テーマ:「親切」

A New Translation ~ある戦士たちの回顧~

1.

―黒の王国。

 300年前に、現女王、ミコ様が建国したこの国は、多様な生物、豊富な食べ物、芳醇ほうじゅんな土壌を有する巨大な国家である。


 わたし、アイネは戦闘兵としてこの国に仕えている。やることは兵糧運搬の護衛、王城の警護、そして異民族との戦い。

 女として生を受けて20年余り。数多あまたの戦いに身を投じ、自分の近くで仲間が死ぬ様を数知れず見てきた。



「君たち第10戦闘部隊の今回の任務は、「神木しんぼくの森」の狩場に向かう、第1調達部隊の同行と護衛だ」


 王城執務室のひとつで私は任務を受命した。

 自分より体がふたまわり程小さい、でっぷりと太った男が、偉そうに言う。


「アイネよ。お前の部隊は弱兵ばかりだ。何か問題があれば、隊長である貴様に処断が下ること覚悟せよ。失礼のないように。特に隊長のエイト様には絶対に粗相のないようにせよ」

 私は、その蛇足だそくな忠告に無言で頷き、その場を後にした。


 執務室から出ると、佐官のリンが近づいてきた。


「アイネ様。大臣のお話とは」彼女の視線の先に、黒いすだれのような前髪が揺れる。


「第1調達部隊の狩猟護衛・調達補佐。王城帰還までの護衛を賜った」


「エリート様たちとピクニックですか。面倒臭い」リンが不機嫌を隠さず言い放った。



 戦闘部隊と調達部隊について簡単に説明しておく。

 戦闘部隊は、体ひとつで敵と渡り合い、時には犠牲になって味方を守護する、最も傷が多く、人数が多く、そして最も死者が多い兵科である。

 私の第10戦闘部隊はすべて平民出身の者たちで構成されている。私も平民出身だ。身分が低い者は、人死ひとじにが多い戦闘兵科へ回される。


 一方調達部隊は、食料、雑貨といった王都の民に供給する物品の調達を担当する、国の生命線ともいえる兵科である。

第1調達部隊は、調達兵科で最も位が高い部隊だ。貴族出身の者たちで固められたエリート集団で、特に隊長のエイトは、末席ながら王家の血を引く家の者である。


「第10戦闘部隊、隊長のアイネです。このたびはよろしくお願いします」


 今回の任務で、第1調達部隊と挨拶を交わした時のことだ。


「第1調達部隊、隊長のエイトだ。アイネ隊長、貴殿の隊にはあまり期待していない。が、最低限弾除けたまよけの働きはしてくれるよう切望する」


 エイト隊長が尊大な物言いで私に命令する。


「エイト隊長に恥をかかせぬよう、率先して対応するようにしたまえ、アイネ隊長」


 エイトの佐官、セブンが更に言葉をつなげた。


 初っ端しょっぱなから、私の頭はハンマーで横殴りにされた気分だった。

 第1調達部隊は、最もエリート意識が強い部隊と言われている。これでは間違いなく部隊員同士で衝突が発生するだろう。頭が痛い。


「承知しました。先輩方の胸をお借りいたします」


 今にも殴り掛かりそうな佐官リンを抑えながら、私はこの任務が容易に進まないことを確信した。



2.

 神木の森の狩場へは、森を回りこむ新街道と、森の中を突っ切る旧街道がある。

 新街道は、道が良く整えられており、治安が良い。旧街道に比べ時間はかかるが、安全性が格段に違うため、今回の任務でも新街道を利用することにした。


 王都からの行程は5日ほどになる。

 

 進軍中の調達部隊の様子を見ていると、この任務は城の幹部たちが、エイト隊長に手柄を立てさせるために用意したものであると容易に想像できた。


 狩猟任務は、普通は適度な緊張感をもって行われる。新街道とて、何か不慮ふりょの出来事が起こらないとも限らないからだ。少なくとも第10戦闘部隊の警戒は強い。


 しかし第1調達部隊にはその緊張感は全く見られない。

 戦闘がおこることは全く想定していないのか、部隊員全員軽装である。まるで本当にピクニックにでも行くかのような姿だ。

 エイト隊長が輿こしに乗ってきたときは、この人たちは祭りでもするのかと思った。

 なんでも、行軍に足を使うのは疲れるからだそうだ。


 私の佐官リンは「何が何だかさっぱりわからない」と言いながら、しきりに首をかしげている。

 奇遇だね、私も同じ気持ちだ。

 

 調達部隊が総じて、私の部下を召使か何かとしか思っていない点も頭が痛い問題であった。

 やれ天幕が過ごしにくいだ、行軍行程が長すぎるだ、平民は役に立たないだ。


「アイネ隊長。私たちの装備運搬をしたまえ」


 輿の上でくつろぐエイト隊長に、そういわれたときは、「ヤロウぶん殴ってやろうか」という気に駆られた。


 なんでも、現地に着いてからの任務遂行に向け、調達部隊の英気を養いたいのだそうだ。佐官セブンはニヤつきながら二の句を継いだ。


「貴殿の部隊は護衛とは名ばかりの散歩ではないか。エイト様が仕事をくださるというのだ、ありがたく受け取り給え」


 ヤロウ、川に沈めてやろうか。


 しかしここで言い争っては行軍が進まなくなる。

 グッとこらえて、私は部下たちに作業を指示した。部下が死んだ目をしながら、笑って作業を遂行する様子が見ていて辛い。


 そういった中、とうとう指定の狩場に到着した。

 野営地を設け、準備を終えたらそこからはようやく調達部隊の仕事だ。

 

 と言っても、その実は貴族のスポーツハンティングと思っていい。

 調達部隊は、狩場にて小物に目星をつけ狩り、集める。

 

 貴族の皆様方が楽しむかたわら、私たち戦闘部隊は、狩場へ敵が寄ってこない様、哨戒しょうかいし、戦うことが仕事だ。

 バカンスを楽しむ貴族を、SPが護衛しているようなものだ。簡単に言えば。


 この狩場では1週間ほどの野営となる。

 私はこの1週間の間、調達部隊の世話という雑用と、護衛日程の進捗管理に忙殺ぼうさつされた。佐官のリンはその辺を弁え、戦闘部隊の管理に徹してくれている。

 私はその補佐をありがたく思いながら、仕事をこなした。



「王都への帰還は、旧街道を経由して行うものとする」


 任務を終えた王城帰還前、エイト隊長からの突然の通達に、一時言葉を失った。


「この狩場において、鮮度の良い獲物が幾つも手に入った。新街道では行程が長く日当たりが良すぎる。兵は神速をたっとぶ。聞けば旧街道なら1日の行程住むそうじゃないか。森路もりじならば日差しを避けながら行軍でき、一石二鳥だ」


 私は努めて冷静に反論した。


「エイト様。その通りかとは存じますが、旧街道は、神木の森に住まう魔性ましょうが多く出ます。安全のために新街道を進む方が良いかと愚考します」


「貴様、わたくしの考えに意見するか!」だが抵抗むなしく、エイトに胸倉むなぐらを掴まれる。


 佐官リンがとっさに動くが、私は目で制止する。目端で調達隊佐官セブンがニヤニヤしながらこちらを見ていることに苛立ちを覚えた。


「王族に連なる私に、平民ごときが意見をするとは、恥を知れ。これ以上は王族への反逆とみなすぞ!」殴りつけられ、私は転がった。こうなってしまってはどうしようもない。

 私は静かに拝命すると、出立準備のためすぐさま天幕へ戻った。


「承服できかねます!エイト様は神木の森を舐めている!」


 部隊の天幕に戻るや否や、佐官リンが憤慨ふんがいした。私はそれに首肯する。

 旧街道が突き抜ける神木の森には、太古から住まう、数多くの「魔性ましょう」と呼ばれる生物が縄張りを張っている。整備もされぬ、格段に危険なルートなのだ。


「こうなっては致し方ない。私が先鋒哨戒せんぽうしょうかいに就く。リン、お前は後ろを守れ」


 先鋒哨戒は、経験がものを言う。特に土地勘が重要だ。

 私は何度か、旧街道はもちろん、任務で何度となく神木の森に探査に入ったことがある。だからこそ、


「私以上の適任はいない」


 頷くリンを見ながら、私は誰となく呟いた。



3.

 旧街道は、予想通りそこかしこが荒れ果てていた。道に葉が散らばり、空を木の枝が覆いつくしている。道に根が静脈のようにヒビ入り、まるで脈動するかのようだ。

 何度か入ったことがあるこの森だが、一歩一歩が妙に長く感じられる。土が湿っていて、足に泥が付き、うまく歩みが進まない。


 妙に粘つくような空気。何か胸につかえるような脅迫観きょうはくかん

 木々の隙間から見える木漏れ日は、まるで布にヨードをにじませたかのようで、それがゆっくりと私の顔に垂れてきた。眩しさで少し目を細める。


 戦闘部隊の部下たちは、最大の警戒で行軍している。一方、調達部隊には若干の疲労が見て取れた。輿の上で悠々ゆうゆうと昼寝をしているエイト隊長とセブン佐官くらいか、元気なのは。


 部下はよく辛抱してくれている。

 私はいつも部下に助けられてきた。王城に戻ったら何か甘いものを食べさせてやろう。心に誓う。


 数刻ほど行軍し続けると、やにわに葉々がひらけてきた。日当たりが良く、空気が乾燥している。地面は起伏がどこかしこに見られ、さっきまでとは打って変わり、土が乾いてサラサラとしている。

 緩やかに傾斜した地面を、横断するように行軍する。

 サラサラとした土は、まるで砂丘のようだった。微妙な傾斜に足が滑りやすい。



 その時だった。

 完全に意識の外。傾斜の先の谷底から、体3つ分くらいの大きさの岩が凄まじい勢いで飛んできた。

 部隊の半ば、脇腹にそれは直撃した。


 後方から警笛と、調達部隊と思われる悲鳴があがった。部隊員数人、岩に弾かれ、バランスを崩し、傾斜を滑り落ちている。何とか止まろうと地面にしがみついていた。


 私は岩が飛んできた先を注視した。

 傾斜の先、谷底の地面。ぼこっとした膨らみ。大きさは体5つ分くらい。明らかにうごめいている。

 私はすぐさま警笛の笛を2回吹いた。

 戦闘部隊から声が上がる。


会敵かいてき!会敵!戦闘準備!」


 魔性との遭遇だった。


「フォロー!」私は叫んだ。


 リンたち後方哨戒こうほうしょうかい部隊が斜面を駆け下りる。滑落かつらくする負傷兵に追いつき、体を砂丘に押しつけ滑り止めた。

 谷底の膨らみからまたしても飛礫が噴き上がった。大きな岩が空中で何回転もして、ゆっくりと隊列に激突した。

 岩の激突と同時に砂面は波紋を描くように飛沫しぶきを上げ、同時に部隊員たちはまたしても宙に舞う。

 弾かれた隊員のうち、調達部隊員2人が斜面を落石がごとく転げ落ちた。あっという間に谷底まで至ると、「ソレ」はとうとう姿を現した。


 私の体8つ分はあろうかという巨大な体。

 後に「奈落ならく」と呼ばれるその魔性は、黒の国にとって初めて遭遇する種類の魔性だった。


 薄茶色の鱗が敷き詰められたような体に、黒い斑点はんてんが散りばめられ、丸く太い体のてっぺんに柄のように付いた長ひょろい頭が付いている。その先にはハサミ状になった長い大顎おおあごがウジウジと開閉を繰り返し天を突く。丸い体の側面からは、節くれだった脚が4本、砂丘の地面をしっかりと掴み、立ち上がっていた。

 どこが顔かはわからないが、奈落はこちらを睥睨へいげいし、斜面を駆け上がった。転がる2人をいっぺんに大顎で挟み込む。

 くわえられた部隊員は真っ先に自分の状況を理解したのか。


「うわああああ!隊長!助けてください!隊長!!」


 谷底に叫び声がこだまする。私たちは見ていることしかできなかった。

 捕まった彼女の体がひしゃげる。

 そして奈落は、頭の天辺にある口を大きく開き、一息に噛みついた。


「あああああああああ!」


 噛みつかれ、体液を吸われていた。血を吸われていた。犠牲になった部隊員は血の気が引き、あっという間にくしゃくしゃの紙のようになった。そして2人目に口を近づける。

 彼女はまだ幸せだったろう。彼女は気を失っていた。その凄惨せいさんな魂の搾取さくしゅの光景を目にすることなく逝けたのだから。


 微動だにできぬ惨状。現実に理解が追いつかぬ目は、しかし奈落が、殺した2つの遺体を振りかぶり、こちらに投げつける様をしっかりと見ていた。


 抜け殻が、質量となり、私たちの地面を抉る。

 崩れやすくなっていた砂丘は崩落をはじめ、戦闘部隊・調達部隊問わず、次々と滑落し始めた。


 私は見た。地面に突き刺さった遺体から、腕が私へ向かって伸びている。

 まるで地獄へ誘う獄吏のように。

 引き寄せられる。一人、またひとり。


「ひああああああああああ」


 次々と谷底へ引き込まれる流砂の地獄にて、私の部下は比較的落ち着いて対処する一方、調達部隊の面々は目も当てられぬ恐慌状態であった。

 特に輿から半身を出し、外を覗いていたエイト隊長の狼狽ろうばいぶりは頭一つ抜けている。


 満足に指示も出せないのかこの出涸でがらしは!


 私はこらえきれず叫んだ。


「エイト!貴様の部下を落ち着かせろ!隊列を組みなおせ!」


 こちらに丁寧さの余裕などない。


「お前たち!私を逃がせ!運べ!褒美をやるぞ!」


 どうやら私の声は聞こえていないようだ。だが、その声に呼応するかのように輿の運び手は死に物狂いで砂丘を登り始めた。

 その動きは陸地に上げられた鯉のようで、そのバタつきに、周りでこらえていた3、4名の調達部隊員が弾かれ滑落していく。

 

 私はその王族の醜いあがきに、何か急速に冷めていった。


 エイトたちが砂丘のふちまで到達する。輿を担ぎなおし、彼女の運び手たちは逃げ帰ろうとする。だが、奈落は彼女を逃がそうとはしなかった。

 砂丘の向こう側。淵の奥。そこから見覚えある大顎が姿を見せる。

 輿の運び手は蛇ににらまれたカエルのように固まった。そしてちぎられるが如く、上下半身がお別れし、飛び散る。

 輿はバランスを崩し、倒れた。

 その隙間から這い出るエイト。わき目も降らず逃げ走り、彼女は私の視界から消えていった。入れ替わるようにして淵から姿を現す、もう1人の奈落。


 谷底から次々と部隊員たちを食い散らかす奈落。

 谷淵たにぶちから私たちを追い詰める、もうひとつの奈落。


 その時、私は部下を見た。彼女らは努めて冷静に振る舞いながら、震える手で武器を構え続けている。そして錯乱する調達部隊員たちを励ましつつ、この窮地を脱しようとあがいていた。

 佐官リンの号令が階下から聞こえる。

 自分も滑り落ちそうになりながらも、砂丘の斜面にしっかりとしがみつきつつ、泣きじゃくる調達部隊員を谷底へ落ちないようにがっしと掴み、そして周りの戦闘部隊員に鋭く指示を出し続ける。


 私の心臓がカッと熱くなった。吐き気が喉からあふれ出てそして口から吐き出した。私のすべては部下のためにある。この友たちを生きて返すのが私の最後の役目である。

 気づくと私は腹の底から声を発していた。


「全軍!円陣えんじんを組め!調達部隊のジャリどもを囲め!槍を構えよ!魔性を近づけるな!!」


 部下たちは嬉しそうな顔をして、しかし瞬時に行動した。


 へたり込む調達部隊を引きずり、そしてそれらを囲むように円陣を組む。

 丸い円陣の外には武器が向けられ、盾を構え、まるで亀のように外敵を拒否するかのような態勢だ。

 次々と飛礫つぶてが飛んでくるが、盾に弾かれびくともしなくなる。

 円陣の塊は砂丘をゆっくりと蛇行し、負傷兵を回収していく。


 奈落が谷底から這い上がり、円陣を組む部下に食らいついた。大顎で捕まえ、1枚、1枚と剝がそうとする。


 まずい、崩される。


 私は盾の隙間から飛び出し、大顎へ武器の殴打をお見舞いする。

 硬いながらも少し武器がのめり込むような感覚。

 が、奈落は大顎を大きく左右に振りぬく。私は武器ごと弾かれ、砂丘の淵まで吹き飛んだ。


 体中の痛みをこらえながら、体全体を覆う影に愕然がくぜんとする。

 大顎が大きく開き、まさに私を挟み込まんとしていた。


 リン、後は頼む!


 腹を括ったその時だ。

 大きな地響きとともに、砂丘と谷の辺り一面がひっくり返り、一瞬で地面が吹き飛んだ。

 私も巻き込まれるようにして巻き上がる砂ぼこりとともに宙に舞った。



4.

 うつ伏せで意識が戻る。砂埃が収まり始め、徐々に開けてくる視界。

 

 立ち上がると、先ほどまで谷だった場所はクレーターのように抉れ、乾いた砂で満ちていた場所は、より深いところから湿った土が掘り起こされていた。辺り一面は、先ほどまでとは打って変わって静かな光景だ。


 2体いた奈落は、どこかへ消え去っていた。

 咄嗟とっさに部下の姿を探す。見つけた。散り散りになって気を失い倒れ伏している部下の姿がそこかしこにあった。近くにリンも倒れている。

 私はすぐさまリンの元に駆け寄った。


「リン、大丈夫か、リン!」


 うっすらと目が開く。どうやら無事のようだ。


「たい、ちょう?」


 その声を聞き、まずは安堵する。よかった。生きていて本当に良かった。


「だあ」


 野太い、大きい声が、はるか頭上から聞こえ、すわ新しい魔性かと空を見上げた。

 そして私は愕然とする。


 そこには私の数百倍はあろうかという大きさの生き物が直立していた。

 家の柱よりも太い巨大な足。

 天に届くかと言わんばかりの高い体躯たいく


巨神きょしん……」


 私は思わずつぶやいた。

 黒の王国に伝説のみ伝わる神。巨神。

 ひとたび腕を振るえば地盤は剥がれ去り、指を振ればそこから炎があふれ出し、神具によって世に雨を降らすことができる。


 私は遥か天から降り注ぐ威圧に一歩も動けなくなった。

 おそらくこちらを凝視しているのだろう息が止まるかのような視線に、冷や汗が止まらなくなる。

 

 巨神はおもむろに足を動かした。

 あたりに起こる地響き。轟音ごうおんとともに奥に見えていた丘が吹き飛んだ。


 間違いない。先ほど地面を吹き飛ばし、奈落を亡き者にしたのはこの巨神だ。あまりにもスケールが違いすぎる力の奔流に私は自ずと膝を突く。


 にわかに体全体が、形容しがたい温かく柔らかいものに包まれ、視界が黒く塞がれた。

 そして体が地面から離れる浮遊感。

 しばらくすると視界が一気に開けた。相変わらず体全体は柔らかいものに包まれているが、しかし何をされたのかは分かった。


 巨神は私を摘まみ、顔の高さまで持ち上げていたのだ。

 それは神との対面だった。


 私は一心に拝んだ。感謝の心、畏怖の念。それらすべてがないまぜになり、そして謝意を伝えた。


「誠にありがとうございました」


「だあああ。うううううう」


 やはりというか、巨神は私の言葉がわからない様だった。私も巨神の言葉は全く分からなかった。しかし、巨神はまるで「大丈夫か」と私を心配しているかのようだった。そうしてしばらくすると巨神は摘まみ上げることをやめ、優しく地面に降ろしてくれた。


 気を失っていた部下たちが起き上がり始めていた。

 どうやら彼女らも助かったようだ。


 私は深々と感謝の姿勢を取った。


 やにわ空からいくつかの飛礫つぶてが落ちてきた。

 白、赤、青、黄色、緑。私の体の倍くらいの大きさがある、見たこともない、いろいろな色をしたボールのようなものだった。ボールの表面には突起物が幾つもついていて、フキノトウのようだ。

 巨神はその物体を落とすとじっとこちらを見ている。

 

 直感だった。

 神授物しんじゅぶつだ。神は私たちに施しを与えようとしている。


「こおぺえと、たーある?」

 

 私は近づき、物体のうち、赤いものの表面を少し削り取り口に含んだ。

 衝撃だった。


 最初に口に広がったのは、これまでに体験したことが無い至上の甘さ。

 わずかに酸味があるが、これが甘さをより引き立てる。本来相反するであろう甘さと酸味の同居。その神授物は、食料だった。


「お前たち!起きよ!この天恵を、必ずや女王様に献上するのだ!」


 私の大喝とともに部下が一気に動き出した。

 負傷兵をフォローする。散り散りになった調達部隊を再編する。エイト隊長不在の彼女らは意外におとなしく私の号令に従った。

 2人1組でその神授物を持ち上げ運ばせる。十数個余りのそれらの運搬で、地面に長い列が出来上がった。


「だああぁぁ。きゃっきゃ」


 巨神が声を上げ、そして離れていく。

 私たちは巨神に向かって敬礼した。この出会いに感謝してもしきれない。

 およそ半日の行軍で、私たちはようやく神木の森を抜けていったのだった。



5.

 私たちの部隊は、王都の住人達から奇異の目で迎え入れられた。

 神授物があまりにも珍しかったのだろう。


 王城に登城すると、大広間に茹で蛸ゆでだこのように真っ赤になって青筋を浮かべた大臣が私の前に現れた。今回の任務を命じた件の人物だ。


「アイネ!貴様、何ということをしたのだ!女王陛下から賜った大切な兵士を無駄死にさせるとは不届きものめ!」


 突然振りかけられる罵詈雑言ばりぞうごんにしばし唖然とする。

 しかし、その後ろにニヤニヤとしている調達隊長エイトと佐官セブンが見え、すべてを理解した。


「大臣殿。任務失敗の責は私にございます。ですが、まずは報告をさせていただけませんでしょうか」


「黙れ!仔細は何とかお戻りになられたエイト様より聞いておる!」


大臣が右手に持っていた書類を私に投げつてきた。当たった書類があたりに散らばる。


「貴様はエイト様の制止も聞かず、いたずらに旧街道へ行軍を強行した!魔性と遭遇し、無謀にも戦いを始めた!エイト隊長が何とか一部の隊員を連れてお逃げくださったからこそ、この程度の被害で済んだのだ!この大逆人が!恥を知れ!自決せよ!」


 私は歯噛みした。エイトが先ほどからニヤついていたのは、これが理由か。

 私にすべての責任を押し付けるようストーリーを流布し、立ち回ろうとしている。

 にわかに私の後ろにいた部下たちから殺気が膨れ上がった。

 大臣も空気が変わったことが分かったのだろう。少しあとずさる。


 まずい、一触即発の雰囲気だ。が、その時。


「鎮まれ」

 

 大広間に静かだが、しかししっかりと聞き取れる厳かな声が響き渡った。

 皆、声が聞こえた方へ顔を向ける。


 床を引きずるようにした長い黒髪。その下を流れるように伸びる漆黒のドレス。

 大臣の体3つ分はあろうかという高い背、糸目で微笑みを感じさせる優しい顔つきだが、妙に威圧感がある。


「じょ、女王陛下……」


 建国300年、黒の国の初代女王、ミコが階上におわしめした。


「大臣よ、これは一体何の騒ぎじゃ」


 生きる伝説が階段を下りながら、ゆっくりと広間を見下ろしている。

 この城に入隊した以来、お顔を拝見するのは初めてだ。


「じょ、女王陛下。こ、これはですな。この者が任務にて独断専行どくだんせんこういたしまして、部隊に死者を出したのです。そ、その尋問をしておりました」


 大臣がしどろもどろになりながら答えた。


「ほう。だがこの者たちを見る限りだとどうやら一言ありそうだぞ」

 女王ミコの顔が私とばっちり合う。たぶんひざまずくべき状況だったのだろうが、私は頭が真っ白になっていた。切っ先を喉元に当てられたような感覚。

 この女王、間違いなく強い。


「第10戦闘部隊、アイネよ。状況を報告せい」


 私は振り絞るように答えた。これは裁判だ。私はあったことを正確に、できるだけ掻い摘み女王に献言する。

 受けた任務の内容。新街道までの行程。狩場現地での状況。旧街道に向かうことになった経緯。旧街道での会敵。そして、巨神との出会い。


「―最後に部隊の被害状況ですが、第1調達部隊は死者7名、負傷者28名。第10戦闘部隊は死者1名、負傷者15名。以上となります」


 言って私の喉が震えた。これほどまでに被害が出ていたのかと。戦闘部隊死者1名の部下は確か幼い妹がいたはずだ。


「であるか」


 女王は目をつむりじっと考え込んでいる。やがて口を開いた。


「第10戦闘部隊長アイネ。汝の今回の護衛の任において、調達部隊に多大な死者を出し、かつ調達した物資もいくつかを損失した。これは失態だ。隊長の任から外し、追放とするべき案件と捉えられよう」


 私は頭を垂れた。


「しかし、汝の今回の働き、「あの」旧街道を通り、魔性と遭遇したうえで、「その程度」の被害であったと考えるべきであると、余は断言する」


 思わず顔を上げる。女王ミコがこちらに向かってわずかに微笑んでいた。


「そのうえで、巨神と遭遇し、神授物、すなわち神食しんしょくを賜った。魔性との戦いにおける被害を最小限に抑えるその日頃の指導力、統率力。そして巨神に選ばれたという事実。その者に我が国は、むくいりこそすれ、罰することなどあってはならない」


 大広間の太陽のモニュメントがミコ女王の頭上で燦々さんさんと輝くようだ。


「汝を第1調達部隊に任命する。同時に第1調達部隊において、欠員が生じているため、第10戦闘部隊を第1調達部隊と併合とする。また神食しんしょくを1つ汝に下賜かしするものとする。ただし、死者を出した責は負わねばならぬ。1月の謹慎とする」


 私は胸が熱くなった。背後では部下たちが一斉に歓声を上げた。


 一方、大臣以下エイト隊長とセブン佐官は真っ青になる。


「お、お待ちください、女王陛下!」


 震える声でエイト隊長が発言した。


「そ、そうしますとわたくしはどうなるのでしょうか!」


 女王ミコは今気づいたように、おおそうじゃったと話をした。


「エイトよ、汝はアイネ隊長の制止も聞かず、旧街道への行軍を独断したな?まして任務にも関わらず人手を使う輿を使用し、かつ自分の第1調達部隊へ的確な指示もせず逃げ帰った。相違ないな?」


「お、お待ちください!私は指示をいたしました!旧街道への行軍もアイネの独断で…!」


「すでに裏も取っておる」


 女王ミコはぱちんと指を鳴らした。背後に子供位の大きさの者が数人現れた。

 見たことが無い城兵だ。

 だが、エイトの反応は劇的だった。


「ちょ、諜報選隊ちょうほうせんたい…」


「余は、汝の働きがかねてより不満であった。しかしそれでも王家の血を引く者だ。何とか汝に花を持たせたやりたく、何かあった時はフォローができるように諜報選隊を陰ながら付けていた。もうすべて分かっておるのだ、エイト隊長」


 エイト隊長が膝から崩れた。どうやらすべては後の祭りのようだ。


「故にエイト隊長。汝が兵を見捨てて佐官と逃げたことも知っておる。だが汝は王族だ。王族はみだりに死ぬことは許されぬ。お主は佐官セブンとともに同罪とし、召放めしはなしを命じる」


 召放めしはなしというのは、つまり王城から解雇されるということである。兵士としては不名誉な懲罰の1つであり、しかし自害を命じないあたり、女王ミコの同族に対する慈悲なのかもしれない。


 女王ミコは私たちに向き直ると、満面の笑みで言った。


「さて、話はこれで終わりじゃ。城の皆に声をかけよ。皆で神食を分け合おうぞ!」

 

 今夜は宴になりそうだ。



6.

 王都はお祭り騒ぎだった。

 アイネ隊長が持ってきた丸い物体。「神食しんしょく」と呼ばれるそれは、100年ぶりに巨神よりもたらされた伝説の食べ物だそうだ。

 その喧騒けんそうを後に、わたくしは森を走った。


「エイト様!どこへ行かれるのですか!」


 後ろからついてくるセブンが情けない声を上げる。愚か者が、状況がわかっていない。


「我々も巨神から神食を受け取るのだ。まだ遠くへは行っていないはず、急いで追いつけ」


 私は焦っていた。召放めしはなしの不名誉ゆえ、このままでは王族より追放の可能性もある。


 旧街道、神木の森へ踏み込んだ。

 

 太陽が沈み始め、辺りは暗くなってきている。

 神木の森は異様に闇が深く、いたるところがうごめいているような錯覚を覚えた。


 地響きが起きる。私は体を低くした。

 いた。巨神だ。

 何やらしゃがみ込み、足元の地面を見つめている。


 神食でなくてもいい、何かしら神授物を手に入れられれば私は、王城に返り咲ける。私はやにわに飛び出し、叫んだ。


「巨神よ!私の願いを聞き給え!」


 巨神は最初、こちらに気づいてない様だったが、しばらく呼びかけるとこちらを向いた。きょろきょろとしてから私たちを見つけ、にやあと笑いかけてきた。


「うーあー」


 巨神がゆっくりと近づいてくる。

 体中が震える。最早はるか頭上の巨神の巨躯きょくを仰ぎ見ることはできない。

 にわかに私の視界が真っ暗になった。体中に走る圧迫感に何をされたかがすぐ分かった。巨神は私の体を握っている。体中に強い圧力が加わり、体がひしゃげるようになる。


 おそらくセブンも摘ままれたのだろう。遠くから悲鳴があがった。


 体中の痛みから解放される。地面に投げ出されたことが分かった。


 私は痛みをこらえながら、辺りを見回す。

 そこは見たことがある場所だった。


 乾いた滑りやすい砂。周りの砂丘。深い谷底。その底面に私たちは投げ出され、セブンも続けて落ちてきた。

 彼女も状況を理解した。狂ったように悲鳴を上げ走ろうとする。

 私も逃げたかった。だが、巨神に握られたせいで体中に激痛が走り、うまく走れない。


 地面がぼこりと盛り上がった。

 ゆっくりとハサミのような形のような形状の顎が現れた。薄茶色の鱗。節くれだった足。仁王立におうだちそして天に向かって咆哮ほうこうする。


「あああああ、助けてください助けてください!」


 セブンは恐慌状態に陥った。私は奈落の巨影を前に、空を仰ぐ。

 空一面を巨大な巨神の顔が覆っていた。不気味な顔に影が差し、顔が三日月のように裂けている。

 私はその表情に肌が泡立った。そしてたまらず叫ぶ。


「この邪神め!悪魔め!呪いあれ!貴様に呪いあれ!」


 そして私は腹に突き刺さる鈍痛どんつうを感じた。意識が薄れる。目の前で大口が開く。

 そして柔らかく、されど鋭利に突き刺さる無数の牙。自分の意識が吸いだされる感覚。私の恐怖は薄れ、その中で女王ミコ様にこの邪神の存在を伝えねばと強く強く決意した。


 すまぬ私の部下たち。

 すまぬ、セブン。


 わたくしの意識はここまでだ。



7.

 夕方になり、洗濯物を取り込みながら息子の姿を探した。

 今日は午後からずっと外で遊んでいて静かだったのでどうしたのかと思っていた。


 庭に出るとコニファーを何本か植えた花壇に息子がしゃがみ込んでいるのを見つけた。


「ぼうや」


 わたしの声に反応して、息子がこっちを向いた。私を見つけると、満面の笑みで手を振る。


「まぁま!」


 まだたどたどしいが、簡単な単語を話し始める息子はとてもかわいい。

 だけど何をしているのだろう。


「こぺと!」


 そう言って袋を差し出した。

 ああ、金平糖か。私がおやつに上げた小袋はしかし、渡した時より半分くらい中身が無いようだった。


「もう食べちゃったの?」


「んーん!あげたの!」


 そう言って地面を指さした。なるほど金平糖が数個地面に転がっている。

 息子が何をしたのか何となく想像がついた。


「そう、優しいのね」


「きゃっきゃ」


 ふとコニファーの影を見ると逆円錐の穴が幾つも掘られていることに気が付いた。


 この時期はこの場所に多く巣穴ができる。もしかしたら息子はそれを見て楽しんでいたのかもしれない。


「じゃ、おうちに入りましょうか」


「あーい」


 親切で優しい子に育ってほしい。無邪気な息子にそんな期待をしながら、手をつなぎ、家に入る。

 巣穴の近くには、黒い丸粒がふたつ、ただ横たわるのみである。



―了

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