第6話

 神谷美琴かみやみことが最初に違和感を抱いたのは、新しい仕事のキックオフミーティングをした時だ。リーダーの中川なかがわから、のようなにおいがした。

 神谷の実家は、神社の神主かんぬしだ。彼女には子供のころから、不思議な力があった。

 それは、この世のものではない何か、が見えること。いわゆる霊感というものだ。

 人間と同等とは思えないようなおぞましい姿をしたものが、神谷の視界には跋扈ばっこしていた。そういった異形のものは、湿っぽい匂いを放つ。それがくさい、つまり、ドブや沼のような匂いがし始めると、危険な『モノ』になる。 

 それはさながら無邪気から、妖気ようきと言い換えることができる代物だ。

 この段に至った異形が現実世界の人間に害を及ぼし始める。


 神谷が中川から妖気を感じた日、彼に触れたことによって状況の悪さを直感した。中川は明らかに何かよくないモノにマーキングされている。マーキングというレベルにも関わらずこの妖気である。中川に触れた瞬間、そのよくないモノが神谷の体にいた。それは小さいむし。その時は、心を無にして何とかやり切った。霊はこちらが構わず無視をすれば、なぎのように鎮まることが多いのだ。


 夜、中川と残業した時はひどかった。

 神谷は、何とか彼にこの状況を伝えようとした。中川の肩に、すでに手が乗っていた。異形は既に接触を始めている。その話をしようとしたとき、突然、物品が倒れた。いわゆるポルターガイスト現象だが、このとき神谷は確かに見た。

青い顔。暗く落ちくぼんだ目をこちらに向け、ニチャアと笑っている「何か」。

 倒れた物品に佇み、こちらをのぞき込んでいる。幸いにして神谷は見られていない様だった。ここで中川に状況を教えてしまうと、自分も襲われる。そう考え神谷は中川を追い払った。


 別の日には、悪いと思いながら、神谷は中川にタバコの煙を吹きかけた。

 この紙巻かみまきタバコは、神谷の父が近所の専門家に依頼して作ってもらった特注品だった。タバコの葉にはお札とお香が混ざっており、そこから出る煙が、そういった異形を神谷に寄せ付けないようにするのだ。

 中川と神谷の目線が合ったあの時、中川の目はすでに黒ずんでいた。

 入り込んでいる。

 そう直感した神谷は中川に煙を吹き付け、その作業着に匂いを含ませた。こうすれば中川は最悪時の状態を避けることはできるかもしれない。


 週明けの月曜日、上司は突然、中川の退職をチームに発表した。なんでも、電話で突然退職の意向を示してきたらしい。それ以降電話がつながらないとも。

「中川君がああいう子だったとはねえ。困るんだよねえ。これも平成っ子ってやつなのかな」

 上司はぶつくさぼやいているが、神谷はデスクで頭を抱えていた。

 神谷のフォローは無力だった。こうなってはもう神谷ではどうにもできない。

向こうを見てしまった瞬間、向こうもこちらを見ている。高い妖気の引力は、あっという間に人間を奈落へ引きずりこむだろう。


 先輩社員の白石も沈鬱ちんうつ面持おももちで顔を伏せている。

 神谷は鼻をすすった。


 天気は晴れ。今朝のニュースでは、今週から梅雨明けだそうだ。暗いオフィスの窓から見える群青色ぐんじょういろの空。陽気な季節がやってくる。


 にわかに沼の匂いがした。ディスプレイの向こう側にシルクハットの気な何かが見えた。

 神谷は震える腕を抑えつつ、仕事の資料を読み込み始めた。


―了

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