7−21 心の剣を掲げて

「ありゃジョセフィーヌでやんすか!? っつーことは、もしかして……!」


 雪化粧をした樹木の上に、三角耳を携えたオレンジ頭がぴょこりと現れる。退避中の身であることも忘れ、リス族の獣人――タルトトはひゅうと口笛を吹いた。


「へへっ、やっぱそうでなくっちゃな!」


 商人が隠れているのは、城を囲む森の端に生えた大きな樹木。自分に付き添ってくれたフィールーンはすでに竜人となり、戦闘へと参加していた。空中では新たな魔法装甲をまとった白と黒の竜人たちが半人妖精と爪を交えていたが――今や一同の視線は、森から駆け出てきた乱入者に釘付けとなっている。


 雪がかすんで見えるほどの見事な白馬。そして“彼女”に騎乗している、フード付きの黒マントを羽織った二人組。後方の人物のフードからは、見覚えのありすぎる桃と水色が入り混じった長い髪がこぼれていた。黒い鎧に覆われた細腕が掲げた黄金のレイピアが、弱い朝日にきらりと輝いている。


 城前庭園の雪を遠慮なく踏み散らして旋回する白馬を見下ろし、双子の片割れが嘲笑の声を落とした。


「なんだよ、あの黒いヤツら? 馬になんか乗ってて、あたしたちと戦えるわけないじゃん」

「……でも、先にやっておいたほうがいい気がする」

「とーぜんっ!」


 タルトトには視えない足場――どうやらあの妖精たちは飛べないが、空中の足場を使って移動しているらしい――を伝い、双子の妖精兵たちが地上こちらへと墜ちてくる。しかし、彼らよりも速く宙を翔ける者がいた。


「行かせるかよ!」


 どこか弾んだ調子の吠え声を上げたのは、長い黒髪をはためかせた紺碧の竜人だ。彼が振りかぶった大戦斧の巨影を見、妖精たちは舌打ちをして足を止める。竜人王女も反対側から回り込むようにして現れ、銀の鎧に覆われた手を掲げた。ふたりはユノハナで時折戦いの修練をしていたというだけあり、以前よりも連携が様になってきている。


「どけよッ! あいつら、アンタたちの仲間だろ」

「いーや? 知らねえヤツらだぜ」

「……どういうつもり。フィル」

「セイルの言うとおりだ。あたしたちが知っているのはただの騎士やか弱い服職人であって、危険な戦場いくさばに乗り込んでくる勇者たちではない」


 いつでも魔法を放てる体勢を保ったまま、竜人王女もすらすらと答える。凛々しい声とは裏腹に、タルトトの目は彼女の口角が上機嫌に吊り上がっていることを捉えた。竜人たちは揃って地上を見、声を張り上げる。


知らねえが、こっちは今忙しくてよ! 悪ィが、妹のことを頼んでいいか?」

「ああ。は知らないが、貴殿の力添えを嬉しく思う。こちらのことは気にせず、暴れてくれ!」


 勇ましい鼓舞の中に含まれた、確かな喜びの声。尻尾の毛先まで震わせ、タルトトは急いで広場の中央にいる乱入者たちを見た。後方に騎乗している人物が、竜人たちの声に応えるようにぶんぶんと得物を振っている。


 そして今まで静かに手綱を握っていた前方の騎乗者が、ゆっくりと空を見上げた。


「――承った。必ず、彼女を取り戻す」


 冷静ながらも熱い芯を持った、聞き慣れた声。風にはためいたフードから覗いた金髪に、獣人は自分でも知らぬ間に胸の前で拳を握り込んだ。それでも、喉まで込み上げてきたその名は呼ばない。彼がこの場へと現れたのはきっと、己の信念を貫くためなのだから。


「城の裏手へ! 魔法で守られた“隠し門”なら、水晶の影響を受けてないかもしれないですっ!」

「了解しました」


 黒いブーツで馬の腹を蹴り、乱入者たちは城の脇へと走り去る。その後ろ姿を見た妖精兵のひとりが、悔しそうな声を上げた。


「くそっ、あとで“牙”にネチネチ言われるけど仕方ない――“闇オオカミ”たちを使おう、シーラ!」

「うん」


 姉の声に合わせ、弟が宙に手をかざす。するとタルトトにさえ感じられるほど空気が重く澱み、嫌な気配が広場を覆った。


「な、なんだありゃ……!」


 城や庭園の装飾を呑み込んでいる“闇の水晶”から、ぬるりと何かが這い出てくる。かすみが渦巻くような身体を持つそれらは、獰猛な狼の姿を象っていた。五頭ほど集まったところで、彼らの瞳なき眼が城の裏手を睨む。


「させねえっすよ! おーい、こっちだぁーッ!」


 樹木を思い切り揺さぶって雪をどさどさと落とすと、狼たちがこちらに振り向いた。その眼光にタルトトの肝が冷えるが、すかさず背負っていた荷に手をつっこむ。


「タルトト! 何をしているんだ!」

「このワンちゃんたちはあっしに任せてくだせえ! こっちにゃ、ユノハナと共同開発した“新兵器”があるっす!」


 竜人たちに力強くうなずき、商人は樹の上ですっくと立ち上がった。その手に握られているのは怪しい煙玉である。おそらく撃退とまではいかないだろうが、仲間たちのためになんとか時間を稼いでやりたかった。自分は武人ではないが、ただ逃げ隠れるためだけにここまでついてきたわけではない。



「ようやく“白馬の王子様”のご登場と相成ったんだ。野暮な邪魔は御法度ってもんですぜ!」





 静まり返った長廊下に、カツカツという蹄の音が響く。同行者の言うとおり、城の裏手にひっそりと存在していた入り口は無事であった。彼女がレイピアの薔薇細工を門に近づけると、城は待っていたとばかりにその扉をそっと開いたのだった。


 飛び出してくる衛兵はおろか、生き物の気配がまったく感じられない。白馬の手綱を握っている青年――リクスンは、まるで墓場のように重々しい空気のたちこめる場内を見回し呟いた。


「静かだな……。この惨状では、当然か」


 あちらこちらに転がった、黒い塊。大きさはさまざまだが、中に封じ込まれた城の住人たちの表情は皆似通っていた。決して絵本の挿絵にはならないその顔に哀れみを感じていると、背から明るい女の声が上がる。


「ふーっ!」


 馬上だというのに、後方に騎乗した人物は恐れることもなく自分から両手を離して大きな伸びをした。粉雪が絡んだフードが、ばさりと背に落ちる音が聞こえる。


「さあ、もうフードはいいでしょう。お耳が痛くなっちゃいますぅ」

「そうですね」

「……。お返事の割に、脱ごうとしませんね? えいっ!」

「ぬぁっ」


 不服そうな声と共にぐいとフードをひっぱられ、リクスンは後方へ仰け反った。不審な動きを感じたのか、愛馬ジョセフィーヌが怪訝そうにたてがみを震わせる。


 少し乱れた金髪頭のまま、リクスンは困ったように同行者であるエルフの女に振り向いた。


「……リュリュ殿。何をなさるのです」

「恥ずかしがらなくてもとってもお似合いですよっ、“黒騎士”さん。見ましたか、セイルさんたちの驚いたお顔? 作戦大成功ですぅ!」


 桃色の髪を跳ねさせて満足そうに笑うリュリュシエッタから目を逸らし、リクスンは己の格好を見下ろした。ほんのりと魔法の護りを感じられる不思議な布地で作られた、襟の高い黒服。長い黒ブーツに押し込んだズボンもまた黒と、どこもかしこも黒づくめである。とても城仕えの騎士には見えない。極めつけは、半ば強引に着けられた黒い目元隠しだ。


 その切れ目から覗く琥珀の瞳が、やや非難めいた半眼になる。


「皆、とっくに俺だと気づいているでしょう。変装する必要はなかったのでは」

「チチチ、これは変装じゃありませんよぉ。いわば“変身”です」

「変身?」

「はい。セイルさんや、あなたの大切な主が――己の“義”を成すべく行うことと同じ」

「……。俺にはもう、仕える主はおりません」

「そうでしょうかぁ? どなたに忠義を捧げるかは、自分で決めるべきです」


 のんびりとした女の声の奥には、いまだ消えない強い意志が感じられる。愛馬を静かに走らせながら、リクスンは先ほど見た白き竜人の姿を思い出した。彼女の瞳に、今の自分の姿はどう映ったのだろうか。


「……今は、目の前の問題解決に注力します」

「ですですっ! さ、まだまだ登らなくちゃですよ」

「はい」


 雪と泥の跡が、上等な絨毯に染み込んでいく。壮麗な城内に馬で乗り込むなど、たしかに以前の自分であればとてもできない行いだっただろう。しかし今はもう、何者でもない。青年の心がほんの少しだけ宙を舞った。


「装いを変えるだけで、世界の見え方も変わるのだな……」


 



「貴女が……“黒騎士”?」

「ご名答ですぅ!」


 黒を基調とした魔法衣に、同じ色のマントを羽織ったリュリュシエッタ。アトリエの地下においては闇に溶けてしまいそうなその衣装を見、リクスンは驚き疲れたはずの目をさらに瞬かせることになった。


「たしかに先ほどの動きを見たあとでは、貴女が只者ではないことは疑いようもありませんが……」

「えへへ」


 一瞬ののちに魔法衣を解除した女は、丁寧に黒マントを畳んで腕の中へ収めた。


「ひとはいつでも、自由に違う道を選ぶことができます。でも、それまでに歩いてきた道も……やっぱり、自分の一部なんです」


 桃色の頭を天井へと向ける。彼女の長い耳には、夜に積もるだろう雪への対策で走り回る民の足音まで聞こえているのかもしれない。


「リュリュはこのアトリエだけでなく、町のひとたちにたくさんお世話になりました。魔力の本質は視えても、最初は普通の生活すら困難でしたから」

「……そうでしたか」


 目から光を失った者の人生は困難だ。周りの人間に恵まれていなければ、路頭に座り込む生活を余儀なくされる場合もある。しかし彼女はその道を辿らず、このアトリエで仕事をこなすまでになった――それはひとえに、温かな町の支えの賜物なのだろうと青年は悟る。


「この町の人々は昔から、妖精と良い関係にあります。彼らを敬い、貴重な森の恵みを分けて頂き、町での工芸品やお菓子を妖精たちに捧げる。それなのに今の“偽りの王”――スヴェンティリウム様は、その営みのことすら忘れていらっしゃるみたいで。妖精が町に遊びに来なくなったことを、町の人々は悲しみ、何か起こるのではないかと恐れています」

「たしかに、どの店や家の窓辺にも菓子が置かれていましたな」

「はい。普通なら数時間で消えてしまうんですよ。たまに、ふわふわと宙を漂う姿も目撃されます」


 誇らしげに語る唇が、ふたたび元気を失う。それでも女は、無念のこもった声で続けた。


「募る不安から、この平和な町でも小さな犯罪が多発するようになりました。以前は私たちエルフ兵が交代で治安維持もしていましたが、あの夜のことで……」

「リュリュ殿……」

「このままでは、平和と観光を柱としている美しいフェ・アルンがなくなってしまう……そう思った時、リュリュはこのマントを作りました」


 もう一度マントを広げて見せるも、エルフは照れたように苦笑する。


「まだ裁縫を習い始めたばかりの頃だったので、下手くそだと思うんですけど」

「いえ、立派な一品です。確固たる信念を感じます」

「ふふ、ありがとうございますです! ――そうしてリュリュは闇に紛れて、犯罪が起こりそうな場所を訪れるようになりました。良くないことを実行しようと考えているひとは魔力が乱れるので、この眼にはお見通しなのです」


 リクスンはコートの腕を組み、うなずいて見せる。ヒトの内側を巡る魔力が視えるというこのエルフとは、たしかに相性抜群の仕事だ。あの疾さと剣技を以てすれば、犯罪の芽を事前に摘むことも可能だろう。


「名乗ったことはないのですけど、人々はその人物のことを“黒騎士”と呼んでもてはやすようになりました。見ての通り今ではあのような、観光名物のひとつとなっています」

「たくましい町だ」

「はいっ! 最近では犯罪も減り、さらにこの雪への対処で大忙しなので、“黒騎士”の出番はめっきりなくなりましたが……今夜、ついに復活の時ですよぉ!」


 力強く拳を天井へと突き上げた女を眺め、リクスンは真面目な顔で首肯する。


「なるほど。このマントを使えば、貴女が身分を隠して存分に腕を振るえるというわけですね」

「そーなんですっ! ささ、羽織ってみましょう。あなたは大きいので、ちょっと丈を調整したほうがいいかもしれませんね」

「……む?」


 いつの間にか背後に回り込んだリュリュシエッタは、あっという間にリクスンの肩にマントを巻きつけていた。重厚な見た目の割に重さが感じられないなどと青年が考えているうちに、正面へと戻ってきて手を叩く。


「わぁっ、素敵ですよぉ! 城も例の水晶に覆われているでしょうから、防護魔術が付与された装備のほうがいいですねっ。グリーヴも丁度、黒い錆消し加工をしたものが倉庫にあったはず。うーん、やっぱり金髪のおかげでお顔が目立ちますね……ぱぱっと目元隠しも作っちゃいましょう!」


 女の行動の意味を理解したリクスンは、慌ててマントの留め具に手をかけて言った。


「り、リュリュ殿!? お待ちください、なぜ俺が着ねばならんのです!」

「はわわ、もしかしてデザインお嫌いですかぁ!?」

「そうではなく! これは、貴女の大事な決意の表れで――」

「いいえ、違います。私は今日限りで、黒騎士を引退するんです」

「!」


 背筋をすっと伸ばしたエルフを見下ろし、リクスンは思わず言葉を呑み込んだ。女の唇が満足そうに弧を描き、告げる。

 

「次の“黒騎士”は、あなたです。さあ、心の剣を掲げて――奪われたものを、取り返しにいきましょう!」





 数時間前のやりとりの記憶を辿っていたリクスンは、急に愛馬が歩を緩めたことに気づいてハッとした。白馬の長いまつ毛の下にある思慮深い瞳が、じっと後方を見つめている。振り返ると、鞍の上から“相棒”の姿が消えていた。


「リュリュ殿?」


 緩い速度とはいえ走らせていた馬の上から飛び降りたらしいエルフは、ひとり赤い絨毯の上で静かに佇んでいた。風もないのに黒い魔法衣がはためいている。眼鏡がわずかに発光しているところを見るに、魔力を巡らせているようだ。


「見つけました――グリュンヴェルム様!」

「! 本当ですか」

「ええ、間違いないです。ああ、ご無事であられた……。リクスンさん、、行ってきます」


 凄腕の協力者と行動を分つことは、奪還作戦において良い手とは言えないかもしれない。しかしこの作戦の目的は、お互いの大事なものを取り戻すことだ。


「承知しました。ご武運を」


 すぐに応答したリクスンにうなずきを返し、女は自分と揃いの黒マントをひるがえして背を向ける。そのまま走り去るかと思ったが、ふいに美しい横顔がこちらを振り返った。


「リクスンさん。その黒マントがきっと、あなたの背を押します。忘れないで――どんな状況にあっても答えはきっと、あなたの中にしかないものです」

「……!」


 そう言い残し、元エルフ兵団長は薄闇に覆われた長廊下の奥へと消える。わずかな足音の響きを見送りながら、リクスンは肩にかかる決意の証を握りしめた。


「ありがとう――リュリュ殿」


 大事な品を託されただけではない。自分はすでに、彼女から多くの勇気をもらった。今から成そうとすることはきっと、これまで自分が頑なに守ってきた正義を覆す出来事になるだろう。しかし青年は、しっかりと愛馬の手綱を握り直した。


――もう、迷わない。



「……待っていろ。今行く」



 蹄の音を高らかに打ち鳴らし、“黒騎士”は階段を駆け上がった。



***

近況ノート(イラストつき/黒騎士たち):

https://kakuyomu.jp/users/fumitobun/news/16818093077975148775


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