後編 熱海〜東京

『熱海〜。熱海〜。お出口は左側です〜。東海道線お乗り換えは…』


 どんなに盛り上がっている話の途中でも、ダイヤグラムに従って新幹線は停車する。


「…確かにね、周囲に流されて言いたいことも言えないことはあるよ。だけど、飯塚の精一杯にそんな不義理はしないよっ」

 わたしはじっと飯塚を見る。

「ちゃんと、しっかり好きだったよ」

「……ありがとう」

「頭、下げないでよ。あんたと一緒にいた高1は、わたしにとってもいい思い出なんだから」


 クラスも部活も別々だったけど、なんとか時間をつくって会っていたのがこの頃だ。

「サッカー部がないときは、待ち合わせて帰ったよなぁ」

「定期試験前の勉強会は、行事化してたよね」

「あー、あれは助かった。赤点取ったら試合出してもらえないからな。マミ子のヤマはおそろしいくらい当たった」

「授業聞いてればわかるって。どーせ寝てたんだろうけど」

「マミ子も、中学の頃と比べれば友達できてたじゃん」

「あ、あれは…」


 入学すぐに『これ、山本さんだよね?』と、合格発表時の手を繋いでいるわたしと飯塚のスマホ写真を見せてくるクラスメート多数で、そのたびに赤面症と過呼吸を発症していた。

 半ばヤケクソで、飯塚との恋バナを面白おかしく話していたら、彼氏もいて勉強もできるリア充女子と(誤)認識されたらしく、やたらうらやましいがられ、一部からは尊敬された。

 結果、中学時代とは比較にならない良好な人間関係を作ることができたのだ。

 ……飯塚には口が裂けても言わないけど。


「安倍川の花火大会、覚えてる?一緒に行ったやつ」

「も、もちろん…」

「初めてのキスも?」

「!!」

 瞬時に肩パンチ!

「あ、あんたねっ!は、恥ってもんを知らないの⁈」

「あん時は、ガチガチに緊張してたよねー」

「〜〜〜!!」

 声にならない叫びとともに、ポカポカポカ!

 ……わたしの力じゃ、ノーダメージだわ。


 いたずらっ子兼いじめっ子の顔でニヤついていた飯塚が、ふっと遠くを見る顔をした。

「なあ……、俺たちやり直せないかな?」

「無理」

 さっきまでの甘い、恥ずかしい想いを瞬時に切り替える。

「………即答かよ」

「だって、無理だから」

 これだけは譲れない。


「…実はさ。今日マミ子と一緒になったのは偶然じゃないんだ」

 やっぱりね。

 いくら受験シーズンとは言え、因縁ある2人が同日同時刻同車する偶然は、宝クジ的中レベルの確率だろうし。

「ツテを使って、マミ子が慶大受けることも、今日前泊する事も聞いてたんだ」

「でも、時間は誰にも言ってなかったけど?」

「…待ってたんだよ。午前9時くらいからずっと」

 なるほど。静岡駅の新幹線上りホームは一本しかない。

「もったいないから、俺は明日朝に行くつもりだったんけど、マミ子が今日行くと聞いて、親に頼み込んで前泊にしたんだ」

「なかなか策士よね、飯塚も」

 学校では避けまくってたから、ここでなら逃げられないと考えたか。

 地頭はいいんだよな、こいつ。訓練しないだけで。勉強会で感じていたよ。


「ここまでしても、聞きたいことがあるんだ、俺には」

 いつになく、真剣な顔の飯塚。

「なぜ俺たちは別れなければならなかったんだ?俺にはどうしても分からないんだ」

 逃してくれそうに、ないね。


『まもなく、小田原に到着します。お出口は…』


「…わかった」

 少し間を取った後、わたしは軽くため息をつきながら答える。

「正直に、順を追って理由を話すつもりだけど…、理解してもらえるかはわからない。それでもいい?」

「もちろん。このまま納得しろなんて、到底出来ない」

 ても、どのあたりから話すのがいいのか…。


「サッカー部マネに、かわいいけど気が強い後輩がいるでしょ」

「井上のこと?何で井上を知ってんの??」

「わたしに宣戦布告しにきたから。飯塚先輩の彼女には、わたしはふさわしくないって」

「⁈あいつ…」

「去年の夏休み明けごろだったかな。たった1人で上の学年の教室前に来て、わたしを呼び出したからね。度胸ある子だと思ったよ」

 自分に自信があるのだろう。積極的で前向きで、わたしとは対極の子。

「彼女曰く、彼氏の試合を観に来ないのは彼女として不合格らしいよ。まあ、確かに一回も応援したことないけど」

「そんなの、他人にとやかく言われる事じゃないだろ…。井上、ちょい暴走気味なとこあるから」

「でもさ、飯塚としてはわたしに応援しに来て欲しかった?」

「そりゃまあ。マミ子がいたら気合い入るし。あ、でも強制する気はないよ」

「同じような事、彼女にも言われた。わたしの応援で飯塚先輩のパフォーマンスが上がるのに、なぜ来ないのかって。大きなお世話だっての」

「そう言い返したのか?」

「…わたし、内弁慶だからね。はじめて会う子にはなかなか言えないんだ。仏頂面で黙っていたら、『何で言い返さないんですか!』と勝手に逆ギレして帰って行った」

 友達からは、本妻圧勝と冷やかされたけど。


「井上には、確かに何度かコクられた。最近では一カ月前かな。だけど俺は彼女と別れたとは思ってないから、と断ったよ」

「あの子、自信満々に『飯塚先輩を必ず奪ってみせます!』って言ってたけどねー」

 落とせなかったか。ざまぁ。


「井上への嫉妬で別れようと思ったんだ。バカだなぁ。俺の気持ちが揺らぐわけないだろ」

「…んー、実は彼女への嫉妬が主要因じゃないんだよね。あくまできっかけというか。ま、ちょっとは嫉妬したけどさ」

 ほんとはめちゃくちゃ嫉妬したけどさ。

「きっかけ?」

「だんだん毒が回ってきちゃったんだよ。『わたしは、飯塚の彼女にはふさわしくない』という毒が」

「そんなのっ!他人がどうこう言っても気にしなきゃいいだけだろ⁈大事なのは俺らの気持ち…」

「問題なのはさ」

 飯塚の言葉に被せるように言う。飯塚の目を見る。

「他人じゃない、わたし自身がそう思っているということなんだよ」


 さらに続けるわたし。

「飯塚とわたしは考え方も違う、性格も違う。今は好きって気持ちだけで一緒にいるけど、そのうち必ず限界が、破局がくる。その思いが頭から離れなかった…」

「…それじゃあ、いつかくる破局が嫌だから、今のうちに別れようって事?」

「端的に言うと、そういう事」

「バカげてる‼︎」

 吐き捨てるように言う飯塚。

「そんなの可能性の問題だろ⁈未来なんて誰にもわからないっ。ずっと一緒にいる未来だってあるし、そうなるように努力すればいいじゃんか‼︎」

 そうだよね。飯塚のようにポジティブな人ならそうなるよね。

 …でも、ネガティブなわたしはそうならないんだよ。


「…わたしのようなネガティブな人って、すぐ悪い方へ悪い方へ考えちゃうんだよ。そしてその思いに囚われる。自縄自縛なのはわかってるけど、理屈じゃどうにもならない。感情の、考え方の問題だからね」

「それは…、わかっていても直せないものなのか?」

 飯塚は優しいね。わたしを理解しようとしてくれる。

「むずかしいね。頭では飯塚の言うことが正論で、そう考えようと努力はしたつもりだけど。…ダメだった」

 黙ったまま飯塚は、目で先をうながしてくる。


「あの後輩マネの話に戻るけど、あの子その後もちょくちょくわたしのところに来ては、部活中の飯塚の話をしてきたんだ。さも、自分の方が飯塚の事をよく知ってるかのように。その全てに仏頂面でスルーしてきたけど」

 少し言葉を切る。

「でも、高2の11月ごろかな。夢を見るんだ」

 思わず手を握り込む。思い出すのも嫌なんだが、仕方ない。

「夢の中で、わたしはいつも飯塚に捨てられる。罵声を浴びる。いきなりいなくなる。パターンはいくつかあるけど、結末は同じ。そして自分の泣き声とともに目が覚める…」

「……」

「覚えてないかな。この頃朝早くにわたしから電話が何度もあったこと」

「あれは、モーニングコールだって、マミ子が…」

「そう言うしかないじゃん。夢に怯えて、飯塚の声を聞きたかったなんて言えるわけが…」

「言ってくれよ‼︎言わなきゃわかんないじゃんかっ!」

「…そうだよね。ごめんね」

 でも、言えないのがわたし。弱いくせにプライドだけは高いから。


「そのさ、マイナスな思考ってのは、昔から?」

「昔からだね。もともとこういう性格なんだよ」

「じゃあ、あの高1の頃はどうだったのさ?まったく何も考えず、ラブラブだったじゃん」

「そう見えてても、その傾向はあったね。例えばあの花火大会の日なんかも」

 初キスをして、足元も不確かなくらいフワフワしてた日。

「手を繋いでの帰り道、暗い声がささやくんだ。『こんなに幸せでいいのか。おかしい。もうすぐトラックでも突っ込んできて死んでしまうのでは?』って」

「バカな…」

「確かにね。バカだよね」

 自嘲的に笑う。妄想に『トラック来るなら、わたしだけにして!飯塚は巻き込まないで!』とお願いしてたことも。

「心配しなくても、そんなに世の中変わらないよ。あれだ、杞憂ってやつだよ」

 勉強嫌いの飯塚から、杞憂なんて故事成語が出るとはね。


 でもね。

 わたしには、太陽が落ちてくるっていう杞の人の心配は、理解できちゃうんだよ。

 経験があるから。

 中学時代、たわいない一言で人間関係が激変し、あっという間に孤立した。

 飯塚のようなコミュ力がある人間は、すぐにフォローできるんだろうけど、不器用なわたしは周囲を恨み、殻に籠る事しかできなかった。図書室の座敷童子の出来上がりだ。

 …そんなわたしを救ってくれたのが、飯塚だったんだよ。飯塚が意図したことではなかったとしても。


 話戻すね、と飯塚なりの励ましをスルーして続ける。

「睡眠不足になり、実生活にも支障が出始めたので、心療内科に通い始めて睡眠薬をもらうようになった」

「…全然知らなかった…」

「隠してたから。学校にも。医者にも受験ノイローゼって言ってたよ。高2で受験ノイローゼって弱すぎだよねー」

「…自虐すんなよ」

「ごめん。で、正直に言ってないせいか、カウンセリングもあまり効かなくてね。飯塚に別れを切り出した時には、もう限界だった」


 時間が流れる。

 わたしは言うべきことは言ったし、飯塚はどう答えていいかわからない様子だ。

 でも、その泣きそうな目はやめて欲しい。引きずられるから。


「マミ子の辛さをわかってあげられなくて、ごめん…」

「謝らないでよ。すべてはわたしのせいなんだから」

 飯塚は1mmも悪くない。

「でも、マミ子の不安はよくわかった。これから俺も気をつけるから…やり直したい。駄目か?」

「駄目」

「なんで⁈俺はまだマミ子が好きだし、マミ子だってそうだろ⁈」

「…もうわたしは好きじゃない」

「嘘だね。目をそらしてるよ、ウソ子ちゃん」

 こんなウソもつけないほどポンコツか、わたしは。


「ごめんなさい」

 こうなったら、謝りの一手だ。深々と頭を下げたわたしに絶句してるようだ。

 それはそうだろう。今までこんな形で頭を下げた事はなかったから。

「飯塚と別れて、夢も見なくなって精神的に落ち着いたの。通院もやめて受験に集中できた。もう、あんな思いはしたくない」

「でも…、ほんとにそれでいいの?」

「後悔は…するかも」

 多分、する。

「じゃあ!」

「でも、考えて考えて、今はこれ以外の選択肢は選べそうにないよ…」

「…俺の気持ちは⁈話を聞いて、ますますマミ子を愛おしく思ってるこの想いは、いったいどこへ⁈」

 …優しい。優しすぎるよ、飯塚。嬉しいよ。


 でも、だからわたしなんかにこれ以上関わらせてはいけない。

 飯塚の相手は、飯塚の良さを存分に引き出せる人の方がいい。


『まもなく、新横浜に到着します…』


「あー、もう横浜かぁ〜。飯塚、品川下車だっけ?わたしは東京までだから、飯塚の方が先だね」

 できるだけ明るい声でいう。

 このまま話していると、涙が流れそうだから。

「もうこの話は終わりっ。わたしは少し寝るね」

「マミ子…」


 めちゃくちゃ強引に話を打ち切って、スマホに繋いだイヤホンをつけ目をつぶる。

 これは、もう会話はしないというJK的意思表示といえる。

 狸寝入りだったが、飯塚の声や揺さぶりにも一切ノーリアクションを貫いた。


 やがて品川着のアナウンスが入り、目をつぶったままでも飯塚らしき人物が荷物を下ろして去っていくのが気配で分かった。

 諦めてくれたか。

 ほっとすると同時に、寂しさも感じてしまう。

 ホント、わがままだな、わたしは。


『こだま668号、品川駅を発車します。お見送りの方は…』


「やっと行ったか…」

 目を開けてイヤホンをとる。窓の向こうでは品川駅のホームが流れていく。


「バイバイ、飯塚」

 さっき言えなかった言葉をつぶやく。

 飯塚には幸せになって欲しい。

 まあ、わたしなんかが心配しなくても引く手数多だろうけど。


 でも、わたしは飯塚を忘れない。

 あいつと一緒にいた高校時代は、この胸の中で今も輝いている。あいつの言葉、笑顔、時間。すべてが宝物だ。

 飯塚を好きになれて本当によかった。もう、こんなにも他人を想うことはないだろう…。


 視界が滲む。

 おいおい、あいつの気持ちをぶった切っといて、泣くなんてどんな傲慢な女だよ、わたしは。そんな資格はわたしにはない。

 だが、涙は止まらない。このままでは泣き顔のまま東京駅晒し者の刑だ。洗面所にも行って……。


 立ち上がってギクリ。

 通路に荷物を抱えて突っ立っていた、見慣れた巨体。


「飯塚……。な、な、なぜ⁈品川で降りたんじゃ…⁈」

「あんな泣きそうなマミ子を置いて、降りられないよ」

「〜〜〜‼︎あ、あんたねぇ!受験ってのは人生の重大事でしょ⁈それを…」

「マミ子と一緒じゃない人生に、意味なんかないっ!」

 …やばい。エゴとかプライドとかで覆っていた心が、揺さぶられる…。


「山本真実さん!やっぱり俺は君が好きです‼︎やり直してくれませんか⁈」


 狭い車内で宣言する飯塚を、周囲の客が注目する。そして差し出される飯塚の手。

 …デジャヴ?

 あの3年前のように、新たな気持ちでやり直せたら、もしかしたら…。


「マミ子が不安に思うたびに言うよ。俺はマミ子が好きだ。君から離れない。絶対に」

「〜〜〜‼︎」


 差し出される飯塚の手をパシッと払う。

 びっくりしている飯塚に構わず、抱きつく。身長差があるので、胴回りにしがみつく感じだけど。


「わたし、めんどくさい女だよ?」

「知ってる」

 飯塚の手がポンポンとわたしの頭をなでる。

「…腹立つ」

 でも、心地いい。飯塚のにおいが、懐かしい。

「わたしから離れたら、呪うよ?一生まとわりつく、ストーカー女になるよ?」

「望むところだ」

 こともなげに。


「わかった」

 抱きついた手を離す。飯塚の目を見る。

「わたしも飯塚が好きだ。やり直そう。何度でも」


 咆哮する飯塚。「おおーっ」「ほーう」「若いねぇ」などの周囲の声。ここでも拍手。スマホのシャッター音。

 …やっぱりデジャヴ?

 どうやら、わたしのワースト恥ずかしい思い出が更新されたようです。


 でも、ベストいい思い出になるように努力しよう。2人で。















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やり直しの恋心 墨華智緒 @saku-taro

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