黎明に咲く

五月 病

黎明に咲く

 群雲花月むらくもはづきが変わった女の子だと言う事は、彼女を知る人間の共通認識である。

 天然、と言えば聞こえはいいのだろうが、実際の所は、天才的かつ飛躍した想像力に純度100%の好奇心をブチ込んで、3分待てば出来上がる様な性格をしている。

 彼女の尊厳のため捕捉をしておくが、彼女はちゃんとTPOは弁えることができる。それに歴とした優等生でもある。だが、彼女の理性を好奇心が上回った時、彼女を支配するのは天使か悪魔か誰にも分からないのだ。


 そんな彼女であるから、封鎖されているはずの屋上に悠然と寝転んでいるのも、少しばかり納得がいってしまった。


「そんなとこで何してんの」

「あぁ、町方くんか。いやいやーお構いなくお構いなく、あ、町方くんこそどうしたの」

「えっと、俺、天体部だから」


 制服の汚れなど気にすることなく、大の字で空を見上げる群雲さん。少しは気にして欲しい所だが、それに関わるのも億劫な気がする。元々、人に関わるのが嫌で廃部寸前の天体部に入ったのだ。不慣れな事をして地雷原をスキップするのは御免被りたい。

 

 俺は、群雲さんを放置して、ブルーシートで隠していた望遠鏡や観測器具を白日に晒す。


 今日計画しているのは、月の観測だ。


 行うのは当然夜、しかし、暗くなってからそれも一人で準備をすると言うのは些か要領が悪い。そのため幽霊顧問に許可を得て元々天体部が持っていた屋上の鍵の合鍵を預かったのだ。だから、俺が来るよりも先に人がいると言うのはかなりおかしいはずなのだが、俺はそれを問うことすら面倒だった。


 対物レンズの黒カバーを外さないまま東の方角へ鏡筒を向ける。今日は満月、新聞によれば、日の入りは5時頃らしい。職員室が9時に閉まる事を考えれば十分な時間はある。


 そんな事を考えていると、群雲さんが、立ち上がり俺の方へと向かってきていた。

 確かに出入り口の扉の近くに俺はいるが、そのまま帰ってくれるとはならないらしい。


「町方くんって、天体部だよね」

「あー、うん、ご覧の通り」

「なら、昼の月って、今、見える?」

「昼の、月?夜じゃなくて、今の?」


 そう問い直すと彼女は「うん!」と前のめりで肯定をした。その目には輝かしいまでの好奇心が見て取れる。

 これで合点がいった。どうやら彼女は、昼の月を探して屋上で寝転んでいたらしい。

 状況把握は追いついたが、いざその質問に答えるとなると、彼女の眼差しがどうにも邪魔であった。

 考える振りをしながら、視線を右上へと泳がせて頰を掻く。


「多分、無理かな。今日は満月だから」

「満月だったら見えないの?」

「見えないってわけじゃないんだけど、えっと、満月の日って、太陽と月が地球を挟んで真反対になるから、太陽が沈むと同時に月が出るんだ。だから、昼間には、空にいないと、思う、かな」


 群雲さんに話しながら、空を見回すも、やはり月を見る事はできない。雲一つない空、故に明かりが強くすぎるのだろう、仮にあったとしてもまず見える事はできなさそうだ。


「そっか……じゃあさ、じゃあさ、明日になったら、昼の月、見えるかな?」

「もしかしたらね」

「そっか、なら明日はお弁当持ってきたほうが良さそうかな」


 にこやかな群雲さんのその言葉に、自分が何か教えてはいけない事を教えた様な気がしてならなかった。そして、それは彼女が望遠鏡をジロジロと眺め始めた辺りから確信へと変わり始めた。


「えっと、まさかとは思うけど、明日も屋上ここに来」

「ね!これで満月みたら綺麗に見えるの?」


 んー、会話のドッジボール。


「あー、うん、綺麗だけど」

「ウサギいた?」

「ん?ウサギは、いなかった、かな」

「カニは?」

「あー、蟹座なら、綺麗に見えるかな」

「見たいです」

「マジですか?」

「マジです」

「マジですか?」

「本気と書いてマジなんです!」

「そうですか」


 徐々に白熱する群雲さんに俺は意識的にテンションを反比例させていく。

 正直言うと面倒くさいが、それを言えるほど人の視線を気にしていない訳ではない。群雲さんは変わり者で優等生であると同時に人気者でもある。それに、なんと言っても女子だ。ここで断れば陰で何を言われるか堪ったものではない。


 古今東西、日本人は本音と建前と言う言葉を使い分けてきた。今もそれに倣うときなのかもしれない。

 と言うか、熱意が凄い。圧が凄い。


「あの、じゃあ、放課後、また屋上ここで」

「ありがとう!!」


 群雲さんは、太陽にも負けない輝きで楽しそうに笑った。

 月並みな言葉であるが、こうして、俺と群雲花月の出会いは始まったのだ。

  


 ー×ー×ー×ー×ー



 放課後が過ぎ、太陽と喧嘩をしていた月が恐る恐る地平線から顔を出し始めた時、群雲さんは既に屋上で月を眺めていた。


 俺が、屋上に上がってきた事にも気づかずに彼女は手すりに掴まり、その瞳に月を映しだす。その儚げな姿が、どこか不可侵の領域にあるように思えて、俺は遅刻してきたのに関わらず、一瞬、謝る言葉を失っていた。


「遅れてごめん。図書委員の仕事完全に忘れてた」

「あー、町方くん。おそ〜い」


 群雲さんは、ハッと気づいたように俺の方は振り向き無邪気に笑う。良かった、それほど気分を害している訳ではなさそうだ。


 肩で息をしながら、荷物を出入り口の近くへ投げ捨てる。

 厚手の冬服姿で全力疾走をすれば、体に熱も蓄積される。このまま上着も脱ぎ去ってしまいたかったが、流石に女の子の前でそれは無神経すぎる。尚更、俺はもう十分も彼女を待たせてしまっているのだ。

 謝罪は重ねても失態は重ねられない。


「ごめん、今から望遠鏡を合わせるから、もう少し待ってて」


 そう言って俺はそっと架台を回す。きゅぅと錆びた音が聞こえるのも、今となっては慣れた事だ。


「凄いね」


 不意に群雲さんが俺に声をかけた。

 そう言われて、俺は一瞬理解ができなかった。凄みを感じる要素はないことぐらいは自分が一番理解している。

 もし仮に、望遠鏡をいじってピントを調節しているこの姿の事を称賛してくれているのであれば、それは違う。そんなものはただの経験で、誰にでもできる事だ。

 残念なことに、俺が誰かに称賛される理由なんて皆無なのだ。

 そんな事を言ってしまえば、


「俺は、群雲さんのほうが凄いと思うよ」

「はは、そんなこと、ないよ」


 思考の続きが自ずから声へと変わっていた。夜の静寂に包まれた場を持たせたかったためか、それとも彼女を羨ましいと思う愚かな妬ましさ故か、俺には分からない。


 ただその言葉に彼女が、苦しげな笑みを浮かべた事だけが俺に強く印象を与えた。


「できた。ちょっと覗いてみて」


 筐体を固定して、俺は接眼レンズから離れる。出たばかりの地平線近くにいる月は紅く見える。紫雲色が西端を包んでいるせいで夜はまだ満たされていないが、観測する分には問題はない暗さだ。

 群雲さんは、子供の様な弾みで俺が元いた位置で望遠鏡を覗き始め、


「おぉ〜!すごいね!」


 と、そんな風な語彙の足りない感動を口する。否、言葉なんて虚飾は必要ないのかも知れない。ただその光景に圧倒されて、心を揺さぶられて声に出す。その言葉がなんであれ、群雲さんが感じた事は伝わるのだから。


「どう、ちゃんと見えてるかな」

「うん!ね、もっと見ていい!?」


 俺の確認に彼女は興奮した様子で、レンズから俺の方へと顔を向ける。

 その様子が本当に楽しそうで、俺もつい嬉しくなってしまう。「どうぞ」と、それだけ言ってまた満月を観る彼女を見続けていた。

 

「ね、あの凸凹でこぼこって、月のクレーター?」

「うん」

「じゃあさ、あそこにいるウサギは?」

「ん?あぁ、月のクレーターでできた影が」

「あ、ごめんウナギだった、泳いでる」

「ウナギ!?」


 いや、まさか。そんな筈はない。月面上にウナギの影なんて、聞いたことがない。

 それに泳ぐ!?いやいや、生物がいるなんてあり得ない。そもそも倍率的に見えたと仮定してもウナギの大きさはとんでもなく大きいことになる。いや、流石にない。無いよな?


 そんな様子で慌てふためく俺の様子を見て群雲さんは、


「ははは!!冗談、冗談だよ!!驚き過ぎ、ははは!はーお腹痛い」


 と、腹を抱えて笑っていた。

 つくづく夜が似合わない人だ。


「はー、面白い」

「そうですか、良かったですね。ホント」

「あー、もしかして怒った?ねぇねぇ、怒ったでしょ、ねぇねぇ!」

「……多少は」

「ふふ、遅刻の罰なのである!」

 

 どうやら彼女は少しだけ根に持つタイプだったらしい。煽りも含めて、俺が発端なのであれば、情状酌量の余地があるだろう。

 ふと天球を眺めれば、空はもう完全に夜に支配されていた。ビル明かりもないこんな田舎町では星はその輝きを露に見せ始める。いや、人間が隠してしまうだけで、星はいつだって正直者であったのだろう。


「少し冷えるね」


 そう言って群雲さんは手に息を吹きかける。確かに汗ばんでいた肌も寒気を感じる。

 近年の異常気象の影響か、昼と夜の寒暖差は堪えるものがある。

 せっかくだ。少しばかり温かいものを用意するのも悪くは無いだろう。


「お詫びついで、ってことでなんだけど、味噌汁、飲む?」

「味噌汁?」

「ブルーシートに色々隠してあるんだ。俺のちょっとした秘密基地」


 俺はそう言って、ブルーシートを剥がして、いくつか積まれた段ボールの中から2個のインスタントカップと割り箸、乾電池式のポッド、それと2Lの保存水を取り出す。


「どう?」

「……すごい」


 食べるか食べないかを聞いていたつもりだったが、それが月を見た時と同じ様な反応が返ってきたので、秘密基地を褒められた様な気がして少しだけ頰が痒くなる。

 

「ラーメンとかは、汁が処理できないから用意して無いんだけど、味噌汁はいかが?」

「ぜひ!!」


 ポッドに水を入れて、沸くのを待つ。

 その間も月は夜を泳いで行った。


 ポッドの蒸気を見て俺はカップにお湯を注ぐ。じゅわ、っと音を立てて固形の味噌が溶け出しては消えていく。微かに香ばしい匂いが屋上を包んでいた。


「こういうの、いつもやってるの」


 先に群雲さんのを手渡した時、彼女は細やかな感謝と共にそう聞いてきた。

 

「うん。たまに。……ストレス溜まった時とか、疲れた時とか」

「町方くんでも、そんな時あるんだ」

「まぁね、俺だって人間だし」

「ストレス発散に天体観測なんて、なんかロマンチストだね」

「変わり者なだけだよ。……まぁ、群雲さんには負けるけど」

「あー、なんか悪口に聞こえるなー」

「はは、ごめんごめん」


 緩やかに時が流れていく。

 星が、流れていく。


「群雲さんは、『そんな時』どうするの」


 その問いに群雲さんは味噌汁を飲むのをやめて、浅く味噌汁に息を吹き込んだ。そして、その問いを言わんと口を開く。

 言葉足らずな問いかけだったが、その意をきちんと汲み取ってくれたみたいだ。


「私は、何かを知りたいと思うかな」


 自分のカップにも湯を注ぎ終えて、俺は群雲さんの隣へ座る。それほど親しい訳でもないし、離れた場所に座るべきなのだとは分かっていた。だが、それをしてしまうと、この闇が彼女を永遠に隠してしまうような、そんな気がしたのだ。


「出来ない事があった時、悔しい事があった時、悲しい事があった時、私は、いつも何か違うことに逃げようとしちゃう。知って安心して、それで満足する。ただそれだけ」


 彼女はそれだけ言って、味噌汁を啜った。

 こんな時に何か洒落た言葉でもかけられる様ならば、俺は今ここにいない。


 光があれば影がある。だが、光が強すぎれば影は見えにくくなる。

 見えにくくなるだけで、誰かが見ようとしなくなるだけで、ちゃんとそこにある。


 群雲さんは、太陽でもなんでもない。

 ただの昼の月だった。


「群雲さん。月の公転周期と自転周期は同じ27.3日って知ってる」

「うん。だから、月は地球にいつも同じ面しか向けてないんだったよね?」

「正解」

「それがどうかしたの?」

「いや、なんでもない」

「そっか」

「うん」


 群雲さんは静かに天球を眺めた。


 その横顔は、どこか儚げで、瞬きをすれば刹那に消え去ってしまいそうな、いつの間にか忘れてしまう夢のような、憂いがあった。


 俺は君の裏側を見たくなった。


 なんて恥ずかしい台詞は口に出せない。今はまだ閉まっておくのが、正解だ。

 味噌汁が温かいせいだ。体が火照る。


「ね、町方くん。私、一晩中、ずっとこうして月を見ていたい気分です」


 群雲さんはそっと、そう呟いた。

 その瞳に、繕った好奇心の輝きはない。


「バレない様に、静かにね」

「言質とったよ」

「そりゃ、大変だ」


 あっという間に月が流れていく。


 俺たちは、一睡もせずにただただ星を眺めていた。色々話をした。本当にたくさんの事を話した。

 

 彼女が鍵を持っている理由。俺が天体部に入った理由。彼女の姉さんのこと。俺の父親のこと。趣味。夢。進路。人間関係。

 

 友達と呼ぶにすら値しない関係だからこそ、他人だからこそできる話もあった。

 そんな話だけでなく、これからも、もっと話をしたいと思った。

 

 気がつけば、月は地平線へと沈んでまた別の場所に夜を届けようとしていた。

 

「おはよう」

「おはよう」


 二人して笑い合う。


 朝の寒さはブルーシートだけでは防ぎ切ることができない。それでも彼女が近くにいるだけで、自然と体が温かくなっていた。

 やっぱり、彼女は太陽なのかも知れない。


 西を眺めて、月に感謝をする。


 かの文豪、夏目漱石は月を冠した言葉に愛の意味を込めた。

 それに倣って俺も少しだけ洒落てみようと思う。


「明日も、貴方と月が見たい」


 黎明。


 何かが始まる。そんな予感がした。

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