【おまけ】悪役令嬢にヒロインを押し付けられた令嬢は冷徹騎士に陥落する(オデット視点)
「もうっ!マナーに、歴史に、文字の練習に……仕方ないじゃない!私、元々平民なんだからぁー!」
光が当たると独特の桃色に光る艶のある銀髪を振り乱し、夕暮れ色の丸い瞳は対処できない課題に涙で濡れている。
王宮に来るように言われた。私の時代が来ると思った。でも、私のピークって、きっと悪役令嬢の罪を断罪しようとしたあのパーティーだったのよ。十八歳にして人生のピーク終了。後は退屈な人生を送って、適当なところで死ぬの。
──逃げちゃう?
部屋は二階。あるのは扉と窓が一つずつ。扉の向こうには王宮に仕える屈強な騎士。
「……となればここでしょっ!」
桃色の花弁のようなシフォンが重ねられたドレスに桃色のシューズ。頭にはやはり桃色の大きなリボン。……いかにもロマンス小説のヒロインのような可憐な服装で、私は窓枠を華麗に蹴って外へと逃げ出した。
──バイバイ、私の部屋。……また夜になったら帰ってくるけど。行くとこないし。
まずは物陰に隠れよう。そう思って庭の方へと踵を返した瞬間、私の視界は深い緋色に覆われた。
王宮の中でも国王とその家族達が暮らす後宮──華やかな花が咲き乱れるはずのそこは、私にとっては最も居心地の悪い場所だった。
私、オデット・ラマディエ改め、オデット・バルシュミーデは、平民から男爵令嬢になり、そして最近王女になった。光が当たると独特の桃色に光る銀髪は、王家の血によるものだったらしい。夕暮れ色の瞳は、昔王宮で侍女をしていた死んだ母譲りのものだ。これが公になったのは、全部あの女──リュシエンヌ・バルニエ侯爵令嬢のせいだ。
「なによっ!結局自分はジョエル殿下とラブラブでさー、ずるいわよー!」
彼女は来月には結婚するらしい。王都の教会で結婚式を挙げて、晴れて王太子妃になる。悪役令嬢になりたがったあの女に、私こそがヒロインであるように外堀を埋められ、色々あって、卒業パーティーの場で私に王族の血が入っていると王妃様に知られてしまった。調べたら、王様の使用人との過去の浮気がバレたらしい。
私はあっという間に王宮に連れて来られ、保護という名目で監視と再教育の日々だ。目まぐるしく私の立場は変わっているが、人はそう簡単には変われない。
「あぁ……動きたい、動きたい、動きたいー!!」
貴族令嬢とは大人しく淑やかにするものだと、男爵令嬢だった時から言われていたけど、私はそんなの無理!って思って、好きなようにやってきた。
それが王様の隠し子だったことが分かって王宮に連れて来られたら、口煩いお妃様と、お妃様には頭の上がらない王様のせいで、私はすっかり籠の鳥だ。部屋の扉の前には騎士がいて私を監視しているし、一時間毎に違う家庭教師がマナーや歴史、文字の練習、ダンス……終わりのないレッスンが毎日いっぱいに詰め込まれている。
別に特別な事がしたい訳ではない。ただちょっと釣りをしたり、道を走ったり、地面に座ったり、買い物をしたりしたいだけだ。家庭教師の入れ替わりの時間、一人になった部屋で、私は窓から逃げ出すことを決めた。全て桃色のいかにもロマンス小説のヒロインのような可憐な服装で、私は窓枠を華麗に蹴って外へと逃げ出した。
──バイバイ、私の部屋。……また夜になったら帰ってくるけど。行くとこないし。
まずは物陰に隠れよう。そう思って庭の方へと踵を返した瞬間、私の視界は深い緋色に覆われ、しかもぶつかって弾き飛ばされた。
「痛っ」
尻餅をついた先は芝生で、思ったより衝撃は少なかった。ああ、でも見える。顔を見るのは怖いけど、この靴、この服。これは、近衛隊の制服だ。逃げ出した途端にバレちゃったのかしら。この髪色では、誤魔化せないし……
「大丈夫ですか、姫君。お手をどうぞ」
顔を上げると、そこには手を差し伸べるジョエル殿下もびっくりのイケメンがいた。氷のような瞳は綺麗な水色で、髪は銀色だ。……この人、こんなにカッコ良かったんだ。
私はこの人を知っていた。でも今だけは一番会いたくない人でもあった。そりゃ近くで見れたのはラッキーだったけど!
「……姫。貴女、本当にお姫様じゃないですか」
凍えるほど冷たい声で睨みつけるように言った彼は、バルシュミーデ王国の近衛隊副隊長を務める、セドリック・カステル侯爵だ。泣く子も黙る冷徹騎士という噂だ。近衛隊の頭脳、バルシュミーデの鷹。いくらイケメンでも、逃げ出してきた今だけは会いたくない。そろそろ次の家庭教師が部屋にやって来る時間だ。
「オデット様ー!?」
「オデット様が消えたぞー!」
上からは私を探すたくさんの声が聞こえ始めた。目の前にはよりによってセドリック様。私の逃亡、もうおしまい。今日はこの後はお説教かしら。思わず溜息も出てしまう。空を見上げると、小鳥が連れ立って飛んでいた。ああ、貴方達は自由なのね──
「──失礼」
その言葉と同時に、私のお腹に強い圧がかかった。
「ぐぇ」
どうやらセドリック様の肩に担がれたらしい。さっきまで空を見ていたのに、今は芝と緋色の背中しか見えない。
「色気がないことだ。……揺れるぞ」
次の瞬間、目に見える芝が、すごいスピードで流れていった。頭ががくがく揺れる。
「何!?」
「舌を噛むぞ。黙れ」
──べしっ
え。私、太もも叩かれた?! セドリック様って変態?! 冷徹騎士って本当だったんだ! やだ怖い! 怖い怖い怖いっ!!
目と口をぐっと閉じて揺れと恐怖に耐える。左右に何度もジグザグに走っていることは分かるが、どこへ向かっているのだろう。しばらくして揺れが収まり、それまでの扱いが嘘のように丁寧に地面に降ろされた。
「すまない。追われているようだったから」
相変わらず温度のない声で、セドリック様はそう言った。え、この人、私を逃がしてくれたの?
恐る恐る目を開くと、そこは薔薇の壁に囲まれた小さな庭園だった。あまり広くない空間ながら、色とりどりの花が咲き乱れ、小さいけれど噴水も置かれている。男爵令嬢になってから何度か王宮を出入りしているが、初めて見る場所だ。
「ここは、薔薇の庭園迷路の中だ」
王宮の庭園迷路……! 私も話だけは聞いていたけど、迷う自信があったから、一度も立ち入ったことはなかった。
「初めて入りました……!すごいです!」
「そうか」
私は目をキラキラと輝かせてしまう。だってここはきっと、庭園迷路の中でも幻とされている『天使の庭』だ。噂で聞いた通りの景色だ。やはり噂は本当だったのか。
「あの……ありがとうございます、セドリック様」
私は頬を染めて手を合わせ、上目遣いで見上げる。これ、私がやると優しくしてくれる男性が多いから、いつからかよくやるようになった動きだ。なのにセドリック様は一瞥しただけで噴水に目を向けた。
「そうか。良かったな」
本当に冷たい人だ。せっかくここまで連れて来てくれたから、さっき叩かれたことは水に流そうと思ったのに──
「逃げたかったんだろう?王宮は嫌いか」
そんなことを考えていたから、反応が遅れた。私は無防備な表情をセドリック様に晒してしまう。
「え?」
「空を飛ぶ鳥を羨ましそうに見ていた」
「それは──」
「王女であることは苦痛か」
私の心を見透かすように、セドリック様は私が思っていたことをそのままに口にした。そして、私が知らないことを話し始める。
「噂では平民からの成り上がり王女だとか、慎ましやかな天使のような姫君だとか……色々言われているが、実際はただの籠の鳥と言うことか」
「なによその話!」
「──事実だろう?」
かっとなって言い返したが、私はもう何も言えなかった。セドリック様の冷たい氷の瞳に射抜かれる。惨めな自分が恥ずかしくて頬が赤くなった。俯きたくなんてないのに、泣きたくだってないのに──
嫌でも瞳が潤んでくる。王女になんてなりたくなかった。別にジョエル殿下を好きでもなかった。リュシエンヌ様を嫌いな訳でもなかった。結局私をいじめてたのはリュシエンヌ様の家の対立派閥の令嬢で、彼女に罪を被せようとしていたらしい。
……私はただ、私が思うように行動しただけだった。貴族の世界で、ただの平民として育った私の行動が、何も通用しなかっただけで。
「仕方ないじゃないー! 私……悪くないもん……悪くないもん! 皆幸せそうでさ、私一人だけピエロだったんでしょ? ……分かってたけど、分かって……る、けどっ……」
途中から自分でも何を言っているのか分からなくなってきた。しかし涙は止まってくれない。今日初めて会話したセドリック様に、訳の分からないことを言っていて、更にとても情けない姿を晒しているが、もうそれもどうでも良かった。後から後から出てくる涙は止まってくれない。氷のような瞳の彼なら、私を放っておいてくれる気がした。
泣くだけ泣いたらすっきりした。涙はデトックス効果があると言うのは本当だろう。落ち着いたら急にセドリック様の存在を思い出し、私は居たたまれない気持ちになった。
「──あの、お恥ずかしいところをお見せしました」
恥ずかしさから真っ赤な顔でぺこりと頭を下げたが、目の前のセドリック様は表情をピクリとも動かさない。
「いや、構わない。……もう良いのか」
相変わらず冷たい声だが、私はもう、それがただ冷たいだけではないと知ってしまった。噂では冷徹騎士だという話だったが、空を見上げた私をここへ連れてきてくれたセドリック様は、ちっとも冷たくなんてなかった。
「セドリック様は──いいえ、何でもありません」
自分でも何を言いたいのかまとまらない。何を聞きたいのかも分からない。ただ、号泣した後のぐちゃぐちゃであろう顔のまま、見つめることしかできなかった。
セドリック様はそんな私の側に歩み寄ってきた。地面に座ったままの私の前に膝をつくと、それでも目を離せずにいる私の頬に、肩に担いでいたのが嘘のようにそっと優しく触れる。
氷の瞳の中に私の夕暮れ色の瞳が映っている。近くで見ると、それは氷ではなく、澄んだ青空のような色にも見えた。
「私の家に嫁に来るか?」
表情があまりに変わらないから、私が聞き間違えたのかと思った。
「私の家はそれなりに大きいし、庭も広い。最低限の社交さえしてくれれば自由にしてくれて構わない。浮気をされるのは困るが、弟がいるから無理に後継を産まなくても良い」
次々と提示される条件に、私は目を見開いて固まった。この男は──何を言っているのだ?
「……セ、セドリック様? あのですね。今何を仰っているか、分かってます?」
おずおずと聞くか、セドリック様は頬から手を離す様子がない。それどころか、反対の手を私の手に重ねてきた。
「貴女を口説いているつもりだが?」
行動は熱心な割に、本当に表情も声音も変わらない人だ。私は面白くなってきて、思わず言い返してしまった。
「それのどこが口説いているのですか? 私にとって良い条件を並べて、顔色ひとつ変えずに淡々と。そもそもセドリック様は、どのような女性が好みなのですか?」
セドリック様は目を逸らさせてくれない。重ねられた手だけが、燃えるように熱い。
「私の好みは、淑やかで大人しく賢い女性だが──……それがどうした?」
「私、ひとっつも!当てはまっておりません!」
瞬間、現実に引き戻された。
ならば何故口説いたりするのか。ああもう、重ねてる手を握ったりしないで欲しい。勘違いしてその気になってしまうじゃないか。
「そんなに駄目か? 貴女の瞳を見て、夕暮れの空のような暖かさを感じた。陰るのが嫌だと思った。側に置いたら楽しいかもと思ったのだが」
「だからって何故いきなり結婚なのですか?!」
いきなり本当に口説かれてしまって、私はどうして良いか分からない。自慢でもないが、同年代の軽い男性以外から口説かれたことはないのだ。免疫なんて、ある訳がない。セドリック様は私の問いに当然のように答えた。
「だって、姫と触れ合うためには、結婚でもしないと許されないだろう。……オデット姫は、私では不足か?」
セドリック様は表情が変わらないから分かり辛いが、これはもしかして、不安になっているのかしら?それって私が言い返したから?
「いいえ、不足はありません。ありませんが──」
「なら良いだろう? 君を愛したいと言っているんだ」
「あ、愛したいって……!」
急に距離を詰めたセドリック様は、私の耳元で囁いた。息が僅かに首を掠め、流れる銀髪の端が僅かに耳に触れてくすぐったい。
「──駄目か?」
真っ直ぐ過ぎる言葉は心に突き刺さるようだ。囁いてすぐに体制を戻したセドリック様は、さっきよりも熱のこもった視線で私を見つめる。瞳は冷たい氷のようでもあり、優しく包み込む青空のようでもある。私にそれを突き放すなんて、できなかった。
「いいえ、駄目では……ありません」
その後王宮に戻ったわたしは、王妃様にこっぴどく叱られた。王様はセドリック様が結婚を申し込んできたと青い顔で後宮に駆け込んできたが、王妃様に叩き出されていた。
その後意外にも婚約はあっさりと決められてしまった。
そして私はと言うと、日々の課題に真面目に取り組んでいる。マナーも歴史も綺麗な文字も、マスターしてセドリック様をぎゃふんと言わせてやるのだ。
「見てなさいよ、セドリック様。お淑やかで、大人しくて、賢い女性──なって、見返して差し上げます!」
私がセドリックさまに嫁ぐまで、あと半年。果たして教育は間に合うのか──家庭教師達は顔を青くしているが、セドリック様はきっと大きな家と広い庭で、私を待っていてくれるはずだ。
ならば私は──
「なってやろうじゃないの!最高の淑女ってやつに!」
私は握った右手を掲げ、左手を腰に当てた。窓から外を見ると気合いが入る。わたしは淑女にあるまじき格好で、後宮の空に向かって大きな声で覚悟を叫ぶのだった。
悪役令嬢は最愛の婚約者との婚約破棄を望む【連載】 水野沙彰 @ayapyon
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