「激しく熱く、激しく辛い」

サカシタテツオ

□激しく熱く、激しく辛い。

 「益田、昼メシ食いに行こうぜ」

 同期の吉岡が声をかけてくる。

 お昼休みまでは残り三分という微妙なタイミング。ほんの少し周囲の視線がチクチクする。


 「いいよ。で、今日は何食うよ?」

 俺は少し無理をして、おどけた雰囲気を演出。

 仕事場でのキャラクター。

 人を笑わせ、場の空気を柔らかくするという本当の俺とは180度違う設定なのだが、何故だかコレが上手くいっている。

 最初の頃は苦労したけれど、今ではスイッチを切り替える感じで演じる事が出来るようになっていた。


 「そうだなぁ。あ。アレ行こう。駅の反対側にあるボロっちいカレー屋。あの店って実は有名らしいんだ」

 吉岡のその提案に俺も乗っかる。

 その店の事は知っていた。

 ただ入るのに勇気が必要なタイプの店だったので、今まで一度もトライ出来ずにいたのだ。


 そんな会話をしているうちに、部長がお弁当を広げ始めていた。お昼休みの開始の合図。





 目的地のカレー屋は、そのいかにも怪しい感じの扉を開けると、すごく平凡な内装だった。

 ーーいや平凡ではないか。


 昭和レトロな喫茶店を思わせる店内。

 窓ガラスに貼られている目隠しの為の赤いフィルムのせいで外から中は見えないけれど、入ってみると店内は明るくて、「レトロ」って感じる以外はごくごく普通の店だった。

 マスターも人の良さそうな、ヒョロっとした爺さんだ。


 カウンター席には、どこかの学校から抜けて出してきたのかジャージ姿の学生達なんかも座っている。テーブル席は俺たちより少し年上のオッサン達。女子なんて一人もいない、むさ苦しい空間。けれど店内に充満しているスパイスの香りは最高だった。


 「いらっしゃい。空いてる席にどうぞ」


 マスターの声は想像したより低くて渋い。

 メニューの内容を確認して、少しビビる。

 俺は吉岡の表情を確認しながら声をかけた。


 「お前はどうするの?」

 「どうしよう・・・。ビーフとナスしか選択肢がないなんて思っても見なかった」

 吉岡もメニューを見て困惑していたようだ。

 けれど吉岡は見落としているのかもしれない。

 メニューには「初めて来店した方は甘口3をオススメします。」と書かれている。

 辛いものが好きな人間をマジギレさせるようなその文言を見て、素直に甘口3を頼むような奴がいるのだろうか?


 俺は決めた。吉岡はどうだ。


 「「ビーフの中辛5」」

 注文の声がハモったのは少し気持ち悪かった。


 だけどコレでハッキリした。

 吉岡も辛いモノ好きだ。見た目以上に熱い奴なのだ。


 テーブル席のオッサン達が、フゥフゥ言いながらカレーを食べている。辛さの為か会話をしている者はいない。

 ーーそんな余裕も持てないほどに辛いのか?


 辛いモノが好きな俺は、まだ一口も食べていないのに何故だか誇らしい気持ちになる。

 吉岡もニヤリとしている。

 俺達は周りに聞こえるように、少し声のボリュームを上げながら会話を始めた。先週行ったラーメン屋の話。そこの餃子の旨さについて。特製のタレの旨辛さについて。次は汁なし担々麺にトライするつもりだとかなんとか。


 そこまで語ると俺達の前にもカレーがやって来た。

 ここからが本番。ここからが勝負だ。辛さに負けて喋れないなんて姿を晒す訳にはいかない。


 一口目。

 確かにピリッとするが、辛さより旨さの方がはるかに上回る。


 「「うまいな」」

 またハモった。

 その声が聞こえたのか、他のテーブル席のオッサン達から「フッ。」と短い笑いが聞こえたような気がした。


 ーー!!!

 ーー辛ッ!!!


 吉岡を見ると奴も未体験の辛さが口の中で遅延爆発したらしく、眉間に大きくシワを寄せていた。

 しかし見栄をはり中辛5を注文し、辛さに負けて喋れないオッサン達を見下すようにお喋りしていた俺達は今更後には引けなかった。たが強烈な辛さのせいで話のネタを思いつけないのもまた事実。


 テーブル席のジャージ姿の学生が声を上げる。


 「辛かったあ!!甘口3でここまで辛いとか、店長って意地悪な人?」

 「なぁ、マジ辛過ぎ。まだ口の中がビリビリしてる」

 「辛すぎて一言も喋れなかったわ!」


 ーー甘口3で、そのレベルの辛さだと?!


 そんなジャージ姿の学生達を見て、ふと思い出した。

 自分の学生時代。

 1999年、俺は中学生だった。陸上部で走幅跳。あまり記録の伸びない俺は女子の練習を眺めてニヤニヤしている不真面目な生徒。


 「俺さ中学高校と陸上部だったんだけど、お前はなんか部活とかやってた?」

 唐突すぎる俺のフリに吉岡は動揺もせず答えてくれる。奴は俺の意図を完全に理解している。辛さに負けて喋れないなんて今更許されないのだと。


 「あー、俺は剣道部。弱小剣道部で練習場も体育館。バレー部とかバスケ部から睨まれてたな、中学の頃。高校は帰宅部」

 「そっか、俺も高校は帰宅部が良かったんだけど、内申点のために真面目に顔出してた。内申点なんてさほど変わらなかったろうになぁ」


 そんな中身のない会話でも「俺達は、まだまだ余裕だぜ」とアピールするには充分だったろう。けれどそんな薄っぺらい会話は思わぬ方向へと脱線する。

 生物学的にオスの俺達は、辛さで麻痺した脳細胞を何一つ制御する事が出来なくなっていたらしい。


 「剣道の練習してるすぐ横がさ、女子バレー部のコートだったんだよ。あの頃、俺の学校の女子はまだブルマとか穿いててさ。今思うと天国だよな、あの光景」

 「マジか!俺の中学もブルマだったんだけど、陸上部の練習は全員ハーフパンツでさ、そんなキラキラした記憶なんてまったく無いわ」

 女子の体操着。今は廃止され一部アダルトな業界でしかお目にかかれない代物。

 悲しいオスの本能。

 制御の効かない俺達は女子のブルマについて語り出していた。


 「高校に入ったらハーフパンツになっててさ、なんかスンゲーがっかりした記憶とかあるわー」

 吉岡はすでに本能に身を任せると決心したようだ。


 「俺の高校もそうだった。なんかアレってがっかりしたよなぁ。ブルセラだっけ?なんか変態的な店とか流行ってて、それで廃止とかって聞いたわ」

 確かに当時、女子の体操着にがっかりはしたのだけれど、体育の授業は男女バラバラだった。

 なので、たとえブルマが廃止されていなくても、その脳裏に焼き付くような素晴らしい光景を目にする事は出来なかっただろう。


 それでも。


 辛さで麻痺した脳細胞のオスの部分は暴走を続ける。



 「小学生の時は女子のブルマって赤系の色だったんだけど、中学の時は濃い紺色だった。お前のトコは?」

 額の汗が尋常じゃない事になっていた吉岡は、一旦スプーンを置いてハンカチで汗を拭き取りながらも、冷静さを取り戻す事なくブルマの話を続ける。


 「俺は逆だ。中学に入って女子のブルマが赤系になってさ、少し残念だったんだよ」

 冷静さを取り戻せないのは俺も同じで、バカな話をしているなと頭のどこかで思いつつも、ブルマの話題を止めることは出来ないでいる。


 「え?お前って紺色派なの?解ってないなぁ。ブルマは赤。コレが俺のジャスティス!絶対に譲れない!」

 「いやいや、お前、何言ってんの?ブルマは紺色だろうが!赤系とかファンシーな事言ってんなよ?」

 暴走している俺達は、とうとうお互いの主張を受け入れる余裕すら無くなっている事に気付けなかった。それどころか、自分の中にある自分の正義を貫き通さねばならない!と言った訳の分からない使命感さえ感じていた。


 「女子が少しでも太ももを隠そうと、体操着の裾を引っ張り一生懸命ブルマを覆い隠そうとしてるのに、その隙間から覗く赤い輝きが俺達の魂を燃え上がらせるんだ。男ってそういうもんだろ?おぉ?」

 「なに言ってやがる。体操着の裾で一生懸命ブルマを隠すけど後ろが無防備で、そこに浮かび上がる美しいお碗型の暗い闇がこそが男にとって至高だろうが!!」

 ヒートアップする俺達を止める者は居なかった。暴走している脳細胞が店内の空気も熱くなりつつある事を知らせてくる。


 店内は一部を除いてオッサンだらけだったはず。オッサンではない、その一部の客だって全員男だったはずだ。ならば今俺達が戦っている内容について、解らない奴なんて一人も居ないはずだ。彼等だって、その記憶の中のどこかに女子のキラッと輝く一瞬の姿が焼き付いているはずなのだから!!



 もうすぐカレーを食い終わる。

 食い終わるまでに、俺は吉岡との決着をつけねばならない。きっと奴も同じ事を考えているだろう。俺達はお互いの正義を証明する為、ここまでたった一口の水分さえ口にせず戦ってきたのだ。

 引く訳にはいかない!!


 最後の一口を口に運ぶ。

 その間もお互いの視線は絡み合ったままだ。

 口の中のカレーを飲み込み、遅延式激辛爆弾が爆発する瞬間を待っている。

 ーー来た!今だ!!



 「「ブルマは色じゃねえ!あの形こそが正義なんだ!!!」」

 俺と吉岡は再びハモった。



 店内からどよめきが起こる。


 「「「おぉ!!」」

 と低く響く重低音。男達の魂の声。

 続いて起こる小さな破裂音。

 パチ、パチ、パチ、パチ・・・

 それはやがて大きな波のようになり、時々「よく言った!」などと言う叫び声さえ混じる。

 店内に居たお客全てから俺達に向けて、惜しみなく捧げられる拍手の大波。

 スタンディングオベーション。

 生まれて初めてこんな熱い声援を受けた。その事実に改めて感動の波が押し寄せる。


 その熱い男達の間を縫うようにマスターが微笑みを浮かべながら歩いてくる。

 マスターはレジの前で立ち止まり、ゆっくりと俺達に喋りかけて来た。


 「君達の魂の叫びは、しっかり胸に刻んだよ。だから今日のお代は要らない」

 マスターから俺達への賞賛のメッセージ。


 「いや、そんな訳には!」

 「それとこれとは別の話なんで!」

 俺と吉岡は立ち上がりながら、慌てて財布を取り出した。


 「いや、今日のお代は本当に要らないし受け入れない。受け取る訳にはいかない」

 そこまで言ってマスターはゆっくりと入り口のドアを開ける。



 「代金は要らないから、とっとと出っててくれ!そして二度とこの店に来るんじゃねえ!! 」




 俺は生まれて初めて出禁を食らった。

 それは吉岡も同じようだった。



 激しく熱く、激しく辛い。

 そんな昼休みが終わりを告げた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

「激しく熱く、激しく辛い」 サカシタテツオ @tetsuoSS

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ