恋する聖子ちゃん
倉井さとり
恋する聖子ちゃん
私は聖子と申します。
私は今、藪の中に潜んでおります。
幸いにも藪の中に蛇はおりません。ただ独り、私が潜むばかりです。
何故私がこのように、藪の暗がりなどに身を隠しているのかといえば、これはなかなかに説明が難しく、そうですね、事の初めから話しましょうか……あれは丁度、冷夏の頼りない残暑の頃の……、きた! 今だ! ふふふ!
私は暗がりから、葉枝の引っ掻き傷も気にせず踊りでて、彼に一直線に飛びこみ、背中に深々とナイフを突き立てました。ナイフは深々と刺さり、持ち手すら入っていくかのよう。
「な、何故だ、聖子ちゃんっ!?」
「私、こういう性癖なの、ごめんね」
「なるほど。それは納得だ」
言って彼は、なるほどという顔をして息絶えました。
私は聖子と申します。好きな人は殺さずにはいられない、そういう性癖なんです。いえ、性癖というよりも性分でしょうか。どうしても我慢できないというわけではないのですから、性分というのが正しいように思います。しかし私は、己の性分には逆らいません。
法律違反なのは分かっています。事が明るみに出れば、私には間違いなく、極刑が言い渡されるでしょう。しかし私は、自分の性分に逆らってまで生きていたくはないのです。
あなただって、自分の性分を押し込めて生きるのは癪でしょ?
ただ、私の性分が、たまたま殺人だったというだけのこと。
困ったことに、――この、困ったことにというのは一般論で、私自身はさして困っていないのですが――私はそれに加えて、恋愛以外に興味のない、恋の戦士、愛の求道者でもありました。また私は、恐ろしく惚れっぽい女なのです。要は恋愛体質です。
しかし誰でもいいというわけではありません。見境なくというわけではありません。
ただ、何かキラリと光るものを男性に見出だすと、他のことは目に入らなくなってしまうのです。それは本当に些細なことばかりです。言葉使いが丁寧であるとか、物腰が柔らかであるとか、一生懸命仕事に取り組んでいるであるとか、そんな普通のことです。
私は思います、たった一つでも良いところがあれば、相手を好きになるのには充分なのではないかと。だって自分の胸に問うてみてください。そう何個も、自分の良いところなんて上げられないでしょう?
何個も見つけられた人は、自分を客観的に見ることができていないか、余っ程の自惚れ屋かのどちらかです。
まあ、私の場合は、男性とは短いお付き合いなので、悪いところに目を瞑れてしまうというのもありますけれど。
……さぁ、また私は恋をしてしまいました。
今度の相手は独占欲が強い方。それにときめき、きゅんとしてしまいました。独占欲が強い。聞こえは悪いですが、言い換えれば私だけを愛してくれるということ……素敵です。
彼と親密になり、気持ちの高まった私はいつものように、暗がりに潜り込みました。彼、嫉妬がすごくて……最初は驚きましたけど慣れてくると、何でしょう、子供っぽくて、悪くないなぁ、可愛いなぁなんて思えてきて、この間なんか……、あっ! きた! 今だ! うふふふ!
彼だけを見つめて、彼だけを思い、彼に一直線に飛び込みます。ぐさり、根元まで差し込まれたナイフに、更に何度も体重を乗せ、より深い所を目指し、ナイフを刺し入れます。まるで激しい抱擁のように。ぐいぐい! えいえい!
「どうしてだっ! 聖子っ!?」
「ごめんね、私こういう性癖なの」
「あっそうだったんだ」
「今までありがとね」
「待て!」
「何?」
「俺が死んでも俺だけを愛せっ!」
……さすがです。私が惚れただけのことはあります。素敵にもほどがあります。本当に大好き。
「じゃあ、一生惚れさせてくれるような言葉を」
「愛してる!」
「そんな月並みな言葉じゃ、嫌」
「そ、そんな……」
彼は、上手い言葉が思い付かなくてもどかしい、という顔をして息絶えました。彼はとても素敵な男性でしたが、私の期待を上回ることはありませんでした。
異性を瞬時に惚れさせるような決めの言葉を、人は一つくらい持っていなくてはいけません。いつ何時、何があるのか分からないのが人生です。
私のような人間は私以外にはいないでしょうが、愛する人との永遠の別れなんて珍しくもありません。とっておきの愛の言葉の一つくらい、胸に秘めていなくてはなりません。
……さてさて、私はまた、ほの字になってしまいました。
今度の彼はミステリアスなのが素敵です。いったい何を考え、何に喜びを感じているか検討もつきません。底知れなさがたまりません。本当に素敵です。彼の本性を暴いてみたい。それを私だけが独占できたら、何て素敵なことでしょう。だけど彼にその気はないらしく。アプローチは無駄に終わり、ただ冷たくあしらわれるばかりです。
今度の私は片想い。高まりすぎて、お付き合いも、交際の申し込みすらせずに、私は暗がりに潜みました。はしたないとは思いますが、どうにもなりません。……片想いは燃えるのです。
……さぁ、きた、……今かな? もう少し待つ? ……いや、今……今だ! あはははははは!
思いの丈のすべてを込めて、私は藪から飛び出しました。地面を蹴って、彼に一直線に駆け寄ります。もっと速く、もっと速く、私は走りながらそう呟きました。そう願いました。だって加速すればするほどに、彼に深く刺し込んであげられますから。
もう彼の背中は、すぐそこ目の前。
――私はあなたが好きです――
ナイフを腰だめにして、いよいよ飛び込むというその瞬間、彼は突然、こちらに振り返りました。そして、目にも止まらぬ速さで懐からピストルを取りだし、あろうことか私に向かって、引き金を引いたのです。
――バキューン――
身体に強い衝撃が走り、気がつくと私は地面に倒れていました。何だかお腹が焼けるように熱いです。激辛のお鍋でも食べた後のよう。私好きなんですよねぇ、お鍋も、辛いものも。
見るとお腹から、まるで何かの冗談のように血が溢れ出ています。見上げると、彼はピストルの先から出る硝煙を、息で吹き消していました。またその姿が様になっていること。
薄れ行く意識の中、私は彼に尋ねました。
「何で? 何でこんなことを?」
「すまない。僕はこういう性癖なんだよ」
「あっ! なるほどっ!」
そういうことでしたか!
道理でミステリアスなわけです。まさか私と同じような人間が、この世にいようとは!
ああ……嬉しい……。彼への思いがますます募ります。ああ……好き。もう完璧すぎます。この恋を逃す手はありません。
だから私は愛の告白をします。
「私も同じような性癖なの、私たちは運命の相手同士なの。お願い、私が死んでも私だけを愛して欲しい」
「じゃあ、一生君を愛せるような言葉を頂戴」
「だ、大好きです!」
「そんなありふれた言葉じゃダメさ、君だけの言葉を聞かせて」
彼はピストルを指でくるくると回転させ、懐に仕舞いました。
「………」
血を流しすぎたせいか、もう声も出せません。
まさか私が、刑法によらず殺される日が来るなんて、夢にも思いませんでした。……なにより、本当の恋をみすみす逃してしまうとは。
偉そうなことを語っていた私自身、己のことが見えていなかったようです。
自分のことを理解してるつもりでも、その実、できていないのが世の常なのでしょうね。
特に、至らないことなどは、自分自身より人様の方がよく見えているものです。自分を客観的に見るなんて、実は不可能なのかもしれません。自分だけは大丈夫と思ってしまうのが人間ですから。
自分の悪いところを探し悩んでいるのなら、人様に聞いてみるのが、一番の近道かもしれませんよ。オブラートで窒息する恐れもありますけれど。
意識が途切れる最後の瞬間に、ようやく、とっておきの愛の言葉が頭に浮かびました。
その言葉は、私にしか思い付けないような、いかにも私らしい言葉で、自分で微笑んでしまうほど、可愛らしく素敵な言葉でした。
だけど私はそれを口にはできず、ただ上手い言葉が見つかったというような、薄笑いを浮かべて、息絶えました。
恋する聖子ちゃん 倉井さとり @sasugari
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます