なぜ恋をして来なかったんだろう?

@smile_cheese

なぜ恋をして来なかったんだろう?

どこか遠くの方から鐘の鳴る音が聞こえてくる。

藤吉夏鈴はその音を耳にしながら、街ゆく人たちの会話を盗み聞きしていた。


「くだらない」


夏鈴はかつて天使と呼ばれる存在だった。

しかし、面白半分で人間たちに関与しすぎてしまったため、神の怒りをかってしまい他の何人かの天使たちと一緒に人間界に墜とされてしまったのだ。

夏鈴はなんとか人間界に溶け込もうと、人間たちの行動や会話を観察する毎日を過ごしていたが、人間たちの低レベルな会話に嫌気がさしていた。


「どいつもこいつも、I love youって…盛りのついた猫みたい。愛だの恋だのそんなくだらないものに縛られて、なんのために生きているのかしら。体中が糸だらけじゃない」


夏鈴には人間同士の繋がりが糸という形で見える能力を持っていた。

その中には運命の赤い糸という愛し合う者たちを結びつける特別な糸も存在するが、夏鈴にとってはそれもまたくだらないものに見えた。

そもそも今の自分が置かれている状況は人間たちにに関わったからである。

それなのに浮かれて恋バナをしている人間たちを見ていると、沸々と怒りの感情が込み上げてくる。


「呪われればいいのに」


夏鈴は『呪い』という言葉を簡単に口にしてしまっている自分に気づきハッとした。

少しずつ人間らしい感情が芽生え始めていることが夏鈴にとっては余計に許せなかった。


翌朝、目覚めた夏鈴は体に起きた異変に驚愕した。

左手の小指に運命の赤い糸が結ばれていたのだ。

あれほど馬鹿にしてきた糸が自分に絡み付いている。

それはつまり、少しずつ嫌いな人間に近づきつつあるということ。

それは夏鈴にとってとても屈辱的なことだった。

夏鈴は赤い糸を無理やり引きちぎろうと試みたが、この糸は実体ではないため触れることすら叶わなかった。

しばらく頭を抱えていた夏鈴はある考えに辿り着いた。

この糸の先にある人間を殺してしまえば糸は勝手に消えるのではないか。

それは天使としても人間としても犯してはならない領域に足を踏み入れることになるのだが、夏鈴にはそんなこもはもうどうでもよかった。

夏鈴は赤い糸を辿って歩き続けた。

そして、隣街の広場までやって来たところで、一人の男性の小指へと行き着いたのだった。

その男性は帽子を深く被っているため、顔までは確認できなかった。

夏鈴は意を決して、その男性に声をかけることにした。

夏鈴の声に反応した男性は帽子を少し上にずらしてみせた。

その男性の顔を見た瞬間、夏鈴の心臓はこれまで経験したことのないくらい激しく鼓動し始めた。


一目惚れだった。


夏鈴はひどく動揺した。

頭の中は真っ白なのに、顔は真っ赤になっている。

自分から声をかけたのに、その場から逃げ出したかった。

しかし、どうやらその男性も同じような感覚に陥っているようだった。

男性もまた夏鈴に一目惚れしている様子だった。

けれど、何も不思議なことはない。

なぜなら、二人を結びつけたのは運命の赤い糸なのだから。

夏鈴の頭の中からはもう赤い糸を断ち切ろうという考えは消え去っていた。

そして、二人が恋人になるにはそう時間は掛からなかった。


なぜ恋をして来なかったんだろう?

藤吉夏鈴は自分自身に問いかける。

今日は彼氏とデートの約束をしている日だ。

浮き足だっていた夏鈴は、スキップをしながら待ち合わせの場所へと向かっていた。

そんな夏鈴の姿を見て、すれ違う人たちは馬鹿にした感じで嘲笑っていた。

しかし、今の夏鈴は何を言われても気にならない。

夏鈴は嘲笑う人間たちを見ても、忌み嫌うことなく微笑み返せるようになっていた。

幸せは敵を作らないのだ。

夏鈴は自分がまるでラブストーリードラマの主人公になったかのような気持ちだった。

そして、いつしか人間も悪くないかもなと思うようになっていた。


ところが、ラブストーリーというものは必ずしも上手くいくとは限らない。

待ち合わせ場所で彼氏を待ちながらお揃いのリングを眺めていた夏鈴の元に一人の少女が近づいてきた。


「久しぶりね、カリン」


「テン?」


テンと呼ばれた少女は夏鈴と同じく人間界に堕とされた天使だった。

神の許しが出たことで再び天上に帰ることができるという知らせを夏鈴に伝えにきたのだった。


「出発はいつなの?」


「明日だ」


夏鈴は帰ると即答できなかった。

それはこの世の何よりも大切な彼の存在があるからだ。

夏鈴の表情を見て、テンは何かを察した様子だった。


「明日また迎えにくる」


そう言うと、テンはその場から立ち去っていった。

数分後、夏鈴の運命の人である彼が待ち合わせ場所に現れた。

今日は『祝福の鐘』と呼ばれる観光名所にもなっている大きな鐘を見に行く約束をしていた。

二人はゆっくりと歩き始める。

しかし、夏鈴は一言も言葉を発しない。

テンと一緒に再び天上に戻るのか、それとも彼とこのまま人間として生きていくのか。

もちろんそんな夏鈴の異変に彼が気づかないわけがなかった。


「どうしたんだい?」


「ん?なんでもない」


「君は嘘が下手だね」


「嘘なんかじゃない。本当になんでもないから」


「ほら、やっぱり君は嘘が下手だ。君はまだ完全には人間になりきれていないんだよ」


「え?」


彼の言葉に夏鈴は驚いた。


「最初から気づいていたさ。君が人間ではないことくらい」


「あなたは…何者なの?」


「僕は悪魔だよ」


その言葉に夏鈴は絶句した。

彼は天使にとって一番関わってはいけない存在だった。

悪魔は人間たちの寿命を食らって生きている。

彼はさらに話を続けた。


「知っているかい?天使の寿命は人間よりも栄養があって美味いんだ」


そう言うと、彼はぺろりと舌舐めずりをしながら、ゆっくりと夏鈴に近づいた。

夏鈴は怖くなり、勢いよくその場から逃げ出した。


なぜ恋なんかしてしまったんだろう?

こんなにも辛い思いをするくらいなら、恋なんてしなければよかった。

やっぱり人間は理解できない生き物だった。

人間になんかなりたくない!

夏鈴は何度も自分にそう言い聞かせた。

そして、翌朝、夏鈴は迎えにやって来たテンと一緒に天上に変える決意をしたのだった。


「どうかしたのか?」


「なんでもない」


「嘘が下手ね」


「テンまでそんなこと言わないでよ」


「何があったの?」


「私ね、悪魔に会ったの」


「悪魔に?それは興味深いわね」


「危うく寿命を食べられるところだった」


「寿命を?そんなことあるわけないじゃない」


「本当なんだってば」


「だって、悪魔にとって天使の寿命は死に至るほどの毒なんだよ」


「え?そんなはずは…じゃあ、彼は一体なんのために食べるなんて嘘を」


「さあね。自分から遠ざけるためとか?」


その瞬間、夏鈴はハッとした。

彼は出会ったときから夏鈴が天使だと知っていた。

知っていながら彼は夏鈴に恋をしていたのだ。

そして、夏鈴とテンの会話を遠くで隠れて聞いていた彼は、自ら身を引くことを選択したのだった。

嘘をついて夏鈴を怖がらせたのは、最後くらい悪魔らしくお別れするためだったのだ。

そのことに気がついた夏鈴は涙を流した。


私、恋をして良かった。


「ねえ、聞いてもいい?」


「ん?」


「テンはさ、好きな人とかいないの?」


「は?いるわけないでしょ」


「そっか。出会えるといいね、運命の人と」


「どうしたの?あんたらしくない」


「これが本当の私なんだよ」


「変なの。けど、あんた良い顔して笑ってるよ」


どこか遠くの方から祝福の鐘の鳴る音が聞こえた気がした。

夏鈴は小指にはめていたリングを外すと、誰にも見られないようにそっと地上に投げ捨てた。

その小指に結ばれていた赤い糸は地上に向かって真っ直ぐ伸びていた。



完。

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