第2話(善悪の基本)

 では、まず、根本的な善悪の考えについて述べていきます。あえて言わなくても分かるような気がしますが、でもこの善悪の観点の根本が分かってると何かといいと思ったからです。

 まず、善悪とは決して相容れないものだと思えますが、それは違います。


 例えば、一国による他国の侵略。侵略という言葉がそもそも悪に聞こえますが、もちろん侵略する側はこんな言葉は用いません。例えば、強権者によって弾圧された市民を救済する。市民の人口過密のはけ口を見つけてスラムを駆逐し、細民の生活の安定を与える。植民地化することで旧態依然の既得権益に束縛された相手国の文明の開化させて相手国の市民生活を向上させる。

 正義と分類できる侵略の目的はこのへんかなと思います。もちろん、メディアなどによる情報操作によって相手国を悪とするもっと市民に利益を思わせるための、洗脳、が行われるかもしれませんが、十分に他国を侵略する人道的な利益はこの辺から見出せると思います。

 もちろん、この侵略は目的を達成するための手段の一つで、さらに最終手段、非常手段に位置しますから、強権者なら失脚させる、文明開化させたいなら投資する、それを以前の思想が妨害するなら旧態依然の思想を矯正、もしくは歪曲(新しいものが正しい思想とは限らない)させることでわざわざ侵略戦争までする意義は限りなく低い訳ですが。


 この例で善悪の表裏一体の構造が分かりましたかね? では、テキトウな物語からその正義の種類を紹介しましょう。

 

 なんか、現実現代でもありそうですが、近代の帝国国家時代に、その列強の一つから干渉を受けている非近代国家で中堅階層でギリギリ生活している農民の家族がありました。父母と15歳を超えて成人した子供三人の五人家族です。そんな中、母がまた妊娠しました。父が育児に不参加な訳では決してないのですが子供の子育ての重労働はすでにこの三人で経験していました。またその時代は子供を食わせるために極貧生活を強いられました。

 子供が成人したことで、農作業は少し楽になり、財産的な余裕もでき、十分な返済計画も立ったからと庄屋に唆されて、お金を借りてまた新たに土地を買いました。それは大分後悔することになりました。農地の開拓は雑草の除去に、水路の拡張、水の平均的な供給が減り、生産効率が下がりまた単に耕す土地も多くなりました。しかし、義理に縛られ、土地を返還することもできません。

 いつかはそれが一族の利益になるとはいっても、その痛苦は大きいものです。

 子を堕ろすことも考えたのですが、一度堕胎をしており、その罪悪に強く苛まれて寺院に多額のお布施をして生活が悪くなったかつての母を見た父が渋ったのと、また堕胎の薬の副作用が強く、その苦痛が耐え得るものではなかったことが、それを妨げました。


 そして出産に至りました訳ですが、更に悪いことに子は双子でした。また片方の子は瞳を全く動かしません。

 一人しか生まれないはずの子が二人生まれてしまったし、また二人のどちらかは片方より劣ってしまうのがかわいそうでなりませんでした。また同時に二人の子育てをする能力は一人でも無理に近い状態である訳もありません。

 また、もしこの片方の子供が失明しているのなら、この家族では介護もできませんし、この子が仕事のできない穀潰しであったとき、一家の舟は全部沈んでしまう恐れが十分にありました。また単純にこの子が奇妙でした。

 よって、家族はこの片方の失明したと思われた子供を殺すことにしました。

 しかし、この子は助かりました。町の人間が孤児院を経営し、タダで引き取ることができると言ってくれたのです。まあ、最もっぽい理由を引き出せば、子殺しを嫌う正義感と、彼らの国に進出している先進の帝国国家の宗教がいう愛に目覚めただとか、その帝国国家の市民が子供を必要としているし、その子を斡旋する報酬が彼らの国の市民にとっては莫大なものであるからだとかです。

 そして、彼は引き取られました。また現に彼の失明は判明しました。孤児院の子どもたちは優しく彼を受け入れて育て、また見学する人たちにも失明した彼は憐れみ(まあ人によっては差別も込められてはいますが)をもって、時に慈しまれて見られて内外共に孤児院の人気者になり、3歳になる頃に帝国の優しさある市民の夫妻によって引き取られました。


 この頃には点字は発明され、言葉も覚えて財力ある夫妻によってすくすく子供は成長していきます。また、運良く勉強の才能にそれを支える好奇心を持ち、国の一流大学に進学し、なぜだか興味のあった農学を学びました。そして成績もほどほどに卒業し、支援先、もしくは利権ある土地である、彼の生まれの国に農業の指導役として派遣されることになりました。そして、行く前に育ての親から出生の秘密を聞かされて、とてもビミョーな気分になって渡航し、例によってなぜだか彼の生家にも行くことになりました。


 彼の家は土地の開拓もどうにかなり、そこそこの財産を得て、また四つの子供もまた家庭を築き、発展しそうな様子でした。なおさら家の貧乏による自分の放逐をという説明に疑いをもち、ギクシャクしたものでした。

 家の方はそっちで、また自分たちの捨て子の成り上がりに自分の罪深さを知ったり、また目の暗い彼の出世に微妙な気分でも見、また気まずいものでした。


 差別をこの物語に含ませると正義の分析がより複雑になったり、文が冗長になるので省略しました。

 このストーリーはあげます。この文章のパクリは見なかったことにします。プロットはいいものでしょう? でも僕にゃ書けないんです。

 ということはほっといて、このストーリーにはいくつかの善と悪がありました。



 一つは明確な利益不利益によるもの。


 二つは現代では過ちと(証明された、もしくはよく分からない)迷信によるもの。


 三つは取捨選択をした上での利益不利益によるもの。



 一つ目に関しては、ウィンウィンな関係のことです。孤児院が分かりやすいですかね。

 

 二つ目が大事で、これは差別にも繋がりやすいものです。物語においては、双子で生まれた、という不運です。

 ちょっと追加して二人分の子育てというまさに一つ目に該当する不利益を書いてしまいましたが、双子が不吉、悪であるという認識がこの二つ目に該当する内容です。

 現代でも通用することはありますね。枝分かれした大根が分かりやすいでしょう。大根は、一本の棒であるのが普通である、そうでないものは不吉だ。という考えが強くあります。事実として、僕は食えません。見なけりゃ食いますが。

 本来こうであるべきものがそうではない。それが人間の恐怖でしょう。まあ、生物の本能として、あきらかに普通、とは違う天変地異や、毒を見分けるためだったのでしょうが。


 三つ目が、子殺しか、一家の沈没かの運命の選択といったような、結果としてどちらが有意義であるか、ということのために、意図して不利益を選ばなくてはいけないケースです。


 

 この文章のテーマとして、帝国による、旧国家への介入による正義だけを示しました。

 もちろん、現実は黄禍論に犯罪にもっと酷いものであることは間違いないでしょうが。

 

 知らないことは怖いことだと、僕は常に思っているのですが、人間のすることの判断も、こなように最終的にはこのような善悪によって結論づけられるのではないかなと思います。まあ、真実はいつも一つとは限らないというように、殺される側の子供に利益は一ミリもありませんが。そこは一人一人の視点で見るしかないでしょう。 

 誤った考えの中での利益とかもありますし、何が利益かと考えるのは難しいです。

 特に、脳死判定の人間の生命維持でしょう。最悪は、家族が生きている当人を見ていられる、という利益がある訳ですが、それを除けばほとんど利益がありません。こんなときに、さっき言った二つ目の迷信が生きてくる訳ですね。

 でも、いつかは技術の発展で当人を助けられるかもしれない、そこまで当人を助けている、という行為の充実感でも十分に利益には値しますかね。


 すみません。実を言えば、途中で内容をど忘れして、最初思った着陸地点とズレてます。でもとりあえず、基本的には誰もが自分の利益に叶うように行動している、と考えているという結論は覚えといて下さい。これを僕は性善説、つまり、人間は誰もが、善きものである、ということに繋げます。

 僕としては、人間は不利益に突っ走る生き物であるという性悪説は信じられないのです。


 では。おやすみなさい。自分。



 

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