第2話 秘密の隠れ家でしりとり

「――あった!」

 ボールはすぐに見つかった。赤い車のすぐ下にあったため、暗くて見つからなかったのだ。

「ありがとう。ちょうちょさん!」

 ズボンを叩き、ほこりを落とす。振り返ってお礼を言った。

 ひらひらと羽ばたき、どちらか一方がいった。

「ちょうちょじゃないよ」

「――ちょうちょじゃない……?」


 幼い彼女はボールを握りしめてじーっと蝶を見据えた。2枚の立派な羽根にピンと伸ばした2本の触角。口元には蜜を吸うためのストロー状の管が見られた。どっからどうみても、ちょうちょにしか見えなかった。

 そうとは知らず、ぱたぱたと浮遊してある方向へ飛んでいく。裏山の奥だった。彼女の心がくすぐった。

「おいで」

「おいで、秘密の隠れ家に案内してあげるよ」

 とうとう彼女の内に秘める、子供特有の好奇心には勝てなかった。

「じゃあ、ちょっとだけなら……」といいながら、速足気味で奥に進んでいった。

 徐々に道が登り調子になってきた。急斜面でありながら本当に獣道のようで、メイの身長以上の高さを超えるススキやクマザサが所狭しと生息していた。蝶たちはらくらく避けている一方、小学生の彼女は苦心した。一歩ずつ歩くたびに露出した肌に突き刺さっては悲鳴を上げる。もう引き返そうかな、と思った直後――だいたい5分ほど――、先ほどまでいた砂利だらけの駐車場のような広さがある拓けた場所に着いた。

 夏休みになると宿題をほっぽり出して、虫採取にのみ専心するメイでも知らない、秘密の場所だった。


「ここは?」

 メイが尋ね、蝶が答える。

「ここは秘密の隠れ場さ」

「秘密の隠れ家?」


 メイは周囲を見回した。ぽっかり空いた部分を覗くと、学校が見える。反対側を向くと昇ってきた道同様、薄暗い森林浴が堪能できる。

 素直に感心した。こんな場所があるなんて。

 少し高台になっている、見晴らしの良い場所だと感じた。


「さて、なにする?」

「なにしようか」

 蝶がオウム返しする。彼女が割り込み、蝶が答えた。

「ここで遊ぶのさ」

「毎日?」

「そう、毎日」


 飛び疲れただろうか、二匹の蝶は寄り添うようにメイに近づいてきた。一方は左手の手の甲へ、もう一方は右肩に止まった。

 改めてまじまじと見る。一体この蝶たちは何の種類なのだろうか? 理科の授業でも、ずいぶん前に買った虫図鑑でも思いつかない。赤い羽根に緑と黄色が混じった色合い……葉脈のように黒の筋が美しく入っている。それが2匹……オスとメスなのかもしれない。もしそうなのであれば、これは未知の蝶、――新種かもしれない。


「あ! しりとりがあるよ!」

 期待が膨らんだメイが提案する。疑問を呈する。

「『しりとり』?」

「『しりとり』ってなに?」


 ゆっくり回遊する蝶に、メイは得意げに頷いた。

「それはね、言葉でつなげる、とっても簡単な遊びだよ!」



 どれくらい続けただろう。しりとりゲームのルールをひと通り教えると、妖精と彼女による言葉の連鎖は絶え間なく続いた。

 しりとり、りんご、ごりら、らっぱ、ぱせり、りんす、すいか、かいぞく、くらげ、げーむ、むかで、でんわ、わしんとんでぃーしー……メイが知らない言葉が出てくると、蝶たちは教えてくれる。

 ――『わしんとんでぃーしー』って何?

 ――『わしんとんでぃーしー』はここから遠い国のことさ。

 ――へー。


 終わることの知らない無限の時間。やがてメイが、

「にんげん――あ!」

「『ん』がついたね」

「ついてしまったね」

 妖精が頭をつついた。照れくさそうに振り払う。そしてせがむ。


「もう一回!」

「もう一回? いいよ、やろうよ」

「でも、その前に休憩かな?」

「休憩? たしかに」

「えー? もう休憩?」

 メイが不服そうな声をだす。少し門限の心配をしてしまったのだ。まだ遊び足りないので、もっと、もっと! とぴょんぴょん跳ねる。

 それを見た一匹の蝶は慰めるように肩の上に止まっていった。


「焦らなくて大丈夫。時間はまだまだあるよ」

 飛んでいる蝶もまたいった。

「そう、時間はたっぷりあるからね」

「ほんとに?」

「本当さ」

「ほんとーに?」

「本当だよ。楽しい時間ほど、進むのが遅くなるんだよ」

「そーかなー」


 メイは顎に手を添えて考えてみる。勉強の時間のほうが遅く感じるけどなぁ、と。


「疑ってる?」

「疑ってるね。でも、あそこの時計を見てごらん?」

 蝶は八の字ダンスを踊るように、とある方角を差した。見覚えのある時計が見える。学校を見下ろすような地形であるここは、校庭が見えることをすっかり忘れていたのだった。


「何時何分?」

 校庭に目を光らせる細長い時計。あの針の形はと、メイは昨日の算数を思い出した。

「――1時45分!」

「そう、えらい」

「えらいね」

「でしょー。えへへ」

 宿題の成果が発揮された様子に達成感を覚える彼女。「はやくやりなさい」と、お母さんに怒られながらやった甲斐があった……。


「ここに来たのは1時30分……。だから、まだ15分しか経ってないんだ」

「ちなみにぼくたちは寝る時間」

「そう、お昼寝。午前中は蜜集めで忙しかったからね」

「えー!」

「少しだけ」

「少しだけだよ」

 蝶たちは近くで大輪を咲かせているオレンジの花に止まり、なんと横に寝そべった。とても気持ちよさそうに見え、単純にずるいと思った。

「――じゃあ、あたしも寝るー!」

 その花から2mほど離れた、あたたかくてふかふかの草を見つけると同時に飛びこむ。目を閉じた。意外と疲れていたようで、一気にだるけが覆いかぶさり、彼女の体は微動として動かなくなった。


 そして、彼女は不思議な夢の中へ……。

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