水際の過ち

@yuichi_takano

水際の過ち

 今日は、いつにも増して嫌な予感がしていた。だがそれでも、俺の任務は遅らせることはできない。これは一刻を争うものなのだから。そう、この「水質調査」には人類の存続がかかっているのだ。




「3人とも知ってるとは思うが、人類は突如、水に触れられなくなった。いや、触れること自体はできるが、たちまち大火傷してしまう。これは、遺伝子異常によるものなのだが、その遺伝子異常は全世界的に同時発生した。その結果、現代では『ろ過』された水でないと、人は扱えなくなってしまった。だが『ろ過』するためには、多大なエネルギーと時間が必要となってくる。そこで、君たちには『水質調査』と称して、自然界に存在する、人間が触れられる水を探してもらっているという訳だ。いやなに、『ろ過』といっても、理論上は自然界の作用のみで可能だから、君らの任務は無駄ではないよ。むしろ、この任務が成功しない限り、人類に明日はない。頼んだぞ」

 司令官からの新人に向けた前口上が終わり、詳細な作戦説明が行われる。いつもならば二人一組two man cellで出動する任務なのだが、後進の育成ということで、今回ばかりは3人で当たることとなった。

「———以上で任務の説明は終わるが、何か聞いておきたいことはあるか」

 司令官がこちらを見渡す。「延期にしよう」、そう言いたかった。だが、「嫌な予感がするから」という理由だけでは言い出せない。どうなのだろう、相棒のデイヴも同じ予感を感じているだろうか。

「まぁ新人も連れているということで不安かもしれないが、ジャック、デイヴ、君ら二人なら問題ないと信じているよ。では、幸運を祈る」

 司令官がいつもとは異なる労いを口にした。デイヴが同じような表情をしていることを理解し、俺は少しの安堵を覚えた。




 ピリついた空気を携えながら、俺たちは出動準備を始める。

「おい、新人、防護服はちゃんと着られたか。隙間なんかがないように気をつけろよ」

 強く言いすぎたのだろう、新人が萎縮してしまった。それを見かねて、デイヴが場を和ませてくれる。

「ジャックに怒鳴られて冷や汗かきすぎるなよ、新人。汗だって一応、火傷するんだからな。そんなんで任務失敗、なんてことになったら、一生笑い物になるだけじゃ済まないぜ」

 新人は愛想笑いをする余裕もない、という感じでそそくさと準備を続けた。

 俺とデイヴは入念にチェックを重ねる。今回向かうのは、洞窟の最奥部。こんな時代だが、特にモンスターが出たりはしない。もちろん野生動物がいたりはするが、こちらが注意していれば襲われたりすることもないだろう。そのためこの任務に当たる者の装備は、登山に使うような小道具類と重厚な防具という、奇怪なものとなっている。

 戦争が科学を発展させるのと同じように、モンスターとの争いなくして人類の技術力は発展しないらしい。謎のエイリアンなどが登場しないこの世界では、「重厚な装備」と言っても、ビニールの層にアーマーの層をただ取り付けたものに過ぎない。ヒーローの変身シーンのような、装備転送システムなども存在しないから、新人にとっては着装自体が関門となってしまう。

 だからこそ、ちゃんと確認すべきだった。新人がしっかりと防具を装備できているかを。




「せっかく新人の門出だってのに、雨なのかよ。あんた、この仕事やめておいた方が良いかもな」

 デイヴは冗談めかして言っているが、今の世の中で「記念日に雨が降る」というのは死の前兆とまで言われる。確かに他の任務に当たることを、真剣に考えた方が良いのかもしれない。

 そんなことが頭をよぎり、俺はフォローを入れるタイミングを逃してしまった。新人が黙りこくってしまい、車内に気まずい空気が流れる。

 俺の運転するこの車は今、高速道路を走っている。だが地上に人が住まなくなった現代では、高速道路ですら自然に飲まれ、静寂しか存在しない。

 沈黙の原因を作ったデイヴは、辛抱ならなくなったのか音楽をかけた。俺たちが生まれるよりも前の、誰が作ったのかも分からない曲。音楽という文化は廃れてしまった、という訳ではなく、ただデイヴが選んだというだけだ。彼いわく「『ザ・終末の世界』って中を走ってるんだから、知ってる曲じゃ締まりがない」ということらしい。俺からすれば、音楽がかかっていない方が良いのだが。




「おい、デイヴ、着いたぞ。起きろ、任務開始だ」

 助手席で眠りこけているデイヴを起こす。こいつはいつもこうだ。音楽をかけておいて、いつの間にか寝ている。これで、任務中ですら寝ぼけた活躍しかしないようであれば、俺はデイヴとバディは組んでいなかっただろう。

 だが、俺は今ここにいて、デイヴが隣にいる。そんなことを考えていると、今日も無事に遂行できるような気がしてきた。

「では、これより、本日の任務を開始する」

 本部に連絡を入れ、俺たちは洞穴へと歩を進める。




 穴の中は、とても単純な作りとなっていた。緩い下り坂が続くのみ。多少は歩きにくい場所もあったが、道具を使うほどの段差などはない。分かれ道もなく、野生動物もいなかった。

 デイヴを先頭に、俺、新人の順で探索をしていたのだが、これほどまでに起伏のない道だと、新人に気を遣うことを忘れてしまっていた。

 もちろん、後ろを着いてきていることくらいは確認していた。だが、俺たちは、気が付かなかった、新人がふらついていることに。




 奥へ奥へと歩んで行くと、かすかに水の音がし始めた。そのまま進むと、さらに音は大きくなる。突如、空間が開け、俺たちは目的地に到着した。

 池。地下水が溜まってできたそれは、何度か見たことがあるが、いつ目の前にしても神秘的だ。

「よし、着いたな。ジャック、サンプル回収を始めよう」

 デイヴが回収器具を展開し、俺は本部に到着の連絡を入れようとした。

 すると、俺たち二人の横を何かが通過する。動物でも、敵性勢力でもない、それは、新人だった。

 そのまま新人は、池の中に突っ込み、防護服を脱ぎ始める。

 俺たちは一瞬戸惑ったが、すぐに理解した。「脱水症状」だ。

 今では水を口から直接摂取することはできない。そのため俺たちのような調査員は、防護服内の点滴から水分を取り込む。きっとそれが上手く装着できていなかったのだ。

「おい、ジャック!」

「分かってる!まずはあいつを岸にあげるぞ!」

 急いで水の中に飛び込む。耳にしたことのない轟音が鳴り響く。これは、新人の叫び声か。大火傷を負っているに違いない。

 痛みに暴れる新人を無理やり抑え込み、池のほとりへと引きずり上げた。岸辺に新人を横たえると、既に気を失ってしまっていた。

「お、おい、どうすれば良いんだ。このままじゃ、こいつ、死んじまう」

「落ち着け、デイヴ。まずは『脱水症状』の回復からだ。点滴が足りなければ、俺たちのを分けることになる。準備しといてくれ」

 デイヴは任務ではとても優秀だ。優秀だからこそ、このようなイレギュラーには遭遇しない。そして、こうした場面で、焦ってしまう。

「やっぱりな、ちゃんと装着できずに漏れ出してる。デイヴ、すまないが、お前の分を———」

 そう言って振り返ると、デイヴはただ棒立ちしていた。パニック状態になって、何をすべきか判断が付かなくなっているのだろう。

「あ、あぁ、待ってろ、今準備するから」

 デイヴはそう言うが、恐らく俺が準備した方が早いだろう。俺も防護服を脱ぎ始めた、のだが、その瞬間、デイヴが、「あっ」と声をあげた。

 転がり落ちる、金のペンダント。デイヴが、手で弾き、水の中に。デイヴの妹の形見が、水底へと沈んでいく。

 デイヴは防護服を脱いでいることも忘れて、池に飛び込んだ。

 響く叫び声。俺は、俺は、どうすれば良い。

 デイヴが私物を持ち込まなければ、こんなことにはなっていなかった。新人が防護服を正しく着装していれば、そもそもこれは起きなかった。司令官が俺らの異変に気がついていれば、こんな結末には陥らなかった。

 だが。だが、それでも、俺は、デイヴを助けたい、新人を守りたい。

 意を決して、水中へと飛び込む。

 熱い。いや、痛みが強すぎて、それ以外の感覚を感じない。それでも、泳ぎ続けた。大火傷で動けなくなったデイヴを掴み、Uターンして陸地へと向かう。

 痛い。痛い。痛い。

 少しでも気を抜けば、意識が飛んでしまいそうだ。

 だが、ここで気を失ってしまったら、デイヴはどうなる?新人はどうなる?

 ダメだ!ダメだ!

 俺は、俺は、絶対にこいつらを守ってみせる!

 泳ぎながら、過去の記憶がフラッシュバックする。これは、走馬灯だろうか?

 いいや、ここで終わらせたりしない。絶対に生還してみせる!

 死にものぐるいで陸地まで辿り着き、俺は一つ、雄叫びをあげた。




 そこまでが俺の中に残っている正確な記憶。その後のことはあまり良く覚えていない。

 無線越しに叫び声が聞こえていたようで、本部が救助を向かわせてくれたらしい。その救助隊員によると、「デイヴと新人を抱えて洞窟から出てきたかと思ったら、急にバッタリと倒れた」とのことらしい。

 なんにせよ、俺たちは今でも生きている。

 新人は無事に快復し、自らが防護服の装着に失敗した経験から、防護服の発展に向けて研究をしている。たまにお礼をしにきてくれるが、その度に、成長したなと思う。

 デイヴは足に重傷を負ってしまい、現地には出られなくなってしまった。そのため療養をしながら、司令官を務めている。この一件で、イレギュラーへの対応訓練に一層、力をいれているらしい。

 今日はそのデイヴのお見舞いに来た。

 秘書かつ看護師の方に部屋へ案内される。ベッドで上体を起こしたデイヴが、「おう、久しぶり」といつも通りに出迎えてくれた。胸元には金のペンダント。妹さんの形見であるそれは、あの時デイヴが自らの手で勝ち取っていた。

「久しぶりだな、どうだ、仕事には慣れたか」

「まぁ、ぼちぼち、ってところかねぇ。だけど、自分が直接いけないってのは、まだ歯痒いな」

 布団の下に隠れた、火傷で動かない足を見つめ、どこか悲しげに笑う。

「そうか。でも、今の仕事でも大活躍らしいじゃないか」

 俺は励ましにもならない言葉をかけた。

「そうかい?いやぁ、相棒に言われると嬉しいね」

 今度は、悲しみのかけらの一切ない笑顔を浮かべた。相変わらずこいつは調子が良い。でも、実際に今の任務でも優秀だから、それで良いのだろう。

『ピリリリリリ…』

 俺の左手首からコール音が鳴る。

「すまない、本部からの呼び出しだ。今日はこれで失礼するよ」

「そうか、がんばれよ。今度はお前の話を聞かせてくれよ。な、鬼教官」

 俺は部屋を後にした。

 そう、俺はといえば、今もまだ現場で任務をこなしている。主に新人の教育。全身に火傷を負い、まるで鬼のようだ、と言われている(「鬼」と呼ばれるのは、見た目のせいだけではないようだが)。

 俺の遺伝子には、わずかだが、水に対する耐性ができるようなコードが含まれていたらしい。そのおかげで、鬼のような様相になりながらも、動き回っていられる。それが幸か不幸かは分からない。

 だが、それでも、人類にとっては良い知らせだったろう。俺の遺伝子が研究され、元のように水が飲めるようになるまで、俺は「水質調査」を続けるつもりだ。

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