*episode1


悠斗はると、ついにお前にも春が来たみたいで俺は嬉しい限りだよ」


 気づけば四月も終わろうとしていた、ある日の放課後。

 天文部てんもんぶの部室に着いて早々、親友の竜輝りゅうきがにんまりと笑みを浮かべながらそんなことを呟いて、戸棚に置かれた地球儀を軽く指で弾いて、その回転に勢いをつけさせている。

 カラカラと音を立てて回されている地球儀を一瞥いちべつして、悠斗は大きくため息をついた。


他人事ひとごとだからって楽しそうに……。そりゃあ俺も嬉しいけど、なんというか窮屈きゅうくつ過ぎる」

「デカいベッドでも買ってもらえばいいんじゃね?」

「……学校生活の話だ」


 訂正しながら、竜輝が回した地球儀をぱしりと掴んで回転を止めてやる。

 自分の眉間にしわが寄っているのはわかりきっているが、それは竜輝の発言に不快指数を煽られたからというわけではない。

 結月ゆづきとの交際及び同棲が始まってからというもの、悠斗の平穏な学校生活はいつ崩れ去るかわからないという状態にあるからだ。


「まぁ、無理もねぇよな。相手はあの城鐘結月しろがねゆづき——どえらい美人が入学してきたなと思ったら、早速学園一のアイドルと化してるわけだし、噂に聞く限りじゃスペックもチートレベル。隠したくなる気持ちもわからんでもない」


 机の上に荷物を乱雑に放り、竜輝はいつもの位置でパイプ椅子に腰かけながら言う。

 その向かいに回って、悠斗も重い腰を下ろした。


「実際俺みたいなモブが結月の彼氏だってバレたら、もう血祭もいいところだろうな。そこそこ苦労して入った高校で二年間無難に勉強も部活もこなして、最後の一年だけがそんな殺伐としてたまるかっつーの」


 悠斗がここ最近、そう言って頭を悩ませる毎日を送っている理由は概ねおおむ幼馴染の結月にあった。


 結月は今年の入学試験を全教科満点で合格したという噂が飛び交っており、実際のところ紛れもない事実だった。

 運動神経も抜群で、体育でもその辺の運動部の男子よりも目立っているらしい。

 なんでも中学時代は剣道部だったらしく、中学最後の大会では母校を初の全国制覇へと導いたのだとか。他の大会でも、全国出場は当たり前だったという。

 以前結月の荷物整理を手伝っていた際、ダンボールから出てきた多数のトロフィーとメダルが何なのか気になっていた悠斗だったが、結月にくよりも先に噂が教えてくれたのだった。

 加えて結月は百人中百人が口を揃えて「美人」と言うに違いない、というぐらいに整った容姿をしていて愛想もよく、校内にはすでに本人非公式のファンクラブも存在している。

 連日校内中の男子たちから猛アプローチを受けては丁重にお断りしていて、その内容は「私には心に決めた婚約者がいるので」の一言のみだという。もちろん噂にならないはずがなく、「結月様の婚約者は一体誰なんだ」と瞬く間に波乱が広がっている毎日なのだ。


 見た目はなんとなく昔からそういうオーラがあった気がしたが、それ以外のことに関して言えば、まるで別人のように思えた。

 引っ越しするときもそうだったが、悠斗の知る結月は基本泣き虫で引っ込み思案で、どちらかと言うと内気な女の子だったし、身体も弱くてよく入退院を繰り返していた記憶がある。

 元々特別な才能を秘めていたのかもしれないが、昔のことを思い返せばどうにも飛躍し過ぎなようにも思えた。

 今や非の打ち所のないような才女と化した結月が自分の彼女だなんて、恐れ多いにも程がある。

 目立たずひっそりと学校生活を送ってきた悠斗からしてみれば、生きた心地がしない瞬間が多々としてあるのが現状だ。


 入学式で早速注目を浴びていた結月を見て嫌な予感がしていた悠斗は、絶対に自分との関係について口を割らないようにとあらかじめ結月に念を押しておいた。

 しかしどうにもその未知の息苦しさに耐えられず、悠斗は最近になってようやく唯一の親友である竜輝に相談したという次第だ。


 竜輝は悠斗とは真逆のタイプの人間で、明るく活発で顔立ちもかなりいい。

 恋愛経験も人並み以上に豊富で竜輝自身彼女持ちでもあり、その相手が悠斗と同じように幼馴染であるということもあって、やはりというべきか頼りになる。


 天文部とは名ばかりで、最近の部室はこのようにすっかり「葉山竜輝恋愛相談所」と化しているのだった。


「まぁさ、その件についても知ってるのは俺と愛依めいぐらいだし、愛依に至ってはあれでいて全然他人に興味ないやつだし、そう気張んなくていいだろ。肩の力抜いて今まで通り普通に過ごしときゃいいって」


 ぽんぽんと悠斗の肩を軽く叩いて、「楽に楽に」と竜輝が励ます。


「……悪いがどう頑張ってもあいつだけは信用できる気がしない」


 愛依めい——榊原愛依さかきばらめいというのは竜輝の幼馴染の彼女で、もう一人の天文部の部員でもある。

 天文部に在籍しているのは彼氏である竜輝がいるからという理由だけであって、天体にはあまり興味関心を抱いている様子は見受けられない。

 晴れた日の夜に集まって星を観測する、という行為そのものは好きなようで、そういったイベントのとき以外は基本的に部室には来たり来なかったりと気まぐれでマイペースで、いざ来たかと思うと悠斗をからかって遊び始めるのが定石じょうせきだ。


 竜輝とはとても仲が良く、周りからも羨ましがられるほどのおしどり夫婦として学年でも有名だ。見た目もイマドキの女子高生という感じで、女子高生らしい華やかさを纏っており、顔立ちのいい竜輝と並んでいる様子はとても絵になる。

 中学の卒業式の日、思い切って愛依から告白したことがきっかけで、ただの幼馴染という関係性を突き破ったらしい。なんともドラマチックで、これぞまさに「青春」というものだろう。


 その時ガラッと勢いよくドアが開いて、ベージュのカーディガンを腰に巻いた女子生徒が現れた。

 噂をすればなんとやら、愛依だ。


「悠斗いまうちの悪口言ってたっしょー! ちゃんと聞いてたかんね!」


 ウェーブのかかった明るめの茶髪はいつも通りポニーテールに束ねられていて、愛依が動くたびに軽やかに揺れている。


「被害妄想はやめろ、俺は事実しか言ってない。あといちいち騒々そうぞうしい。もう少し静かに入ってこれないのかよ」


「うっさいなー。うちがうるさいんじゃなくて悠斗が根暗なんだよ。ねーりゅーくん。りゅーくんもそう思うよねー?」


「まぁ確かに、悠斗はもう少しテンション上げた方がみんなとっつきやすいと思うなぁ。愛依の意見も一理ある」


「ほーらみろぉー! りゅーくん大好きー!」


「いやー照れる照れる。俺も好きだよー愛依ー」


(——さて、調べ物でもするか)

 目の前で堂々とイチャイチャを披露されるのは日課なので、悠斗は動じず部室の本棚を物色ぶっしょくする。新聞部の企画で毎週発行される校内新聞に、天文部が天体に関するコラムを掲載けいさいすることになっているので、主に悠斗がその担当を請け負い、日々その記事作りに没頭している。


「竜輝、お前は手伝え」

「はいよー」


 愛依が協力的になることはまずあり得ないので今更気にも留めないのだが、正直竜輝にはもう少しガツンと言って欲しいなというのが悠斗の本音だった。

 締め切りを過ぎると新聞部の部長がうるさいし、記事自体は面白いとそこそこ評判もいいため、悠斗たちは手を抜かずにこなしている。

 とはいえ毎週ともなれば、ネタが切れてくることも当然ある。

 あまり難し過ぎるテーマはそもそも読みたいと思われないし、誰もが気軽に楽しめる記事にする工夫の一つとして、日常生活にちなんだ身近な話題を取り上げ、掘り下げていくというのが無難なのだ。

 円卓に突っ伏してネイルを塗り直している愛依を背後に、竜輝は早速分厚いハードカバーの書物を取り出し、ページぺらぺらとめくりながら呟いた。


「今週のやつは星座の名前の起源からの話だったよなー確か」


「あぁ、うん。来週も正座絡みだとちょっとくどいような気がするから、今回は少し離れてみてもいいかなと」


「いや、そんなこともないんじゃねーの? ウケもいいみたいだし、もう少し掘り下げてみてもいいかもしれない。今の季節に合った身近な星座をピックアップして、観測のポイントなんかを簡単に解説してやるのはどうよ。案外読まれると思うぞ? それにテーマが星座なら、俺らも血眼になって資料漁る必要ないし楽じゃん?」


「なるほど。企画としても全然悪くないな。……ってなると、春の星座か」


 竜輝の助言を踏まえて、悠斗はスマホのメモ帳アプリを開いて思いつく星座をいくつか書き出してみる。

(乙女座、かに座辺りがメジャーだな)


 企画が始まったのがもう半年も前のことで、持っていた知識は粗方あらかた出尽くしてしまっているため、こうしてネタを掘り出すところから始まっている。

 なにかとこだわり過ぎる悠斗が一人でやっていてもらちが明かないので、竜輝のこうした持ち前のざっくりとした判断力(悪くい言えば大雑把)にはかなり助けられていた。


「さんきゅー竜輝。何とか今週も書けそうだわ」

「どいたま。でき次第文書送ってくれよ。張り付ける写真とかイラストはまた適当に用意しとくからさ」


 そうなれば早速記事の執筆にとりかかりたい。

 前までは自宅のパソコンで作業していたが、最近では学校のパソコン室を借りて作業をするようになった。

 というのも今は自宅には結月がいるからで、いろいろと集中しづらい環境になっているためだ。

 早速荷物をまとめて部室を出ようとすると、ネイルを乾かしていた愛依が口を開いた。


「あれ、もしかしてまたパソコン室行くの?」

「そうだけど」

「なんか二年の国際情報学科の子たちが占領してたよ? 授業でやってる地域貢献活動かなんかで作らなきゃいけない資料があるとかで」


 竜輝や好きなこと以外には一切興味を示さないようでありながらも、意外と彼女はこういう情報屋な一面があったりする。


「……まじか。つかなんで榊原がそんなこと知ってんだよ」

「うちは根暗な悠斗君と違って友達多いし、顔も広いので」


 べー、と舌を出して悠斗を挑発する愛依。

 勝ち誇ったようなしたり顔がしゃくさわったので、悠斗もさりげなく挑発に乗ってやる。


「あぁ確かに顔広いな。この前二年の男子が榊原の後姿見て噂してたぞ。『あの先輩ビッチっぽいよなマジエロい』って。お前学校中の男子から尻軽女だと思われてんぞ」


「……っな! はぁ⁉ だだ、誰がビッチじゃあ‼」


 愛依は頬を赤らめ、興奮気味に立ち上がりギリッと牙をいて悠斗を睨む。

その傍らで、竜輝もギロリと眉を寄せた。


「悠斗、そいつらがどんなやつだったか詳しく教えてくれないか」


 どうやら自分の彼女がビッチ呼ばわりされたことに対し、多少は思うところがあるようだった。


「——いや、冗談だけどな」

「馬鹿悠斗! まじ死ね! てか殺す‼」



 鬼の形相で迫ってくる愛依からなんとか逃れ、悠斗はそのまま帰宅した。





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