第3話

 王国の毀滅きめつは、その建立けんりつよりよっぽど壮観そうかんなものだった。

 四方しほう統治者とうちしゃが私の足元で言い争い、一言間違えば新しい戦争をもってこの戦争を終わらせることになる。

 そんな瀬戸際せとぎわに、一筋ひとすじの光がちょうど祭壇さいだんの上の折れたけんに照らしあたる。この光景こうけいを見かけた君主くんしゅたちが次々とひざを地につけ、私から言わなかった訓戒くんかいを聞き入れたみたいだ。

 君主たちが合意ごういした。かつての世界の中心を、誰一人のものではなく、全ての人のものにすると。

 私の永遠は、たされなかった。同じ場所で、大理石だいりせき祭壇さいだんが普通の台座に戻され、友誼ゆうぎあかしとしての庭園ていえんが私を中心に作られた。庭園の後ろ、神殿しんでん廃墟はいきょや王国の遺産いさん利用りようされ、世界一流の大学が建てられた。

 頭上ずじょう雨風あめかぜさえぎるドームが図書館の屋根に変化し、代わりに至高しこうではなくなった私に与えられたのは小ぎれいな東屋あずまやだった。

 私も大学の図書館に入って、何世紀も前のように英知えいちがいっぱい書かれてある巻物まきもの閲覧えつらんしたい。残念ながら、振り返りすらできない私にできることは、図書館がとうじる影を見てその蔵書ぞうしょの量は噂通うわさどおりに誇らしいと推測すいぞくすることだけだ。

 今の私は平和の象徴しょうちょうであるが、副業ふくぎょう智慧ちえ化身けしんつとめている。慈悲じひ知恵ちえの深い女神ニコールだ。

 私の後ろにある門をくぐるのは、全世界の天才しかに許されない特権とっけんだ。

 「放せ!離れろ!」

 一冊大きい本を強く抱きしめる幼い女の子は、つまみ上げられた子猫のように、司書ししょ後襟うしろえりをつかまれて持ち出された。

 この女の子が私の隣を通った覚えがない。どうやって大学に侵入しんにゅうしたのだろう。

 司書が力ずくでほこりっぽい本を取り返し、子供がお遊戯ゆうぎする場所じゃないと、女の子を怒鳴どなりつける。

 「お遊戯じゃない!本を返せ!」

 女の子は全く痛くも痒くもない拳で司書の膝を攻撃し続ける。

 「お前には読めるか」

 「読める!分かる!」

 「読めても入学試験にゅうがくしけん受かったからな」

 自分に押されて倒れた女の子に見向きもせず、司書が大学へ戻る。

 尻もちをついた女の子はふっくれ面でずっと上にある私の鼻先に指をさす。

 「女神ニコールの祝福があらんことを。私はいつかこの大学に受かって見せるのだ」

 これは、いささかも祈りに聞こえない。



 庭園、新月しんげつの夜。

 とげとげしい女の子がしとやかな少女になり、学生服のローブがよく似合っている。ほこりまみれの巨著を抱えて、彼女は私の前に立った。

 しおりがはさまれた頁を開いて、彼女は私がまだ話せる時に使っていた古い言語を読み上げた。

 それから、私と弁論べんろんを始める。

 私の後ろにある蔵書を私と共有しようとする彼女が一人目ひとりめだった。できれば、より新出しんしゅつの本を読み聞かされたい。

 残念ながら、弁論において引用いんようされる書名しょめいからみれば、新しい出版しゅっぱんされた冊子さっしや新聞は、彼女のお目にかなわないようだ。

 悠久ゆうきゅうともいえる論戦ろんせんがついに終わり、彼女は一方的いっぽうてき主張しゅちょう勝利しょうり宣言せんげんし、巨著きょちょを閉じた。巻き起こされたほこりのせいで、彼女がやまずにせき込む。

 とうとうせきを抑え込み、私の後ろに立つ大学を人差し指で指す。

 「あなたが知っている世のすべての智慧がそこにあるが」

 彼女が指先を自分の額に向き変える。

 「女神ニコールの祝福があらんことを。長くは待たせない。すべての知恵がここへうつさせる」



 庭園、満月の夜。

 もし私の計算通けいさんどおりだったら、明日は新しい卒業生たちが旅立つ日だ。

 でも、なぜあの幼少期から祈祷きとう作法さほうを覚えられない女生徒は背嚢はいのうを背負って早まるのだろう。

 「学長がくちょうはなにもわかっていない!賢者けんじゃトートの秘密がただの伝説だと?」

 彼女の背嚢はわりと控えめだ。彼女がいつも抱えている巨著よりも小さい。

 「学長がここの蔵書を読破したことのほうがただの伝説だ!そうでなければ」

 彼女はいつものように人差し指ではなく、神差かみさし指を私の鼻先に当てる。彼女の指先と私の鼻先の距離が少し縮めた気がする。

 「本当の智慧は、ここに存在ない!」

 彼女はほおふくらせる。最初に会った時のように。

 「千巻せんかん博覧はくらんはした。これからは万里ばんり遍歴へんれきだ。わたしは絶対に賢者トートの秘密を、いや、すべての秘密を手に入れる」

 絶塵ぜつじんのように去るまえに、彼女でも別れをおししむことは忘れていなかった。

 「女神ニコールの祝福があらんことを。いつか私の英知はあなたを超える」

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女神ニコールの祝福があらんことを 衛かもめ @Kuzufuji_Mao

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