第5話

 町から帰ってきた娘のボロボロな姿を見て、錬金術師の頭の液体は不安の紫に染まった。


「い、いったい何があったんだい? 腕がこんなになるなんて……」


 娘はいつも通りに荷物を広げてから、鍛冶屋の親爺が印をつけた地図を主人に渡した。それを見た錬金術師はハッと息をのみ、全てではないが何が起きたのかを察した。


「そうか、お前が人間ではないとばれて、騒ぎになってしまったんだね。つらい思いをさせてしまってすまなかった」


 錬金術師がそっと抱きしめたが、娘は微動だにしない。

 それを見た彼は、困ったように苦笑した。


「いけない、いけない。お前に心は無いはずだものね。術師が造ったものに感情移入してしまうなんて御法度だ。うん、気を取り直して別の町に行こう。新天地もまた良いものだよ。まぁ私はまたお前に頼るしかないんだけれどね……」


 錬金術師は娘の頭をぽんぽん、と優しくたたき、「頼んだよ、私のゴーレム」と言った。

 娘はただ、こくりと頷いた。






 それから錬金術師とゴーレムの娘は、あちこちを放浪した。

 新しい町ではまず信頼できる店を探さなくてはならず、これは錬金術師が見極めるしかない。ローブのフードを深くかぶり、どうにか目当ての店をみつけられることもあれば、まず錬金術師本人が怪しまれてしまうこともあった。それでもなんとか取引ができるようになると、今度はゴーレムの娘が何かしら疑われて危うくなる。それでまた別の町に移る。その繰り返しだった。

 その間にもゴーレムの娘は泥を食べてすくすくと育ち(娘はどこの泥でも構わず食べた)、主人の背も追い抜いて、すっかり大女おおおんなになっていた。反対に錬金術師は、漏れてもいないはずなのに頭のフラスコの中身がじわじわと減っていき、それと共に体は衰えていった。彼は頭がフラスコになって以来、飲まず食わず──飲み食いする方法が見つからなかったので強制的に──でも生きていたし、すっかり人間離れしている気持ちでいたのだが、実際は悲しいほど人間だったのだ。それを彼はしっかりと思い知らされた。これは、「老い」だ。

 そして錬金術師はフラスコの中身にも思い至る。これはきっと、自分の生命力そのものなのだ。そしてその残りが少ないということは、死期が近いということ。


「残念だなぁ。私は結構本気でこの液体が『賢者の石』じゃないかと思って、死んだら他の錬金術師に研究してもらいたかったのに」


 頭の中に僅かに残った液体は、悔恨のオレンジと満足の紺色を行ったり来たりしていた。


「うん、でも、たくさん研究ができて、面白い人生だった。お前のおかげだよ」


 錬金術師は寝床からよっこいせ、と起き上がり、かたわらに膝を抱えて座るゴーレムの娘を見た。

 娘は今や小さな小屋の天井に頭をぶつけてしまうほど大きくなり、身につけるものも無く、一日のほとんどをこうして座って過ごしていた。こんなに大きくなっては人里へのおつかいも難しいし、そもそも錬金術師には研究を続けられるほど体力が残っていなかった。代わりにときどき、彼の命に従ってその体を抱きかかえ、外に散歩へ行くこともあった。

 枝を削りだしただけの簡素な杖を支えに立ち上がると、錬金術師はそっと娘の頬を撫でた。ひんやりと湿って心地よい。顔料を塗ってやることもできなくなったその肌は、つるりと滑らかな泥そのものだった。エメラルドの瞳がきらきらと主人を見つめる。


「私が造りだしたのだから、私がちゃんと終わらせなければいけないね」


 錬金術師は娘の頭に植えた栗毛を掻き分け、その額を露わにした。そこに刻まれているのは『אמת真理』の文字。


「ありがとう、私のゴーレム。もうおやすみ」


 そう言って彼は、額の右端の文字を指で擦って消し、『אמ』とした。

 途端、娘の体はみるみる崩れ落ち、あっという間に泥の山と化した。その上に二つのエメラルドがころりと転がり、馬の栗毛は隙間風に吹かれてばらばらに散った。


「これでもう、いつ死んでも大丈夫だ」


 安心した錬金術師は寝床に戻って、窓の外を眺めているうちに眠りについた。

 眠りながら彼は、これまでの研究と、研究には欠かせない存在であったゴーレムの娘を、糸を紡ぐように思い出していた。頭のフラスコの最後の雫に愛情の赤がぼうっと灯ったかと思うと、ふいに消えた。



 後に発見されたこの錬金術師の遺体には、ちゃんと人の頭が付いていたという。その傍らには塚のように、乾いた土の山が寄り添っていたのだった。

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泥でできた娘 灰崎千尋 @chat_gris

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