる。

 自分は日之に投げ飛ばされて、無音の檻の外に出たのだ。

 胡蝶花は態勢を取り直しながら痛みと共に瞬時に思考する。

 どうしてあの神が、再度自分たちを狙うのか?

 標的にされる条件を見落としている?

 ぐるぐると思考はまわり彼の脳内は混乱に陥りかける。いや、それよりも。

「っ日之! 」

 改めて大きく声を発し顔をあげ、正面を向きなおして胡蝶花は目を見開いた。

 

 日之の四肢がいくつもの触手に貫かれている。

 右腕は捩じ折られて骨がはみ出し、左腿は立っているのが不思議なほどに。

 彼の身体から散る、寒緋桜かんひざくらの花弁がやけに色濃く目に映る。

 胡蝶花は彼の花を碌に見たことがなかったのだ。

 だからその花がこんなに強いあかであることを知らなかった。

 知るつもりもなかったのに、否が応でも分からされる。

 この花は彼の血であると。


 こちらの声は恐らく向こうに届いていないのに、日之はこちらを振り向いた。

 いいや、もしかすると最初からこちらを見ていたのかもしれない。

 過程は些末なことだった。要するにその時二人の目線があったことだけは、確かだ。

 日之がゆるりと口を開く。問題ないと、その口の動きが象るのを胡蝶花は見た。


 数瞬後、肉が引き千切られる音と共に彼の右腕から花吹雪が一層舞い上がるときになって、ようやく胡蝶花は怒号を放った。

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華軍 柚希 @Uki_8989

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