たまごっちという十字架

@kagandanq

たまごっちという十字架

 近頃また、年甲斐もなく「たまごっち」というゲームをやり始めた。卵型のゲーム機ではなく、DSの方だ。

 簡単に言えば、たこ焼き屋、ケーキ屋、歯医者、花屋、花屋などの色んな職業のアルバイトを、パートナーとして選んだたまごっちと一緒に、またはそのたまごっちそのものとして体験しよう!という趣旨のゲームである。


このゲームをやっていると、その節々に「幼児向けならぬしょっぱさ」を感じる。別にミニゲームが難しいとかそういう話ではない。ゲームにおける良し悪しの「判定」が厳しいのである。

 

 例えば、「たまごっちのピチピチおみせっち」ではラテ屋というお店が登場する。そこで我々アルバイターはお客様からご注文頂いた図案を基にラテアートを描くのだが、これが難しい。たまごっち特有のあの、利き手と反対の方の手で描いたような震えた線で表現された味のある絵を、ズブの素人に寸分違わず描けなんて言う方が間違いである。

 少しでもお手本からズレれば評価は落ちる。だからラテ屋ではミニゲーム終了後のお仕事評価で、★★☆くらいしか貰えない。ケーキ屋でも同じことである。私はチョコペンが嫌いだ。私には自由すぎるから。



 客として店にやってくるたまごっちも結構辛辣だったりする。やってきたたこ焼きが注文した数より少なくても何も言わないくせに、提供時間にはやたらうるさい。

 特にうるさいのが「ひめっち」という名のとおりお姫様のようなたまごっちで、私が最速の提供を試みているにもかかわらず、目に涙を浮かべ「お客さんをあまり待たせるのはどうかと思います……」と急かしてくる。

 そんな小言を言われないように一分一秒を惜しんで提供に励んでいるというのにこれだから、たまったもんじゃない。私は彼女のことを影で「たまこ姫の下位互換」と呼んでいる。


そんなたまごっちたちにも可愛らしいたまごっちはいるもので、私の一番のお気に入りはスペイシーっちだ。どことなく小学校が一緒だった中村君を彷彿とさせるものがある。

 授業をすべて睡眠に費やし、怒られてもヘラヘラと笑い先生を煽ることに長けていた彼。中学受験をして私立の男子校に行ってしまった。真面目なイメージに乏しかった彼だが、授業中寝ていたのは、彼なりの隠れた努力があったからなのかもしれない。



この「たまごっち」シリーズがDS/3DSで発売されて何年が経ったのだろう。このシリーズの最古のゲームが発売された頃、私はまだ幼稚園児だった。

 ばら組で一番泥団子を作るのがうまかった、まっぴという女の子の最高傑作を人知れず壊したり、毎日帰りの会で配られていた肝油ドロップを大量に盗んだり、やりたい放題だった。


しかし、そんな自由奔放な暮らしの中で唯一、うまくいかなかったのが「たまごっち」というこのゲームである。厳しい判定基準は幼稚園児には難しすぎたのだろう。

 だがそれを今、受験、人間関係、周囲との経済的格差という重圧を抱えた、何も思い通りにできない生活の中、大人になった私が攻略しようとしている。


辛いとき、苦しいとき、失敗したとき、なぜかいつもこのゲームを手に取ってしまうのは、二度と繰り返されない過去を懐かしみ、羨んでいるからだ。

 

 このゲームはきっと本当の意味で私にとっての十字架なのだと、期末テスト八日前の今、DS本体を片手に痛感させられる。

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