7−20 兄貴様だ

「あ、あれが妖精城っすか……! うへえ、やっぱり例の闇の水晶とやらでびっしり固まってらあ。とてもおとぎの国の城とは思えねぇや」


 自分の背後から恐々と顔を覗かせている商人の怯えた声に、セイルは無言で頷いた。雪化粧をした茂みの中に身を潜める仲間――王女フィールーンも、痛々しい表情をしてそびえ立つ白亜の城を見上げている。


(“絵本を飛び出してなお輝く夢”と謳われる城が……なんて有り様だろう。胸が痛むよ)

「お前にもう胸はないだろ」


 ため息をこぼす心中の友にそう言い切り、セイルも改めて敵の根城を見つめた。ゴブリュード城よりも全体的にほっそりとして見える城であり、その壁のほとんどは不気味な黒い水晶によって覆われている。広大な庭園には雪の絨毯が敷き詰められており、足跡ひとつない。中央には大きな石像があった。


(あの石像は新しいね。最近作られたものかな)


 舞い踊る妖精たちを従えた、長身の男の像だった。ガラスを嵌め込んだ大きな四枚の羽に美しい顔立ち、そして威厳ある表情。まさに妖精王その人を模したものに違いない。冷厳なその顔を見上げていたセイルの横から、控えめな声が上がる。


「正面の大扉も閉ざされていますね……。この数日間も商人さんたちが何名か謁見に向かわれたと聞きましたが、どうなったのでしょうか」

「考えるまでもないでやんす。強欲さで身を滅ぼすなんて、どうせ三流の商人たちだ。今頃水晶の中で反省してるでしょうよ、たぶん……さ、さすがに、死んでないっすよね?」


 くいとコートの裾を引っ張られてそう尋ねられるが、セイルにも断定はできない事柄だ。無言で首を振ると、商人のリス耳がぺたんと垂れるのが見えた。その小さな背に優しく手を添えつつ、王女は知的な青い目を宙へ向ける。


「見てください。あのバルコニーだけ、水晶の影響を受けていません」

「それどころか、なんか……えらく煌びやかじゃないっすか?」


 中階部分から大きく張り出したバルコニー。優美な半円形のその場所だけは唯一白いままであり、来訪者を歓迎するように開かれていた。流線を描く手すりには白く輝く花々が巻きつき、雪のような花弁を空へ吹き上げている。


(飾り立てているようだね。まるで――なにかの“式典”のために。それに……)

「解放されているように見えますが、大きな魔法の壁で守られています」


 竜の賢者と王女の声が丁度よく重なり、セイルも現状を理解した。相変わらず“魔法眼”とやらを使うのは苦手だが、彼女たちが言うなら間違いないだろう。自分たちの奪還行為がすでに警戒されているとなれば、侵入経路を考えねばならない。


「闇の水晶とかいうのを砕くことはできるのか、テオ」

(おすすめしないねえ。今のところ、君の魔力はどちらかといえばだけれど、相手の魔法は相当に強力だ。できれば触れないほうがいい)

「……待て。初めて聞いたぞ、そんな話」

(訊かれなかったからねえ)


 友の答えはいつもと同じくのんびりとしている。たしかに複雑な魔法の話がはじまるといつも自分の瞼は自然と重くなったものだが、さすがにこの件にはセイルも軽い衝撃を受けていた。怪訝な顔つきになったのを見た王女に心配されたので理由を話すと、仲間は慌てて言う。


「あの、心配ないですよっ! 光と闇の魔力は、どちらも世界にとって必要なものなんです。通常の四属性を使用する時には影響のないことですし」

「でもなーんかイヤっすよね。自分が闇寄りだなんて言われちゃあ……」

「た、タルトトさんっ!」

「まぁ、あっしは訊かなくても分かるっすよ。光り輝く清浄な魔力がビカビカ溢れてるってもんでしょ?」

(彼女の場合はどちらの魔力も微かすぎて、判断がつかないというところかな)


 賢者による分析を伝えるべきか迷っている間に、ふと静まり返っていた森がざわめく気配を感じた。セイルは仲間に口を閉じるよう合図し、茂みから立ち上がる。


「ちょ、旦那!?」

「……隠れる必要はない。もう気づかれている」


 肌を刺すような害意。昨晩現れた双子の片割れが言っていたように、ここは彼らの庭だ。むしろ何の妨害もなくこの城まで辿り着けたことは、一種の罠のようにさえ思える。それでも、進まないという選択肢はなかったのだが。


 仲間たちが立ち上がる瞬間を見計らったように、白いバルコニーの中にゆっくりと歩み出てきた人影があった。


「……歴史深きこの妖精城に、何用か。ヒトと獣人よ」


 先ほど見た石像がそのまま動き出したかと思えるほどに、その男――妖精王グリュンヴェルムは整った顔立ちをしていた。白と金で縁取られたゆったりとしたローブに身を包んだ男は、純白のドレス姿の少女を抱き上げている。色彩の少ない景色の中で揺れるその長い髪は、見間違うことのない若葉色。


「エルシーさんっ!」


 王女の悲鳴が雪の森にこだまする。それでも妹――エルシーは、王の腕の中でぴくりとも動かなかった。下ろされた髪と同じく、白いグローブを嵌めた腕もだらりと垂れ下がったままだ。完全に気を失っているらしい。セイルの胸の奥で、何かが爆ぜる音がした。


「……フィールーン。タルトトを退がらせろ」

「セイルさん」


 戸惑いながらも、王女は商人に付き添って木立の影へと退がっていく。反対にセイルの足は、ずんずんと雪を踏んで進んだ。


(分かっているだろうね、友よ。ここにあるすべての建造物は、どれもとても歴史的価値の高いものだ)

「ああ」

(歴史研究家としては、飾りのひとつも欠けないように戦ってくれることを望む)

「……ああ」

(けれど時にそういったものは、更なる“価値あるもの”のために散りゆくこともある――それもまた、歴史のひとつの宿命だ)


 おどけるようだった友の声が、だんだんと低さを増していく。それに呼応するようにまた、セイルの心も火の粉を散らして燃え上がる。逸る気持ちのままに、青年は立ち塞がるように鎮座した巨大な石像を睨みつけた。足元に咲いていた大理石の花に遠慮なくブーツの足をかけ、一気にひらりと中段へと飛び上がる。


(だからここでは、上品に振る舞うことはない。を取り返しに行こう、セイル!)

「――言われるまでもねぇ!」


 ニィと持ち上げた唇の下には、すでに長い牙が現れていた。身体の内側を駆け巡っていた魔力が解き放たれるが、それらは霧散することなく光の膜となって手足を覆う。言われてみれば確かに、自分がまとう光はどこか王女のものとは性質が異なる気がした。


 風の精霊の力を借りたらしい王の怒鳴り声が、庭園の隅々にまで響き渡る。


「貴様、神聖な妖精像の上で何をやっている!」

「そりゃ悪かったな。ただの趣味悪ィ“服かけコートラック”かと思ったぜ」


 恍惚の表情をして王像を見つめていた妖精の頭に、セイルが脱ぎ捨てたコートがばさりと覆い被さる。冷え切った風が肌を撫でたが、すでに群青の鱗が並んだ皮膚は寒さとは無縁のものだった。それどころか今では、鱗の上をさらに頑強な鎧が守っている。


「何だ貴様、その邪悪な姿は……!?」

「初お披露目なんだ。拍手くらい寄越してくれるよな、王様」


 王像を囲んでいる妖精像のひとつひとつを踏む足に力を与えているのは、大きく伸びた爪に合わせた黒いロング・グリーヴ。友の色を映した尾がいつも通り気まぐれにしなり、妖精像が持っていた弓矢の先を次々に叩き割った。腕や肩は可動性を重視し鎧はまとっていないものの、幾層もの魔力によって織られた繊維は強靭である。


 すべてが自分のためだけにあつらえられた、生きる“魔法装甲”。かつて世界を震え上がらせた無限の魔力――その片鱗を誇示するような漆黒の鎧が、わずかな太陽の光さえも喰らって鈍く輝いた。


「もう足の置き場がねェな。ああいや、まだあった」


 ばきんと派手な音を立て、竜人の手が王像の首をへし折る。頭を失った石像の頂点に不敵に片足をかけると、冷風に煽られた長い黒髪が影のように揺らめいた。黒光りする角の下で、黄金の瞳が燃えている。


「……」


 放り投げた石像の首が無惨に雪の中に落下するのを見た妖精王の頬が、不穏な痙攣を起こしている。その様子を人外の視力をもって眺め、竜人セイルは石像を思い切り踏みつけて飛翔した。夜を撒いたかのような鎧の背から伸びた翼が力強く羽ばたき、ヒト時よりも重くなっているはずの身体を軽々と宙へ押し上げる。


「王の問いには速やかに答えろ。貴様は何者だ」

「その花嫁の兄貴様だ。挨拶がちっと遅ェんじゃねえのか、妖精王さんよ」


 敵意を隠すことなく言葉に乗せたはずだが、妖精王が慄く様子はない。それどころかエルシーを抱いたまま軽く腰を折り、上品な角度での会釈をしてみせる。


「ああ、そうだった。そんな者もいたな。失礼、ヒトの顔を見分ける術を会得していないのでね。改めて――これはこれは、兄君どの。このような遠方までヒトの短い足で赴いてくださったとは露知らず、ご足労をかけた」

「どうやら式の招待状が届いてねえみたいだが……手違いだろうな? それともみつばちの郵便夫が、花畑にでも落っことしたか?」

「恐れ多いが、お出ししていない。心苦しいとは思ったのだが、これは君たちヒトのくだらない婚礼とは訳が違うのでね。参列客は必要ないのだよ」

「吐かせ! 妹を返しやがれッ!!」


 怒号と共に背に留めていた大戦斧を抜き、竜人は宙を駆けた。あっという間にテラスの眼前へと躍り出ると、鎧に囲まれた腹筋に力を込めて得物を振り降ろす。しかし手すりの向こうで見上げている王にその刃が届くことはなかった。


「ッ!」


 黄金の輝きが炸裂し、大戦斧がに食い込む。わずかに発生した波紋の形を追うと、テラスを丸ごと覆っている球状の防護壁が視認できた。


(さすが妖精の結界だね。この神秘の国が開かれたのはここ数百年ほどのことで、完全に他国との関わりを絶っていた時代も長かったんだ。その孤高の時代を支えたのが、彼らの高度な魔法力で――)

「観光ガイドは頼んでねえぞ! なんとかしろテオ!」


 しかし心中の友が名案を捻り出す前に、セイルの視界に白い物体が飛び込んできた。


「へえ、なんか様子が変わったじゃん? あたしは今のほうが好きだよ」


 なんと真上からきたらしいその小柄な人物は、白いブーツのヒール一本で大戦斧の長い柄の上に立っていた。まったく体重を感じさせない。セイルが見上げた先で、不思議な赤色の髪を持つ半人妖精――キーリが笑んでいた。


「乗んな!」

「おっとぉ」


 結界に食い込んでいた得物を引き抜くと、妖精は宙でひらりと回転した。そのまま今度は結界の上に降り立ったのを見、賢者の冷静な声が響く。


(どうやら彼女の二枚羽では飛べないらしいね。リンを襲った時も、近くの建物や樹木から飛び降りたのかもしれない)

「そうかよ。なら空中戦はいただきだな」


 友との会話内容を察したのだろう、妖精が白い頬をぷうと膨らまして腰に手を当てた。長い足を持ち上げ、ダンダンと行儀悪く結界を踏みつける。


「わー、ムカつくこと言ってる! クルフェンソスのじじい、さっさと足場増やしてよ!」

「か、勝手なことばかり言いおって……」

「ん?」


 知らぬ声にセイルは首を傾げる。辺りを見回してみてようやく、その声が結界の中から聞こえたものだと分かった。王の付近からふよふよと漂ってくる、頼りない光の塊――それはまさしく、ティーポットの絵柄でもお馴染みの“妖精”の姿そのものであった。


「見ろよテオ、じじい妖精だ!」

(君からしたら誰でも“じいさん”じゃないか)


 四枚の羽を持つ、老人の姿をした妖精だった。立派な灰色の眉毛と顎ひげが身長よりも伸びており、ゆらゆらと頼りなく揺れている。小さいが、身なりはそれなりに立派なものに見えた。セイルを見上げ、顎ひげの奥からため息を漏らしている。


「ま、また竜人か……。我が名はクルフェンソス……蓮の番人にして、永きに渡り王のお側に控えしも」

「長ったらしい名乗りはいいから早くしな、じじい!」

「ふぬぅ……」


 結界を突き破る勢いで踏み鳴らされる足音を聞き、老妖精はローブに包まれた両腕を頭上へと向けた。同時にキーリが音もなく宙へ飛び出す。そのまま地上へと落ちるしかないはずの半人妖精は、空中のとある一点に迷わず“立った”。


「ふふーん、どうだ! 言っとくけど、あんたたちは触れないからね!」

(なるほど。小さな結界を宙に無数に展開し、足場にしたんだね)

「飛べないことにゃ変わりねえ。叩き落としてやる」


 斧を構え直して闘志を露わにすると、敵も腰からサーベルを引き抜いた。その刃は確かに針のように細い。どちらから仕掛けるかを探り合う刹那の時が流れたが、閃いたのは刃の輝きではなかった。


(セイル、下だ!)

「!」


 友の警告に従って身を捻ると、先ほどまで翼があった場所を緑の光が通過していくのが見えた。逆さの世界の中、空中の足場をすばやく駆け上ってくる白い影を捉える。


「チッ、もうひとりの双子か。やっぱりいやがったな」

「……ぼくたちはいつでも一緒」


 長い緑の前髪をなびかせ、双子の弟――シーラがぼそりと答える。彼の手にはすでに姉と揃いの得物の姿があったが、どうやら魔法も得意らしい。こちらと距離を詰める気はないらしく、半人妖精はふたたびセイルへと手を向けた。


「それは奇遇だな。こっちも二人組だ!」

「!」


 凛とした声が響き、同時に白い光が矢のようにセイルの脇を通り抜けた。同じ足場に合流を果たしたばかりの双子たちはぎょっとした顔になり、弟が素早く防護壁を展開する。激しく発光したのち、光の矢は弾け飛んだ。


「遅くなってすまない、セイル。加勢しよう」

「おう。頼むぜ、フィル!」


 美しい銀色の鎧に身を包んだ竜人王女が、白い翼をはためかせ自分の隣に浮かんでいる。頼もしい仲間の参戦にいよいよ場が熱を持つが、そこへ結界の中から冷たい声が飛んだ。


「必ず仕留めろ、キーリ、シーラ。すぐに陽が高くなるだろう――私は儀式に入る」

「おい待て!」


 妹を抱いたままの妖精王が背を向けて城内へと向かうのを見、セイルは咄嗟に手から魔法を打ち出した。ユノハナで王女に習ったものだが雑な出来であり、巨大な結界には焼け焦げひとつつかない。その向こうで小さな老妖精が疲れ切った声を落とした。


「頼むから帰ってくれ。こ、これ以上、この国に問題が起こってはならんのだ……」


 褪せて見える燐光を残し、老妖精はふよふよと主の背を追う。遠ざかる妹の姿に焦りを覚えたセイルだったが、戦いの本能が目前の脅威を忘れるなと叫んだ。


 牙を噛み締めながら振り向けば、やはり双子が攻め入ってくるところだった。迷わずこちらへ飛び込んできたキーリのサーベルを大戦斧で受ける。フィールーンもシーラが放つ魔法を相殺しているが、結界の破壊を頼める状況ではない。


「クソッ……!」

「セイル! 何か聞こえないか」

「あ?」


 竜人王女の指摘を訝しみつつ、セイルは尖った耳に神経を集中する。たしかに、生き物ひとついないはずの森から音が聞こえた。規則正しく雪を蹴散らす音が、まっすぐにこちらへと向かってくる――。


「馬の……蹄、か?」

「やあやあやあーーッ! 道を開けやがれですぅーっ!!」

「!?」


 ひときわ大きく雪を蹴り上げ、庭園の入り口に白と黒の影が突入してくる。転がった妖精像の残骸を軽々と飛び越え、見覚えのある白馬が存在を主張するようにいなないた。


(あれは、僕たちのジョセフィーヌじゃないか! ということは……)


 白馬に騎乗している人物は二人。そのどちらも、フードつきの黒マントをしっかりと着込んでいる。馬の速度が落ちたところで、後ろ側に乗っていたやや小柄な人物が背を伸ばして抜刀した。竜人の目が、黄金の薔薇細工をあしらったレイピアの姿をはっきりと映し出す。



「民の安寧を護り、真の悪を挫く! 漆黒の義賊“黒騎士”――乙女の危機に呼ばれ、ただいま馳せ参じたぁッ!!」



***

近況ノート(竜人セイル魔法装甲デザイン画つき):

https://kakuyomu.jp/users/fumitobun/news/16818093077565998545

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