ヒトフリ
無名
ヒトフリ
私には確固たる自分というものがない。
昨日までの自分が誰だったのか、正直わからない。でも、私がここにこうして生きているということは確固たる事実である。
「でさー、やっぱナツって高田先輩とデキてるらしいよ!」
下校の途中、ファストフード店でクラスメートとの雑談。みんなは色恋話を好んだ。私にはどうでもいい内容ばかりだった。
「へえ、意外と言えばそうだけど、なくはない感じだよね」
だからこうして、どうとでも受け取れる言葉を吐いては相手に解釈を丸投げしていた。
「だよねー! ナツってどっちかっていうと年下が好きなんだと思ってたなぁ」
「ははは、そうだね」
早く終わってくれ。
眠りに落ちる前。それが私という存在を最も濃厚に自覚できる時間だ。
目を閉じ、今に至るまでの時間を顧みる。
嗚呼、なんて希薄なんだろう。
私という人間には誇れるものや幸福の一片すらなかった。
この気持ちは憂鬱としか呼びようがない。憂鬱は死を呼び寄せる。けれど、私は死にたいわけではない。消えたいのだ。この世界に痕跡をひとつたりとも残さず消え去りたいのだ。
頼んだわけでもないのに私を生んだ親。憎しみすら覚える。勝手に生んでおいて、大人になったらひとりで生きろと責任を放棄するのだろう。
自分を自分と疑わず、生きていることを自然のものと自覚できる周囲の人間。些細なことにも幸せを得られる感覚を持つ人間。妬ましく思える。私だってそうやって生きてみたい。
消えたい。消えたい。誰でもいいから私を消し去ってくれ。
消えたい。消えたい。消えたい。消えたい。
「おはよう、ご飯冷めないうちに食べちゃいなさい」
「うん」
新しい朝がきた。来ないことを切望した朝だ。
「おはー! ねえ、数学の宿題やってきた?」
「あ、忘れてた」
いつもの学校。妬ましさの集合体だ。
「ナツ、もう先輩としちゃったらしいよ!」
「ええ、早いね」
みんなが好きな色恋話。私にとっては興味のない話。
「じゃあ、また明日ね! ばいばーい!」
「じゃあね」
「……今日もちゃんと生きたね」
「うん」
「えらいね」
「ありがとう」
明日も私は、人のフリをする。
ヒトフリ 無名 @kei304
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