*episode2
その日の夜、悠斗はいつも通り結月の手料理を堪能していた。
「ねぇねぇはる、どう? 今日のは美味しい?」
四角いダイニングテーブルを挟んで、結月がぐっと身を乗り出して訊いてくる。
出来立て熱々のコロッケをはふはふと頬張ると、そのジャガイモ本来の甘みとカラッと奇麗なきつね色に揚がった衣の感触が口内で絶妙に混ざり合い、悠斗がこれまで食べてきたコロッケの全てを凌駕する極上のハーモニーで満たされた。
ゴクリと飲み込むと、言葉は反射的に出てくるもので。
「いや美味い。美味すぎる。今日はというか、今日も美味すぎる……」
「ほんと⁉ ならよかったぁ! はるのためにたくさん練習した甲斐あったなぁ」
うっとりとした表情を浮かべ、結月はやんわりと頬を赤らめる。
「にしても結月はなんでもできてすごいな。家事も勉強もスポーツも、逆に苦手なことってあるのか?」
なんとなく、悠斗は訊いてみた。
交際中とはいえ、まだまだ結月のことに関して知らないことが多いため、日々の会話のネタが尽きることは今のところ無さそうだ。
「そりゃたくさんあるよ。練習したことは練習した分だけできるようになっただけだし、それ以外のことは全然だよ?」
そう言って結月は箸を置くと、味噌汁が入ったお椀を手に取って、ゆっくりと自分の口許へ近づける。
両手で上品にお椀を持って味噌汁を啜るその姿さえも、数ある努力の賜物の一つのように感じられた。
「努力したんだな」
「えへへ、偉いでしょ? あ、はるからのご褒美ならいくらでももらってあげるよ?」
コロッケの隣に添えられたサラダを摘まみながら、結月が上目遣いで悠斗見つめる。
「まぁ確かに家事も任せっきりだし、何か欲しいものでもあるなら買ってやるけど……」
言いながら、悠斗もサラダを摘まんで一口。
何日か前に買ったキャベツの残りだったが不思議なぐらいにみずみずしい食感で、結月特製のドレッシングは野菜本来の甘みを存分に引き立てていて、卓上に並んだ皿の上にはとにかく隙がない。
こんな贅沢な食事を毎日小言一つ溢さず、むしろ楽しそうに作っては提供してもらっているのだから、改めて感謝の一つぐらいはしようと思っていたところだった。
「ほんとー⁉ じゃあさ、今度デートしよ? そういえばこっちに来てからまだ一回もはると出かけてなかったし」
まん丸の宝石玉のような瞳をキラキラと光らせた結月が、ぐっと身を乗り出して顔を近づけてくる。
「……っ! そ、そんなんでいいなら、まぁ付き合うけど」
「やったぁ! はる大好きぃ! ふふっ」
この距離間には未だ慣れず、悠斗が翻弄されるのは最早日課となっていた。
こんな美少女が自分の幼馴染というところまでなら認められるが、自分の彼女でありしかもこうして結婚を前提にした交際をしているという現状に、なかなか実感が湧いてこない。
結月は相変わらずぐいぐい来るしもちろん悠斗としても嬉しいのだが、悠斗側のよそよそしさはまだ全然抜け切れていない。
そう考えると、休日一緒にどこかへ遊びに行くというのは、結月との距離感に慣れるためのいい機会だと思えたので、全然悪い気はしなかった。
ただそうなると、悠斗の立場としては一つ注意しておかなければならないことがある。
「遊びに行くのはいいんだけどさ、その、なんていうか……あんまり人目に付かないところだとすごい助かる」
結月は学校のアイドル的存在で、常に注目を浴びている。スウェット姿でコンビニに行く程度のことでもその美少女オーラを振りまいてしまうので、結局何をしても目立ってしまうのだ。
悠斗からすれば、結月は自分とは住む世界の違う人間だと思っているので、そんな結月の隣に並んで歩くというのは正直かなり恐れ多い。
もしその現場を学校の生徒たちに見られでもすれば、後にどんな仕打ちが待ち受けているのかは容易に想像できた。
「もう、またそういうこと言う……。私ははるのこと皆に自慢したいぐらい素敵な旦那さんだと思ってるのになぁ」
「……そ、それは気が早すぎるだろ」
悠斗が渋々反論すると、むぅっと頬を膨らませ、上目遣いのまま眉を寄せる結月。
(可愛い……)
調子に乗ってヒートアップさせるわけにはいかないので、敢えて言葉にはしなかった。
それによく考えなくても、どうしてこれほどまでの美少女が自分なんかを好きでい続けるのか、悠斗にとって人生最大の謎になりつつある。
「結月、一個訊いてもいいか?」
「ん? どしたの?」
小さく首を傾げ、丸い瞳がぱちくりと瞬いた。
「結月ってさ、今まで俺以外と付き合ったり、好きになったりしなかったのか?」
悠斗の問いかけに、結月はむっと顔を顰めて少し声を張り上げた。
「ないよそんなの! せっかく大好きなはるがずっと一緒にいてくれるって約束してくれたのに、他の男の子に興味なんか持つはずないじゃん!」
「そ、それはどうも……。でもほら、結月は中学の時もモテただろうし、少しはそういうのあったんじゃないのかなーって」
「ない!」
「そ、そうか……」
機嫌を損ねたのか、結月はそれから黙々と食事を続け、悠斗はその様子をぼんやりと眺めながらも箸を動かした。
そうして一足先に間食した結月が、明らかに不機嫌そうにじぃっと自分を眺めていることに気付き、悠斗は一度箸を止める。
「……お、怒ってんの?」
「ふんっ」
ぷいっとそっぽを向いて、自分は絶賛機嫌を損ね中ですと態度で示してくる結月。
(ついにアレをやる時が来てしまったのか……)
二人の同棲及び交際が始まった際、結月の方からの提案で一つ決めていたルールがあったことを悠斗は思い出した。
それは円満な同棲ライフを送るための秘訣として、もしも喧嘩になった時は、自分が悪いと思った方が謝罪の代わりに相手の額にキスをするというもの。
(どこのバカップルだよちくしょう……)
もちろん悠斗は女性の額にキスなんてものはしたことがないので、こればっかりはできる限り避けたい事態でもあった。
「はるの彼女さんは今、とっても怒っています」
「把握してます……」
だんまりを決め込んでいても当然埒が明かないのは明白で、悠斗は意を決して立ち上がり、結月のすぐそばまで回り込んだ。
頬を赤く染めながら見上げる結月を直視すれば、緊張で少し手が震えた。
微かに震える指先でそっと結月の前髪を上げてやると、白く小さな額が露になる。
「んっ……」
吐息交じりに小さく漏らした甘い声に、悠斗の心臓はドキリと一層強く鼓動を打った。
「へ、変な声出すなっつの……!」
「ふふっ。はるの手、おっきいね」
気づけば結月は耳まで赤く顔を染めていて、瞳もうっすらと潤いを帯びている。
にんまりと満足そうに湛えた笑みは十五歳とは思えないほどに蠱惑的で、悠斗はまんまとしてやられた気分だった。
(こいつ絶対わざとだろ……)
逃れようのない状況に小さくため息をついて、悠斗はゆっくりとその額に唇を近づける。
ピクリと結月の肩が小さく跳ねて、悠斗を見上げていた瞳がきゅっと閉じられる。
そうして悠斗の唇はぴたりと結月の額に降り立ち、甘い薫りが鼻の奥を貫いた。
ほんの数秒間触れていた唇がそっと結月の額から離れるも、唇の先に伝わったじんわりとした熱となんとも言えない甘い薫りは、再び結月を見下ろす体制に戻っても消えることは無かった。
閉じていた瞳をゆっくりと開けた結月は、頬を赤らめたままはにかんでは小さく言葉を吐いた。
「ふふっ——許してあげる」
浮かんだいたずらな表情は可愛らしくも大人っぽく、悠斗の理性は崩壊寸前のところまで来ていた。
これをやらせたかっただけだろうな、というのは何となく察せたので悠斗は何も言わず食卓へ戻り、その後無心で目の前に並んだ皿の上を片付けることに専念した。
(もう二度とやるか……)
10年ぶりに再会した幼馴染が超絶完璧美少女になっていた理由 亜咲 @a_saki
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