四十九
「どうしても、行かれるのですか?」
「ああ。もう私がここにいる理由はない」
ファールデン王国皇太子エルサス・アルファングラムとドルキン・アレクサンドルは、王都にほど近い丘陵の上に立ち、向かいあっていた。季節は巡り、またあの冬がやってくる。
王都の再建が進み、外城壁は既に復旧していたが、王城は未だあの傷跡が癒えず、王都市街も完全に元に戻るまであと何年かかるか分からない。
「お前には申し訳ないことをしたな」
エルサスは、地平線近くまで降りて濃い血の色に変じてきた太陽を眩しげに眺めながら、静かに首を振った。
ドルキンは、あの日、チェット・プラハールで起きたことを、全てエルサスに話した。エルサスはエレノアの正体を知って強い衝撃を受けていた。父王と母親を亡くし、生まれて初めて愛したであろう女が、あのような死に方をしたのだ。彼の喪失感は深く、受けた心の傷はおそらく、一生つきまとうであろう。しかし、彼は王として、この国を再建し、一度は侵攻を諦めたとはいえ、またいつ「大崩流」を起こすか分からないスラバキアからこの国を守るという使命を負っている。その孤独と苦しみに耐え、生き抜いていかなければならない。
「お前なら、このファールデンを復興させることが、きっと出来るだろう」
ドルキンは、この一年で著しい成長を見せたエルサスを顧みて、言った。エルサスはこの一年、ドルキンを師として仰ぎ、彼の持つ剣技、知識、哲学、全てを学び取ってきていた。ドルキンは、エルサスの瞳の中にマリウスと同じ光を、資質を見出していた。
「これを、お前に渡しておこう。この国を統べ、この国を守るお前にこそ、ふさわしい剣だ」
ドルキンは、チェット・プラハールで手に入れた神剣をエルサスに渡した。新しい鞘に納まった神剣は、円卓の騎士たちの武器を鍛える聖堂鍛冶師によって一から磨かれ、鍛え直されていた。
その時、近くの修道院の鐘が、透き通った音を低く、長く響かせた。
ドルキンは、その場で黙祷してマリウスを想った。
ドルキンは、もう二度と神のために祈ることはないだろう。フォーラの神はアナスタシアと共に滅びた。エルサスはこの国を、国教を持たない純粋な王国として再建すると言っていた。第十三代国王グラフゥス以来営々と続いていた国王と教皇による双頭体制は、ここに崩壊したことになる。
ドルキンは、これからは神のためにではなく、最愛の弟子でもあり、我が息子であると言っても過言ではない、マリウスのために、マリウスの魂のために祈ろうと思った。それが残りの人生で自分に課された唯一の使命であると考えていた。ミレーアも、マリウスを弔い、その墓を守るために生きると言い残し、マリウスの骨を抱いて辺境の修道院に篭もった。
王都を出たところで、今のドルキンに行くあてはなかった。しかし、彼にはまだアナスタシアが、このユースリア大陸のどこかで、自分を待っているような気がしてならなかった。彼は未だに、フィオナの姿をしたアナスタシアが、宣託の最後で告げた言葉が頭から離れなかった。
「アナスタシアを……アナスタシアを救え」
あれは、彼女自身の、心の底からの叫びだったのではないだろうか。過酷な運命に翻弄され、変わり果てた自分を止めて欲しいと。アナスタシアはドルキンに助けを求めていたのではないのか。
丘陵にナスターリアが上ってきた。王国大将の鎧を身に着けている。
ドルキンは彼女に目礼し、エルサスに向かって言った。
「さらばだ」
太陽は既に地平線に達し、黄昏が空気を支配し始めた。
いつの間にかシュハール川から忍び寄って立ちこめてきた白い霧が徐々に濃くなり、遠ざかっていくドルキンの後ろ姿をその中に溶かした。
やがてその霧も、次第に濃い夕闇に包まれ、そして、全てがその中に溶けていった。
了
霧の黄昏 泰山 沐 @ken4in
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