第3話 夢の中

 悲痛の叫び声がこだまする。


「白井さん! 白井さん! 『@#』は助かるんですよね!?」

 (――なに?)

 

「発見が遅かったのでなんとも……」

 白井と呼ばれた人物は答えた。白い服を着ている。

「しかも、ひき逃げと来てますから……」

「ひき逃げは関係ない! 『@#』は無実なんです!」女性が慟哭どうこくに似た金切声をプラスして訴えかける。

「だっておかしいでしょ! 『@#』はただボールを拾おうとして、校門から出ただけなんです。それだけなのに……どうしてこんなにもひどい仕打ちをして、見殺しにできるんですか!」

「監視カメラにはちゃんと写ってます。でナンバーもはっきり……ですから、時間の問題ですよ。ですが……」

 医師は幼い彼女に一瞥いちべつを送った。こちらも時間の問題でしょう――そんなことは言えるはずもなく、

「聞こえますかー!」

「『@#』ーー!」

 ここで彼女の耳が、ある言葉を捉えた。どうやら『@#』は寝ている彼女の名前であるらしい。


 (――自分の名前?)

 メイは薄眼を開けた。ヒステリック気味の女性が反応する。

「メイ!」

 目の前の視界が高速で変化していた。

 シックな天井。白い壁。右側には窓が、左側にはいくつものドア――それらが上から下へと流れ落ちていく。窓の向こう側に張り付く、沈みゆく夕陽で時間帯が分かる。

「門……限、だ」

「――っメイ!」


 不思議な夢だと感じた。夢の中で夢と感じる……不思議だった。

 ここはどこだろう。廊下? ちがう……学校じゃないし、近くの市営プールでもない。ましてや学校裏の秘密基地でもない。それにツンとする……注射の時ような、嫌な匂いもする。――嫌だ。

 このままだと痛いことをされてしまう、そんな予感がした。動くベッド――がたがたと揺れる担架だとは、彼女は気づかない――に載せられて、どこか見知らぬ部屋へと連れてかれる……! そして――、

 (そんなのは、イヤダ!)


「メイ……お願い、死なないで……」


 彼女にとって、『死』という概念は難解すぎた。上手く状況が読み込めず、え?――となる。

 そのままでいると別の人の声が聞こえた。大口を開けて怒鳴り散らしているのは……と、少し注意深く眺めた。

「メイ! しっかりしなさい! メイ!」

 ――あれは、お父さん? 

 ということは、今までの声はお母さんだと判った。しかし、疑問が次々に浮かんでくる。

 ――どうして怒ってるの?

 ――どうして泣いてるの?

 ――どうして二人はここにいるの? ここはどこ?

 ――どうして? ねぇ、どうして――?


 子供のように泣くばかりで、二人は答えてくれなかった。まだ浮かんでくる。


 ――どうしてあたしの名前を呼ぶの?

 答えてくれなかった。

 ――なぁんだ。いつもみたいに答えてくれないんだ。なら知ーらない。

 そっぽを向かれたのでメイは不貞腐れた。それに、もう見たくないと思ったからだ。メイの両親の顔は普通を逸している。

 両頬を赤くして幾筋も滴った跡。今も一筋生み出された。

「メイ!」

 うるさい。

「しっかりして!」

 しっかりしてるって。

「返事してよ!!」

 返事? はいはい――って。


 その頃になって初めて口が動かないことに気が付いた。

 そういえば、口の中が変な感じになっている。まるで口内炎ができた時のようにざらざらとした舌触りで、歯があるところをなぞると特に変な味がする。痛みはなかったが、まるで歯を抜いたあとのような、そんな味が。


 ――どうして?

 そんな時、頭の中からこんな声が聞こえた。

(……こっちへおいで)


 声のする方へ薄目を向ける。焦点があっておらず、暫くぼやけていたが、徐々に視界が復帰してきた。血相を変えた般若の2人、それぞれの頭の上で休んでいた。

 彼女をのぞき込み、担架と追走している中で、そこだけ時間が止まっているような錯覚を受ける。風を受け、暴れる髪に張り付いて器用に止まって見おろしている2匹の蝶、発信源はそこからのようだ。


(……こっちへおいでよ)

(……遊ぼうよ、休憩はもう終わりだよ)

「メイ! しっかりして! もう少しの辛抱よ!」

 両親の声かけもむなしく、彼女の耳は限界だ。音量は小さくなりつつある。むしろ穏やかな声質で囁いてくれる妖精の方が、はっきりと聞こえる。

(……ねえ、メイちゃん。怒りんぼの大人より、こっちの方が楽しいよ?)

(さっきの続きをしようか。何だっけ……そうだ『しりとり』。『しりとり』をやろうよ)

 ――うん、そうだね。次は勝つんだから!


 そう思った彼女は、口元を歪め、笑った。最後の動作を見送った男女は彼女に抱き着く。動くベッドが壁に激突し、休んでいた蝶が離れた。ぱたぱたと連れ添っていって、仲良く窓から逃げた。

(そういえば、ボールはどこにあるかな?)

(ボール? ボールならちゃんと握ってるじゃないか)

(ほんとだ! よかったー。これで遊べるね)

(いっぱい遊べるね)

(そう、いっぱい――)


 彼女はもう動かないことに、男女は気づきたくなかった。

 楽しそうな『こえのする方へ』意識を飛ばした反動であるかのように、身を切るような叫びと感情が入り乱れる――。

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こえのする方へ ライ月 @laiduki_13475

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