第12話

 リィシアは体幹がぶれて、後ろに倒れる。王弟がすかさず手を伸ばすが、共倒れして庭に転がった。

「怪我はないか!」

「それは、真っ先に私がお訊きしなくてはならないことです!」

 リィシアに怪我はない。王弟も無傷のようだ。

 王弟は寝転がったまま四肢を伸ばし、気持ちよさそうに息を吸う。全身を使い、雨を感じる。

「それでも僕は、きみを選びたい。すぐでなくて良い。殴られたって構わない。いや、むしろ殴ってくれ。目がしっかり見えない分、殴られてきみを感じたい。好きなだけ殴ってくれ!」

 雨の中寝転がったまま芯のある声で自信満々に言い切る王弟は、真剣そのものだ。しかし、どこかおかしくて、リィシアは吹き出してしまった。誤るより早く、笑いがこみ上げる。自制が効かず、笑い続ける。

 喋れないほど笑ったのは、いつ以来だろう。腹の底から笑って、鍛錬でもないのに腹筋が崩壊しそうだ。

「どうした、きみ」

 王弟が慌てる。リィシアは首を横に振った。雨に濡れた頬を拭い、気づく。冷たい雨ではない、温かい自分の涙で頬が濡れていることに。彼のせいだ。彼があまりにも明るくて、真剣で、天然だから。

「えっと、リンハン嬢……いや、えっと」

 王弟は、名を呼ぼうとして、名を知らぬことに気づいたらしい。

 リィシアです、と口が滑りそうになり、我慢した。

 もうじき、雨期が終わる。

 互いの名を明かすのは、きっとまだ先のことだ。



 【「不泣姫は絹雨に咲う」完】

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

不泣姫は絹雨に咲う 紺藤 香純 @21109123

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ