第4話
はじめは錬金術師の胸あたりまでの大きさだったゴーレムの娘が、定期的に泥を食べて主人の肩を超すほどに大きくなった頃のこと。
その日、娘はまた錬金術師の遣いに出かけたが、町の様子はいつもと違っていた。人々は皆そわそわと落ち着かず、不安そうな顔をして小声で話をしている。しかしゴーレムの娘にそんな機微を察する能力はないので、いつも通りに商店を巡った。
「おお、
そう言ったのは宝石店の店主。
「
薬屋の店主はひそひそと耳打ちした。
「今日は新しい領主さまがこの町に来るんだってよ。まったく面倒ったらありゃしねぇよなぁ。あんまり評判もよくねぇみてぇだし、どうせ税金も上げられちまうんだ。チッ! おめぇも気ぃつけろよ」
鍛冶屋の親爺はそう言って、豪快に娘の背を叩いた。
さて、馴染みの店主たちから様々に忠告を受けた娘だったが、最後に訪れた鍛冶屋は大通りに面しているし、町を出るならこの道を突っ切るのが一番早い。そんなわけでゴーレムの娘は、できるだけ早く大通りを抜けていくことにした。
しかし残念ながら娘の足はたいそう遅かったので、大通りの中ほどにある広場に人々が集められ、新しい領主が即席の壇上に上がる時間に、ちょうどそこを通りかかることになってしまった。
「平民どもよ、よく聞け! 私が領主になったからには前のようには行かぬぞ」
豪奢な服を身につけた腹の出た男が演説をしている。その目は、彼のことを見ようともせず素通りしていこうとするゴーレムの娘を見逃しはしなかった。
「おい、そこの娘。止まれ」
群衆の視線も娘に集まったが、娘は気にせず歩き続ける。娘を知る人々は、まずいと思いつつも何も言えない。
領主は不機嫌そうに眉をつり上げ、傍に控えていた衛兵に顎で合図した。衛兵が二人駆けていって、娘の行く手を塞ぐ。
「私を無視するとは良い度胸だな、小汚い娘」
ゴーレムの娘は前後を衛兵に挟まれ、否応なく領主の前に連れてこられた。後から来た鍛冶屋の親爺がその様子を見て、慌てて領主に取り縋った。
「ま、待ってくれ領主さま! この子は喋れねぇんだ。ちょっとぼんやりしてるが悪い子じゃねぇ。周りを見るのが下手くそなだけで、領主さまを無視するなんてこれっぽっちも考えてねぇはずだ。な、嬢ちゃん、そうだよな。次はみんなで見とくんで今回はどうか、見逃してもらいてぇ……!」
親爺が何やら必死に頭を下げるのを見て、ゴーレムの娘もとりあえず頭を下げることにした。すると静かだった人々も娘をかばう声を上げはじめ、領主はいっそう不機嫌になってしまった。
「ええい黙れ黙れ! お前たちの言うことなどきくものか!」
領主は勢いに任せて腰に下げていた剣を抜くと、鍛冶屋の親爺に向けて振るった。悲劇を予感した群衆から悲鳴が上がる。
しかしその剣は、一滴の血も流すことはできなかった。ゴーレムの娘がその腕で剣を受けたのだ。娘は主人と同様に、主人と付き合いのある者も守るべきだと、咄嗟に判断したようだった。
だがその結果、鍛冶屋の親爺は守られたが、娘の手首から先がぼろりと崩れ落ちた。
領主はその
「ば、ばけもの……」
広場は阿鼻叫喚と化した。遠くにいた者は、領主が
その混乱に乗じて、鍛冶屋の親爺はゴーレムの娘を担いで広場から抜け出した。
大きな泥の塊である娘は、鍛冶屋の筋肉をもってしてもなかなかに重く、人通りの少ない路地に逃げ込むのがやっとだった。ゼェハァ、と肩で息をしながら、鍛冶屋の親爺は壊れた娘の腕に目をやった。やはりそれは人間のものではない。しかし人間であったなら、自分もこの娘も無事ではすまなかっただろう。
「……ありがとうよ、嬢ちゃん。ハカセの研究は俺にはさっぱりわからねぇが、嬢ちゃんのおかげで助かった」
お礼を言われている、と気づいた娘はいつも通りお辞儀を返した。それがどこかぎこちない理由も、親爺にはもうわかっていた。
「嬢ちゃん、残念だがこの町にはもう来ない方がいい……ってのを伝えるにはどうするかなぁ。俺は簡単な文字を読めるだけで書けねぇし。そうだ、地図は持ってるかい?」
娘が荷物の中から地図を差し出すと、親爺は
「これと嬢ちゃんの腕を見れば、賢いハカセならきづいてくれるだろう。薬屋と宝石屋だったか、あいつらには俺から伝えておく。……じゃあな嬢ちゃん、達者で暮らせよ」
ゴーレムの娘はこくりと頷いて、町の外へ歩き出した。鍛冶屋の親爺は、振り向きもしないその背をしばらく見つめていたが、やがて自分の工房へと帰っていった。
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