防災訓練

「この後防災訓練があるから、皆、このまま席に着いててね」と担任が、朝のHRホームルームの時間に言ったことで、

「あ、そういえば今日か」と、二ノ宮サヨリは思い出した。

「忘れてたでしょう」

 隣の席から、一ノ瀬エマが悪戯っぽく訊く。気の利いたジョークが思いつかなかったので、サヨリは素直に頷いた。

 間も無くして、チャイムが鳴ると共に、放送が流れる。これは、壁に止まった小さな虫ナノマシンたちが鳴らしているものだ。声は柔和な女性のもので、とても滑らかな発音だったけれど、恐らく機械音声だろう。

 説明内容は防災訓練について。曰く、

「災害発生シナリオより、地震を想定した訓練を開始します。緊急地震速報の音と共に、震度五弱程度の揺れが起きます。ホログラムによって視覚が揺れますので、酔う場合には、視覚効果を切ってください。その後、理科室にて火災が発生し、煙が蔓延します。避難経路は見通しが悪くなるため、ナノマシンの指示に従い、気をつけて、速やかに対応してください」

 それでは防災訓練を始めます。

 この言葉より、部屋中から──いや、この校舎全体からなのだろう──緊急地震速報が鳴り響いた。程なくして視界が大きく上下する。

「ほら皆、机の下に隠れて」と担任の声。

 サヨリたちは言われた通り、机の下に身を潜めた。振動は大きい。だが物が落ちたり、崩れたりするような気配はなかった。そう、すべてはホログラムによる、視覚効果である。揺れて見えるのは、錯覚だ。でも、非常に現実的に思えてならない。

 見渡してみれば、生徒の一人は顔を青く染めている。無理もないことだとサヨリは思う。これだけ真に迫っていれば、かなり恐ろしい。その上、酔いそうにもなる。

 ふと何気なくエマの方を見てみれば、彼女はにまにまと笑っていた。否、この場合、へらへらと表現すべきだろう──サヨリは心の中でそう呟く。

 揺れが収まると、今度は火災報知器が鳴り出した。放送がかかり、理科室にて火災が起きたとの旨が説明される。たちまち廊下は煙で充満し、教室内にも入り込み始めた。やがて目の前が白一色になる。

 これらが蚊柱ナノマシンなのだと思うとぞっとするな、とサヨリは思った。とは言え、体内にも虫は走っているのだけど。

 それにしても何も見えない。

 そんな中、耳に一匹の羽虫ナノマシンが取り憑いた。

「これから避難経路をご案内します」と、落ち着いた声色の男声が耳に入る。「ハンカチで口元を押さえながら、机から出てください」

 サヨリは指示の通りに動く。まるで映画で体験した光景が目の前にあるようだ、と感じた。あれはテロを想定したモキュメンタリーであったか。画面を注視することで、キャラクターの動きを指示し、次の展開を選ぶのである。

 映画と異なるのは、選択する意思が自分にないことだ。何をどうすべきか、それはナノマシンが決める。まるで映画俳優にでもなったかのようだ。非常時の際、人は意思を排されて、単なる肉体だけになる──ということ。

 ナノマシンから、体勢を低く保ち、煙を吸わないようにし、列になって廊下を歩けとの指示があった。

「階段まで、あと一メートルです」と虫が呟く。

「この音声案内はね、元々は盲目の方のために作られた技術だったの」隣からエマ話したが、その姿は見えない。

「へえ」とサヨリ。「バリアフリー技術なのね」

「そ。災害時には、バリアフリー意識が役立つってわけ」

 階段を降りる頃になると、それきりエマは口を噤んだ。それにしても、とサヨリは思う。まるで自分は、プレイヤーに操られたゲームキャラクターみたいだ、と。エマと並んで校庭まで歩くと、再び列に並び、その場で屈んだ。

 訓練は滞りなく終わり、後は待機の時間。

 全校生徒が集まると、朝礼台に校長先生が立ち、長い長いお話となる。

 なんだか眠くなってきた。

 多分、背後に座るエマが、ひたすらに羊を数えているのも影響しているだろう。明らかに、こちらに聞こえるように囁いている。

 自分は暗示にかけられやすい性質たちなのかなと思いつつ、サヨリはそっと目蓋を閉じてみた。

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ニチジョウケイ 八田部壱乃介 @aka1chanchanko

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