カーナビの誘いは

天野秀作

第1話 指 輪

 私には親友以上恋人未満のある女性の友人がいる。名前を七菜、通称ナナちゃんと言う。なかなかの美人だが、ちょっとわがままでお酒が大好き。 


 それは以前、私が酔っぱらったナナちゃんを車で自宅まで送っていた時のことだ。

「アマさん、ごめんな」

「いや、ええけど……」

「帰りな。悪いけど電車で」

「ああ、わかってるよ。泊めてとか言わへん」

「ほんまごめん」


 ナナちゃんはその日、友人のパーティに呼ばれて市内まで出て来たが、先週、中古車を買ったばかりでどうしても乗りたかったらしい。だから電車ではなく車で出て来ていた。

 飲まないでおこうと思ったらしいが、元々酒好きのナナちゃんのこと。やはりその誘惑には勝てなかった。最悪、代行運転を呼ぶつもりだったらしいが、会場は、たまたま私の職場の近くだった。


「悪いけど送ってくれへん?」と電話で聞いた時、しこたま飲んで電車で帰れなくなったとばかり思っていた。

「わかった、車でそっちまで行くわ」と言うと「いや、悪いけど電車で来てほしい」と言う。

 パーティにまさか車で来ていたとは! 私の思考の斜め上を行く。しかも明日どうしても車が必要なので、と運転代行を頼まれてしまった。頼む方もあつかましいが、わかったと言う私もどうかしている。まあ、ちょっとは何かを期待してしまうのは男の性だが、ことナナちゃんに関して言うなら、まるで家族の様に思っていたので、まったくそんな気はない、いやちょっとはあったかも……。


「普通やったら、泊めるやろ。家、どこや思てんねん。高槻やで。帰り、ほぼ終電や」

 事情を知った私は憤慨している風に見せる。

「いや、うち狭いし。子供らもおるしな」

「いやいやいやいや」

「あ、もしかしてアマさん、あたしとしたいのん?」

「アホ! ないわ。お前、だいぶ酔っぱらってるな」

 ナナちゃんは、にこっと微笑んで倒れ込むように助手席に身を委ねた。

 そんなこんなで私は車に乗り込んだ。車はFIAT500、チンクエチェントだった。ナナちゃんがずっと欲しいと前々から言っていた車だ。その夢が叶ったのだ。ナナちゃんが運転したかったのもちょっとわかる。

 さてカーナビを入力しようとナナちゃんを見れば、なんとすでに寝ている。早っ! どれだけ飲んだのか。シートベルトもしていない。運転席からナナちゃん側のシートベルトに手を伸ばそうとした時、ナナちゃんの寝息が首筋にかかる。酒臭さと香水の混じった匂いがする。なんてやわらかそうな口唇だろう。アカンアカン! 私は何度も首を振った。

 

 さて困った。住所がわからない。ふと画面を見る。ありました。

「自宅へ戻る」これでナナちゃんを無理に起こさなくても大丈夫。そう思い、私はナビに従って車をスタートさせた。

「阪神高速、名神高速を通るルートです。走行中は交通法規に従って運転してください」

 聞き慣れた音声ガイドが流れた。私も地理には疎い方ではないので大まかなところまでなら自力でも行けるが、家までの細かい道は知らない。

 とりあえずもしわからなくなったら起こそうと思っていたが、どうやら自宅を登録していたようで良かった。


 阪神から名神に入り、京都方面を目指す。たぶん高槻ICで下車だろうと思っていた。

 しかし、吹田を越え、茨木を越えてもナビは何も言わない。いよいよ高槻インターが迫る。でも何も言わない。あれ、おかしい。私はナビの画面をさわるが、当然運転中には操作できない。

 あっという間に高槻を過ぎ、大山崎が近付いた時、ようやくナビが指示を出した。  

「ええ、それおかしくないか?」私は一人で呟く。でも戻るなら早い方がいい。このままだと京都まで行ってしまう。

 そして結局降りたところは長岡京だった。


「あれ、どこ、ここ?」

 ようやく助手席のナナちゃんが目を覚ます。

「自宅へ戻るにしたら、こんなところへ」

「ええ、あたし、自宅なんかまだ登録してないで」

「あ、ほんならこれ、前の持ち主の家か」

「なんでそんなもん残ってるの? 消してないの?」

「中古車はけっこうそれあるみたいよ」

「こわ、あたし、もしこの車手放すとき、絶対消そ」

「さあ、家に帰ろか。住所教えて」 

「うん、あ、ちょっと待って」

 そう言うとナナちゃんは一瞬目を閉じ、そして次にダッシュボードを開けて中をまさぐり出した。

「どした?」

「アマさん、この車、あたしら以外に、もう一人乗ってはるわ」

「え?」

「ほらこれ」

 そう言ってナナちゃんはダッシュボードの奥から何かを取り出して見せる。

「指輪?」

「うん。これを返しに行くよ」

「どういうこと?」

「せやから、これをその自宅まで届けなあかんねん」

「いや、そんな酔っ払いに言われてもなあ。行ってもいいけど不審者やでこんな夜中に」

「ええから、行くの」 


 そして私はカーナビに従ってその「自宅」へと再びハンドルを切った。

 30分も走った頃、あたりはすっかり山の中の様子を呈して来た。道はどんどん狭くなり、車一台が通るのがやっとだった。そして不安になり始めた頃、「まもなく目的地周辺です。案内を終了します。お疲れ様でした」との音声が流れてぷっつりとナビは途絶えた。

 灯りのともった一軒の民家の前で車は止まる。玄関前にはしきびが立てられていた。

「お葬式?」

「ああ、お通夜みたいやな」

 

 ――ありがとうございます  


 と、その時、私にもはっきりと女性の声が聞こえた。 

 するとすぐ、家の中から喪服姿の男性が出て来た。こちらに向かって駆け足で近寄って来る。

 その時、ナナちゃんが車を降りて、その人に先ほどの指輪を差し出した。男性は驚いたようにこの車と指輪を見ていた。

「いや、ほんま、わたしらこんなかっこうやし、遠慮します」

 ナナちゃんの声が聞える。たぶん中へ入るように誘われているのだろう。

 しばらくナナちゃんがその男性と話をしていたが、やがて車に戻って来た。

 私も運転席から軽く会釈する。

 「何の話してたん? ずいぶん長いこと」

 

 ナナちゃんの話を要約すると次の通りだ。

 この車の前の持ち主は、この家の奥さんだったが、ある時、重い難病に罹って入院することになり、車を手放したらしい。その時、たまたま結婚指輪をこの車のダッシュボードに入れていて忘れてしまった。気付いた時にはすでに車を売った後で、取り戻すことができなかった。その後、病状が悪化して、昨日、奥さんは亡くなってしまい、そして今夜がお通夜。あの男性は奥さんの旦那さんで、奥さんが指輪を無くしたことをずっと悔やんでいたとおっしゃった。


「旦那さんのところへ帰りたかったんやな。あの指輪」

「まあそうやねんけど……」

「よかったやん」

「なんでダッシュボードに指輪があったか知ってる?」

 ナナちゃんは真顔で問いかける。

「いや。わからへん。中古車屋が掃除ちゃんとしてなかったから」

「天然やな。そう言うことと違う。あのな、妻が、結婚指輪を外すってどういうことか考えて」

「それってもしかして?」

「そう。せやからあの奥さんな、たった一回、しかも学生の頃にずっと付き合ってた人で、病気になったこと、もう会われへんことを報告に行きはったんや。せやけど、ずっとずっと自分を責めてはった」

「それ、旦那さんは」

「そんなん知らん方が幸せやで。ただ、指輪をなくさはったこと、奥さんが酷く悔やんでたから、それがようやく戻った、それでええんちゃう?」

「なるほど……」

 すっかり酔いも醒めたナナちゃんは、泣きながらにっこり笑った。


「さあ、帰ろ。すっかり遅なってしもた。子供らもう寝てるかな」

「だいぶ遠回りしたな……あっ」

「どうしたん?」

「終電、ない」

「しゃあないなあ、ソファーやで」

「…………」

                       

                             了 

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