第2話 シルバー
夏でなければやりにくいトレーニングがある。
それは水泳。全身運動でもあり、余分な脂肪を落とすには最適だ。
それに夏休み中は市営プールが開放される。屋外プールだが料金は格安、しかも開場から閉場までみっちり七時間トレーニングに充てることができる。
オレは週三日を水泳トレーニングに充てて泳ぎまくった。
結果、夏休みの終わりには体重は70キロを割り込むところまで絞れた。日にもしっかりと焼けて、ぱっと見別人だ。
身体の変化としては脂肪が減って腹がへこみ、腹筋が少し見えてきたのが一番目立つだろうか。一見するとBMIが理想体重に近づいて良い感じに見えるが、しかし体脂肪率で見ればまだまだのレベルだ。
明日からは新学期。そこから二日も経てばまたあの戦いが始まる。今なら軽く走っても二位は確実。だがヤツを抜いて一位でゴールを駆け抜ける自信は、まだなかった。
二学期、登校するや否や仲間達に囲まれた。
「うお、シルバー絞ってきたなー」
「色真っ黒だしほぼほぼ別人じゃねえか」
「腹筋もう出てるのか?」
「いや、腹筋はまだだ。夏休みは毎日プール通いだったさ」
「これならクイーンにも勝てるんじゃね?」
「そう上手い話はないと思うけどな」
自分としてはまだまだ完璧な身体とは言い難いが、周囲には見た目のインパクトがあったようで、なんとなくだが周りからの視線を感じる。
さりげなく見てみると女子の目線が集まっているようだった。
だがそんな事よりオレはクイーンに勝たねばならない。
二学期二日目には予想通りクイーンとの一騎打ちとなった。一学期ラストの戦いと同じく、オレが走っている横を軽々と追い抜いていくクイーン。
オレは置いて行かれないようにすぐさまギアアップして走る。一学期ラストと違ってその差はわずか。階段前のターンに二人続けて飛び込み、これまでないほどの安定感で切り抜けた。
クイーンとの差は階段数段分。オレとしてもまだ余力は十分で、さらにパワーを込めればヤツの前に出ることはできそうに思えた。だがここでヤツは信じられない技を繰り出してきた。
手すりをフルに使った踊り場ターン。いくらフィジカルが強いとは言っても女の細腕、まさかあんな技を使ってくるとは。オレの目前で披露されたその技は、敵ながら華麗と言うに相応しかった。物理法則すらオレとは違うのかと思わせるほどに素早く美しく次々とターンを決めていくクイーン。
結局わずか2回のターンでワンフロア分引き離され、オレは一学期の雪辱を果たすことができなかった。底知れないヤツのポテンシャルに、オレはここで初めて恐怖した。
スピードではとりあえず互角になった。だがオレには技が足りてない。それはこの戦いに挑んだ最初から分かっていたこと。それを改めて突きつけられるとどうしたって凹む。
オレはさらなるスピードを身につけるのか、それとも技を磨くのか。その答えは、やはり両方だ。
それからしばらくはまた修練の日々が続いた。地道な筋トレでパワーをさらに増やしつつ、これまであまりやってこなかった身のこなしを練習し、体操選手のようなアクロバティックな動きも多少は体得した。それと並行して、どうすれば勝てるのか考えながら走行ルートを改めて検分し尽くした。そして出した結論――
§
雌伏の時を過ごした三ヶ月が終わり、12月最初の日。今日の勝負にオレは賭けていた。今回は幾度にも亘る検分で発見していた必勝のルートを辿る。そのルートは鍛え上げたオレのフィジカルでしか通れないが、それでも二度目はないだろう。ヤツがそのルートに気づいてしまえば、次回からはヤツもそこを通る。そうなれば今後オレに勝機は全くなくなるはずだ。
そして戦いのゴングが再び鳴った。
4限の終業チャイムが鳴ると同時に、オレは廊下に転がり出て猛ダッシュ。だがゴールへと続く階段へは向かわず、廊下の途中で進路を折った。向かった先は渡り廊下。それは鉄骨でできた外廊下だ。柵を一飛びで乗り越え、オレは中空に身を踊らせた。
当然すぐさま重力に引かれ落下を始めるが、決死の一発勝負で渡り廊下の鉄骨と校舎の壁との隙間を利用して、ジグザグに縫って階下に飛び降り、一気に一階まで到達する。
着地の衝撃が全身を駆け抜けるが回復を待つ時間はない、オレは堪えて一歩を踏み出す。こんな事で怯んでいてはヤツには勝てない。パワーも技も足りてなければ多少の無茶でもやるしかない。
一階の廊下を全力疾走で駆ける。前方には誰もいない、初めて取ったトップポジション。壁の影に佇むゴールの姿が瞳に映った。当然そこにはまだ誰も立っていない。
そしてオレは遂に念願の勝利を掴む。
「おばちゃん! 銀チョコ二つ!!」
「あいよ、二つで260円ね」
オレがシルバーとブラックで彩られた勝利の証を両手に掴もうとする頃、背後から聞き慣れた大勢の足音と怒号が響いてきた。戦いの先頭集団が階段から廊下から、このゴールに向けて猛スピードで突っ込んでくる。
その先頭はもちろん、あのブラック・クイーンだ。しかし今日ばかりはオレの完全勝利。勝利の証を掲げてゴールに立つオレの目に、ヤツの驚く顔が映った。
走る速度を緩め、そして目の前でヤツは止まった。オレは両手を顔の高さまで上げて勝ち誇った表情で対峙する。遂にやってやった。その時のオレの顔はどれほどの歓びに輝いていただろうか。対するヤツの表情は驚くでもなく怒るでもない、どこか冷めた目つきでオレを凝視していた。
ショックで感情も消え失せたのだろうか。そんなヤツに何か言ってやろうとオレは息を吸う。
次の瞬間、ヤツは表情を一切変えずにオレの両手から勝利の証をひょいっとつまみ取った。
「だっ! な、何すんだよ
「あら
そう言いながらニコーッと虫も殺さないご令嬢のような優美な笑顔をヤツが見せた。
それは何の悪気もない表情で、それが自分に与えられた当然の権利であるかのようにごく自然な態度。そしてそんなヤツの手の内にあっさりと収まった、オレの栄光の銀チョコロールパン二つ。
「ちげーよ! 何考えてんだてめえ!! それはオレの勝利の証だっつーの」
「弟が姉のために身を挺して頑張ってくれて、お姉ちゃん嬉しいわー」
ヤツが頬を染めて、オレから奪った銀チョコに頬ずりするところを見せつけてくれる。
「何がお姉ちゃんだよ! 双子なんだから関係ねーだろが」
「悔しかったら勉強でも運動でも私を抜いてみなさいよ、シルバー」
それだけ言い捨てて、ヤツはスタスタと自分の教室へ向け歩みを進める。
オレは肩を掴んでそれを止めようとするが、ひらりひらりと躱される。
「シルバー言うな! だから返せよ銀チョコ!」
「いやでーす」
今度は身体ごと止めにかかるが、それもひょいひょいと躱される。まったくどれだけ身体能力が高いんだかこいつは。
「返せー!」
「いやでーす」
そこまで躱され続けていたが、ようやく二の腕を掴んで歩みが止まった。
「じゃー金払え!」
その一言に反応してヤツはくるっとオレの方を向くが、その人を食ったような表情が、オレの感情をさらに逆撫でして来やがる。
「えー? どうせ出所は同じなんだし良いじゃない」
「良くねーわっ! 金も出せねーんなら銀チョコ返せよ!」
「いやでーす」
そう言って結構な握力で掴んでいたはずの俺の手をあっさりと振りほどき、ヤツは聞く耳持たんと言った風情で廊下をどんどん進んでいく。
廊下に一人取り残されたオレの周りを、他の生徒達が避けつつ流れていく。
「昔っからなんでもかんでもオレの大事な物持って行きやがって! だから墨子は大っ嫌いなんだよ!」
オレの心からの叫びが、昼休みの校舎に響き渡った。
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【銀チョコ】
やや長めのコッペパンに縦の切れ目を入れ、その中にクリームを挟んだ上で切れ目の上からチョコレートをたっぷりとかけた菓子パン。チョコの溶融を防ぐ銀色の袋で個包装されていることが多いため、袋の銀色とパンのチョコを取って銀チョコと呼ばれる。
通常の菓子パンよりも価格が高いことが多く、袋の銀色が特別感を醸し出すこともあって中高生に人気がある、と言われる。
シルバーブラック はるきK @kanzakih
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