番外編 ミヤ編2

「どういうことだ、王子との婚約の打診だと!?」


 その日の我が家は大荒れだった。

 ついに恐れていたことが起きてしまったとばかりに父は荒れに荒れ狂った。

「だから人前に出したくなかったのだ!」「あぁ、ワシの愛しのエラが!」「絶対に、絶対にあの男などに、他の男には渡さぬぞ……っ!」と鬼気迫る形相で部屋中の物を壊し回っている父を見て、私は火の粉が自分に被らぬようにするのに必死だった。


「あら、どこへ行くの? エラ」

「お、かあ……さま……」


 ゆっくりとバレぬように部屋から出ようとしていると、背後から声をかけられ、驚きのあまり大きく身体を跳ねさせる。

 恐る恐る振り返ると、あまりに禍々しい母の笑みに足が竦んだ。

 まるで金縛りにあったかのように身動きが取れないでいると、ガツン、と何か重たいもので殴られる。

 そして私の意識はそのままなくなった。



 ◇



 気づいたらそこは見知らぬ場所だった。

 どうやら外にいるらしく、砂埃を吸ってげほげほと咳き込む。

 あまりに肌寒く、自分の身体を見下ろせばいつの間にか服を剥かれ、何も身に纏っていない生まれたままの姿。

 しかも腕と足首には枷をつけられ、身動きが取れなくなっていた。


「ここは、どこ……?」


 周りを見回すと自分と同様の少女が何人もいる。

 どの子もみんな怯え、震え、見窄らしい身なりをしていて、私同様みんな足枷と手枷がつけられ、ボロ切れを身につけた状態で野ざらしにされており、そこで初めて自分は人買いに売られたのだと悟った。


「おぉ、起きたか嬢ちゃん。いやぁ、本当に別嬪だ。売るのが惜しいくらいだよ。だが、まさか母親に売られるだなんて、不憫だねぇ」


 男がニヤニヤと舐めるように私を見つめてくる。

 そんな男の態度が気に食わなくてペッと唾を吐きかけると、横面を思いきり叩かれた。


「うぐっ」

「うーん、顔も体型も申し分ないが、威勢がよすぎるのがよくないねぇ」


 そのまま髪を引っ張られ、地面に叩きつけられる。

 そして腹部を思いきり蹴られて私は嘔吐した。


「はは、ざまぁねーな。いいか? これに懲りたならそういう行為は一切しないことだ。……わかったな」

「…………っ」


(どうしてこんなことになってしまったのか)


 今までと状況が一変し、そう思わざるを得なかった。


(ギルベルトは今頃探してくれているだろうか。それともまだ私がこんなことになったことを知らないのだろうか)


 考えても答えは見つからないし、見つけるすべもない。

 そして恐らくその答えを一生見つけることはできないだろう。


(私が、ギルベルトと一緒にいることを望んでしまったから)


 ただ一つの望み。

 ギルベルトとの結婚を私が望んでしまったせいで、今まで以上につらい状況になってしまったことに静かに涙を溢す。


(大人しく父に従っていれば。ギルベルトとの未来を想像しなければ……!)


 今更後悔しても後の祭りで、過ぎてしまったことはどうしようもできなかった。

 恐らくもう一生ギルベルトとは会えないだろう。

 唯一の救いは、こんな恥を晒した格好を見られなかったことだろうか。


「ほれ、いつでもそこに転がってもらってちゃ困るんだよ。さっさと服を着ろ。お前は商品なんだ、せいぜい高く売れてくれよ?」


 男はボロ布を私に投げつける。

 もはや服と呼んでいいのか疑問なくらいにぼろぼろの布切れなため服として機能していなかったが、それでもないよりかはマシだと身につけた。


(私の人生は何だったのか……)


 父に嬲られ、母に売られ。

 唯一の希望であったギルベルトとも引き離され。

 私が一体何をしたのだ、と自分の運命を呪う。

 だが、そんなことを思っていてもどうしようもなく、無力な私はここにいることしかできなかった。



 ◇



 あれから何度も買われては私が抵抗し暴れて返品され、人買いに殴られ蹴られ、また買われて抵抗して返品されるの繰り返し。

 顔を傷つけられることはなかったが、身体はどこもぼろぼろで、痛みで頭がおかしくなりそうだった。


(そろそろ疲れた。死にたい)


 死にたいと思うも、猿轡をされていては死ぬに死ねず。

 今日も無為に生き恥を晒している。

 生きる希望などとうに消え、早くこの世から消え去ってしまいたい。

 そう思っていたときだった。

 不意に視線を感じてそちらを向くと、この場に似つかわしくない綺麗なドレスを着た幼い少女が目をキラキラと輝かせて私を見つめていた。

 なんだか居心地悪くて視線を逸らすと、彼女はなぜか私の顔を覗くようにぐるりと私の前方に回ってきて、再びキラキラと輝く瞳をこちらに向けてくる。


(なんなのよ、この子)


 自分が見せ物小屋の動物になったような気分になり、だんだんと腹が立ってくる。

 きっと私のことをバカにしているのだろう。

 物珍しげにまじまじと見てくる瞳に嫌悪感が増す。


(どうせ冷やかしでしょうから、早くどっか行ってくれないかしら)


 自分よりも幼い恵まれているであろう少女に苛立つと、その少女はニカッと笑って大きく口を開いた。


「お人形さんみたいで綺麗!!」


(……は? このぼろぼろの布切れを身につけて、風呂にも入らず、殴ったり蹴られたりされている私が人形のように綺麗?)


 少女の目は節穴なのか、それとも私をバカにしているのか、と睨むように彼女を見つめる。

 すると、交わった視線は純粋そのもので、あまりに真っ直ぐ見つめてくるため、思わず私はたじろいでしまった。


「まぁ、髪の色も、瞳の色も素敵! お声はどんな声かしら? きっとお声も素敵なんでしょうね。……って、申し遅れてごめんなさい! 私はマリーリと言うの、よろしくね。それで、貴女のお名前は何て言うのかしら? 教えてもらえると嬉しいのだけど」


 早口で前のめりに話しかけてくるマリーリに、戸惑う。

 こんなに話しかけられることなど、ギルベルト以外初めてだった。


「こら、マリーリ! どこに行ったかと思えばこんなところに! 人攫いに連れ去られたらどうするんだ!」

「ごめんなさい、お父様。でも見て! この綺麗な子、ここで売られているらしいの。私、この子とお友達になりたい!」

「と、友達!? あー、いや、マリーリ、彼女は友達というか、奴隷として売られていてだな……」

「どれいって何?」


 マリーリは意味がわからないからか、目をまんまるとさせながら父親に尋ねている。

 父親はマリーリの質問に何と答えたらよいかと困惑しながらも、言葉を選びながら説明をし始めた。


「えーっと、奴隷とはだな、主人の言うことを聞いて……」

「じゃあ、メイドということ? それならこの子をメイドとしてお迎えしたいわ!」

「あー、いや、そうじゃなくてだな! そもそも人身売買は禁止されているし、下手に人を……しかもこんな年端もいかない少女を買ったとバレたら大変なことになるんだ。だからお迎えするのは無理だよ」


 父親は一生懸命マリーリを説得しているが、肝心のマリーリは納得していないようで、つい先程までニコニコと上機嫌だったというのに、突然大声でヤダヤダとごね始めた。


「やだ! 私は絶対この子と一緒におうちに帰るの!!」

「だからマリーリ、それは無理だと……」

「やだ! やだやだ! だったら私もここにいる! この子を連れて帰らないなら、私もここで一緒に売られてやる!!」


 突拍子もない叫びにギョッと目を剥く父親。

 少女の誰もが驚く発言に、周りからも注目を浴び、焦った父親は無理矢理マリーリを連れて行こうと腕を引くが、マリーリもマリーリで頑なようで私に抱きつきしがみつくと「絶対に連れて帰るのーーーーー!!!」と離れなかった。


「マリーリ! いい加減にしなさい!」

「やだやだやだー!! この子は私のメイドとして連れて帰るのーーー!!」


 ドレスが汚れるのも気にせず、私を抱きしめるマリーリ。

 絶対に離さないとばかりにきつく抱きしめられ、こんなにもマリーリから執着されることに困惑しながらも、父のそれとは違って嫌な気はしなかった。

 お互い一歩も譲らず、マリーリが「今日は私の誕生日だから何でも買ってくれるって言ってたのに、お父様の嘘つき!!」と大声を上げると、父親は盛大に「はぁぁぁぁ」と溜め息をついたあと項垂れながらヤレヤレと頭を振る。


「わかった。私の完敗だ。この子を買い取ろう。あぁ、マーサに何を言われるか……」

「やった! ありがとうお父様! お母様には私からもちゃんと言うから安心して!! 今日から貴女は私のおうちに来るのよ? よろしくね!」


 マリーリが私を抱きしめ、きゃっきゃきゃっきゃとはしゃぐ。

 こんな風に性欲以外で求められたことなど初めてで、どう反応すればいいのか私にはわからなかった。


「家に着いたらまずお風呂に入りましょう? それから貴女には綺麗なドレスが似合うだろうから綺麗なドレスを。髪も結えて……それから……」

「マリーリ、あくまでメイドとして買うんだから、その辺はきちんと弁えないといけないよ」

「……はーい、お父様。じゃあ、メイドなら貴女は私の専属メイドね! ってそうだ、名前。さっきちゃんと聞けなかったけど、貴女は名前は何と言うの?」


 キラキラと曇りない瞳で見つめてくるマリーリ。

 私は本名の「エラ」と言いかけて逡巡しゅんじゅんし、一度口を噤んだあと再び口を開いた。


「私のご主人さまはマリーリさまですから、私の名前は貴女が決めてください」

「え? 私が決めていいの?」

「はい」

「んー、そうね。では、ミヤはどう?」

「わかりました。今日から私はミヤです。よろしくお願いします、マリーリさま」

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婚約者が親友と浮気したので婚約破棄したら、なぜか幼馴染の騎士からプロポーズされました 鳥柄ささみ @sasami8816

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