シルバーブラック

はるきK

第1話 ブラック

 この学校では、毎日昼になると全校生徒の約四分の一を挙げての戦いが繰り広げられる。

 もちろんオレも毎日のようにその戦いに参加している口だが、いつももうちょっとのところで手が届かずに敗退している。


 今日ももちろんオレは敗退。

 期待のモノは手に入らず、どこにでもあるようなあんパンと、自販機で買った牛乳片手に教室へ戻る。


「おいシルバー。今日もまた負けたのかオマエ」


「うるっせえな。今日はちょっと調子悪かったんだよ!」


「オマエの場合、今日は、じゃなくて今日も、だろうがよ」


 クラスの仲間はハハハッと笑ってからかってくる。まあ、いつもの事だし気にしちゃいないが。


 オレは生まれついて髪が白く、名前も相まって仲間からはシルバーって呼ばれてる。

 だがそんな事はどうだっていい。オレの目標はただ一つ、昼の戦いに打ち勝って栄誉の証を手に入れる事。

 しかし、そのためには超えなければならない壁が立ちはだかっている。


「シルバー! 今日も出遅れたわね!」


「シルバー! お先に失礼!」


「シルバー! ……」


 いつもオレの前を走り、そして毎日の栄誉を掻っ攫っていく女。

 その艶やかな黒髪ロングヘアーを華麗になびかせて廊下を走り抜ける女。

 成績優秀、運動も一番、黙っていれば才色兼備でお淑やかに見え、本校きっての才媛のはずだが一言多いクソ女。

 その黒髪に因んで、生徒たちは彼女の事をこう呼ぶ。


 ブラック・クイーンと。


 ヤツはこんな負け犬のオレなんか放っておけば良いものを、いちいち憎まれ口を叩きに近寄ってくるのだから質が悪い。今日も、昨日も、一昨日も。

 そうでなくても勝てない戦いでオレの心はもうズタズタだっていうのに、そんなオレの心にさらに塩を擦り込んで、一体ヤツはなにがしたいのか。


「で、今日もまたブラック・クイーンにしてやられて帰ってきたわけだなシルバーよ」


「うっせえ! 誰が好き好んで負けるかよ。スタートでこけなきゃオレにも勝機はあったはずなんだ」


「そうは言ってもなあ。オマエ明らかにフィジカルで負けてんぞ? クイーンに」


 キツいところを突かれた。

 そうさ、オレはフィジカルが弱い。いや、弱いと言うのは少し違う。背丈はあってパワーもあると自負してる。しかし余分なお肉も多いのだ。

 身長178センチ、体重94キロ、BMIが30。それがオレのスペック。

 こんな態でもダッシュは鋭い、だが体重が徒になってコーナリングが今ひとつ。さらにはジャンプももうちょっと。そしてどうしてもスタミナが続かない。

 体重を支える部分にパワーを持って行かれてしまい、細かい部分が追いついていなくて負けに繋がっているのは言われなくても分かっていた。


「本気でクイーンに勝つにはもっと引き締めねえとムリだろ」


「そうさなあ。分かっちゃいる、分かっちゃいるんだがな……」


 だがオレは分かってる。引き締めただけじゃヤツに勝てないって事を。

 ヤツはフィジカルもすごいが頭も切れる。だから他の誰もが考えつかないような奥の手をいくつも隠し持っている。それが常勝を支える源でもあった。

 頭のスペックは似たようなモンのはずなのに、どういう訳だかヤツの方が勉強の成績も遙かに上だしな。

 そこでそれらを総合してオレの出した答え。それは、引き締めた上でさらなるパワーを得る。これだった。


 その日午後から、オレは自主トレに励むことにした。

 学校への行き帰りはランニングに。家に帰れば腕立て伏せに腹筋背筋と基礎トレーニング。

 そしてこれが一番重要だったが食事制限。

 夜食のラーメン。

 週に四回は食べるそれは至福の一杯だったが、もうきっぱりと止めにした。

 毎食のどんぶり飯も、親に無理を言って買ってこさせた子供用の茶碗一杯だけにした。

 その一方でおかずはきっちり食べる。特に肉、魚……は少し苦手だったがこの際そんな事は言っていられない。体重を減らしてパワーを得るには筋肉。だからプロテインが必要だ。


 突然始めたオレのダイエットに対して、母親は例によって心配し、父親は無関心を決め込み、そして姉に至ってはいつものように憎まれ口を叩く。


「どうしたの? あんたなんかにも彼女でもできたの?」


「うるせえよ。そんなんじゃねえって」


「まあ、上手く行くように祈っておいてあげるわね」


「勝手にしろよ」


 オレに対しては徹底的に上から目線のこの姉。小さい頃から何かにつけてちょっかいを出してくるコイツは一体何様のつもりなのか。オレより数分早く生まれただけだっていうのに。


§


 最初の一週間、急に始めた本格的な運動に身体が悲鳴を上げる。さらに常つきまとう空腹感に苛まれて、なかなか辛い毎日だったが体重は変化なし。だがこれしきのことは想定内だ。ダイエットの記事を読んでもいきなりは減らないと書いてあるからな。

 その一方で日々の戦いは変わらず続いていた。しかしオレはトレーニングの成果が出るまではあまり前に出ないことに決めた。身体を軽くしてパワーを増やすにしても、コーナリングやジャンプを無視できるものじゃない。直線番長ではこの戦いに勝つのはやはり厳しい。

 だから今はそういった身体の捌き方を身に着けるべく、スピードは抑えてひとつひとつの動作に気を遣うことにした。

 おかげで戦いの順位は惨憺たるものになった。結果、禄な物が手に入りやしない。どうせ減量中だからこれもちょうど良いかと鷹揚に構えたが、腹は減る。


 二週間が過ぎた。身体の方はようやく体重が減り始めたが、これぐらいでは誤差の範囲内だろう。クラスの仲間達からは顔つきに精悍さが出てきたと言われているが。

 それに走ってみてもまだまだ身体は重い。コーナリングももたつくし、思い切ったジャンプもまだできない。減量のせいでパワーも減ってしまったようだった。とにかく今は臥薪嘗胆の時と心得る。

 戦いの順位も臥薪嘗胆。先週に引き続き底辺を這いずるが、競争に神経をすり減らさなくて良いのが精神衛生上は楽で良かった。

 

 一カ月が経った。クラスの仲間からは顔が細くなったと言われるようになった。体重自体は順調に減っているが、劇的というほどじゃない。あいかわらず食事制限も続けているが、空腹感は以前ほど感じなくなった。身体が慣れてきたんだろう。パワーの方は……どうだろう、あまり実感はないな。まだまだ脂肪が多くてあちこちプニプニしている。そのプニプニの奥には塊を感じられるのだが。

 相変わらず戦いの順位は下位。だがこれまでと同じように力を抜いて走っていても、自然に中位の下ぐらいに入るようになってきた。地力が付いてきたというのはこういう事を言うのだろうか。このペースで無理せずに順位が上がるようなら、少し本気を出せばトップに出ることもできそうに感じられた。しかしヤツの前をゴールまで駆け抜けるのはまだまだできそうにないとも思える。


 一カ月半。順調に減っていた体重だったが、ここのところ減りづらくなった。停滞期というらしく、身体がカロリー不足に慣れてしまうので起こり、避けられないらしい。解決するには食事のバランスを見直すか、トレーニング方法を変えてみるのが有効とあった。

 トレーニングといえばジムを思いつくが、生徒の身でそんな金銭的余裕はないわけで。だがここは学校、運動用具自体は設置されている。そこで上半身に関しては鉄棒で懸垂をする事にした。これがまた全然上がらなくて恥ずかしい思いをするわけだが、今はそんな事を言っている場合じゃない。下半身もランニングに加えて自転車を取り入れることにした。週に二日ぐらいはランニング通学の代わりに自転車通学、ただしランニングに掛かる時間と同じだけ余分な距離を走行する。コースにできるだけアップダウンを取り入れて、とにかく脚をしごき抜いた。

 その一方で戦いの順位は引き続きじりじりと上がってくる。自分の感覚ではトレーニング開始直後と同じような力の入りようで走っているつもりなんだが。筋力とスタミナは着実に身に付いているらしい。


 二カ月。停滞期を脱したらしく、それまで以上にぐんぐんと体重が減っていく。最初から比べると現在は20キロ減となってBMIも25を切り始めた。走ってもかなり身体が軽くなった感じがする。以前と違って体育の時間が苦にならなくなったのは大きい。これならば行けるかもという自信が湧いてきた。


 そんなある日のことだ。


 オレがいつものように昼の戦いに参加して廊下を走っていると、これ見よがしに横を駆け抜けた影があった。黒くなびく残像のような長髪。そして抜き去り際、その影はある言葉を残して去って行った。


「ちょっとはできるようになったかな?」


 駆け抜けたのはブラック・クイーン。挑発か敵情視察か、余裕を見せてくれる。

 オレはすぐさま足のギアを上げてクイーンに追いすがる。さすがにダイエットが効いている、一歩ずつ距離が縮むのが目に見えて分かる。

 教室一つ分の間隔で先行するクイーンが階段へのコーナーを一瞬で抜ける。続いてオレ。かなりタイトに攻めたつもりだったが出口で少し膨らんだ。

 後方じゃ曲がりきれずスリップダウンしてる連中の嘆き声。しかしオレはそんな事に構っている余裕はない。

 階段の踊り場に飛ぶ、そしてピボットターンして次のフロアへ。


 だが、クイーンの姿をゴールまで捉える事はできなかった。


 オレがゴールに到着したとき、ヤツは栄誉の証を両手に凱旋しようとするところだった。

 オレ自身、今日は後方を完全に置いてくるほどのハイペースで駆け抜けたつもりだったが、クイーンに格の違いを見せつけられただけに終わった。


 不敵な笑みを湛えたまま発せられるヤツの一言は、すれ違いざまに人の心を逆撫でする。


「残念だったわねシルバー。でも、悪くないわ」


 オレはヤツの方を振り向きもせず吐いて捨てる。


「クソ女が、余裕綽々だな」


「レディに向かってクソ女はないでしょう?」


 なにやら怒ったような声色だったが、オレはそれ以上言い返すことはせず、二位の栄誉を選んで無言のまま教室に戻った。


 この二ヶ月でオレには確かに手応えがあった。これならトップも楽に狙えるとそう考えていたが、現実には遙かに置いて行かれただけだった。何のことはない、ヤツも普段は力を抜いていた、最初から本気を出していなかっただけだった。

 しかしそれでも一位をキープしていたのだ。今日だって本気は出していなかったんじゃないか、そんな疑念が頭をもたげる。だとしたら今のオレにはまだ勝ち目はない。クイーンは根本的に様々な部分のレベルが違う相手だと、オレの脳裏に強烈に刻み込まれた。


 結局その時の戦いが今学期最後になった。もう夏休みだ。クイーンとの勝負は秋になるまで持ち越しになった。

 そして、この夏休みにオレは全てを賭けて更なるトレーニングに励むことにした。


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